03B. 呼吸制御によるストレス低減の認知神経基盤の解明 (HIC事業)

本研究プロジェクトは、兵庫医科大学から発信する研究事業「Hyogo Innovative Challenge (以下、HIC事業)」によるもので、脳内ストレスの「顕在化の標的因子と制御」を明らかにすることを目的としています。

https://www.hyo-med.ac.jp/research/activity/hic/


本研究プロジェクトから、特にPTSDをはじめとする不安障害・うつ病などの精神疾患の治療における新しい対策法が確立されることが期待されます。

ストレス社会に生きる私たち

人口増加や環境破壊など地球規模の問題から日々の生活の問題まで、多くの問題を抱える現代社会。私たちはそのような中で生活しています。言い換えれば、現代社会とはストレス社会。このような社会の中で、私たちがよりよく生きていくためには、どのように行動していけばいいのでしょうか。

日常は、ストレスという言葉で満ち溢れています。英語では、stressed outという言葉で表現します。ストレスは、さまざまなな要因と関連して疾患を助長し、それらの発病だけでなく、私たちの社会活動のパフォーマンスの低下も引き起こします。すなわちストレスは、個人個人に対してだけでなく、社会全体からみても、非生産的な影響を及ぼしている「社会問題」であると言えます。

一つ例を上げますと、動物(げっ歯類)のストレス実験で用いられる最も一般的なストレス負荷は、慢性拘束ストレス (chronic immobilization stress)です。これは、動物を狭い筒状の金属ネットの中に入れて、一日2時間程度、手足や身体が動かない状態にするものです。それにより、動物はさまざまな慢性ストレス反応を生じます(注:実際にこのような動物実験は、国内外の各大学の動物実験委員会の承諾を得た上でしか行うことはできません)。これは、私たちの日々の通勤通学での満員電車の状況と非常に類似していると言えるかもしれません。それにもかかわらず、それらの対策について、明確になっていないのが現状です。


ストレスの定義

そもそもストレスとは何でしょうか。

ストレスとは受け手側の反応、ストレッサーとはストレスを引き起こす要因であり、医学的には、内分泌系・自律神経系をはじめとして、免疫系・代謝系・中枢神経系で生じる反応です。すなわちストレスとは、全般的な生体防御反応であり、良い側面も悪い側面も含まれます。分子生物学では、「外部環境に対する細胞のストレス応答」という表現が用いられ、物理的な意味合い(温度・フリーラジカルなど)を含んで、ストレスという用語が用いられます。しかしながら、本サイトでは、医学的な定義で話を進めます。

ストレスは、慢性ストレス急性ストレスに分類されます。慢性ストレスは、慢性作用によって、生体防御できていた反応からシステム(系)制御が崩壊した反応となります。すなわち、これは長い時間をかけて形成された制御不能の反応、特に、ホルモンの過剰分泌または分泌不全のことです。代表例は、コルチゾールを中心とするHPA axisのフィードバック制御における崩壊です。一方、急性ストレスは、急性作用によって、生体防御できていた反応からシステム(系)制御が崩壊した反応となります。代表例は、PTSD(心的外傷後ストレス障害)でみられるものです。従って、ストレスに関連して起こる疾患とは、本来のシステム制御の崩壊によって生じる疾患、ということができます。その例として、心筋梗塞、精神疾患(うつ病、不安障害、PTSDなど)、生活習慣病(糖尿病、肥満など)などが上げられます。

ストレス対策の研究アプローチ

では、どのように対策を立てていけば、いいのでしょうか。その対策を明らかにするために何か良いアプローチはあるのでしょうか。

その一つは、「アロスタシス (Allostasis)」という概念からのアプローチです。アロスタシスについて、はじめて聞く方もいらっしゃるかもしれませんが、そのよく似た言葉、「ホメオスタシス」なら知っている方は多いと思います。ホメオスタシスのホメオとは、ギリシャ語で「同じ」を意味し、スタシスとは「安定」を意味します。アロスタシスのアロとは、ギリシャ語で「変動」を意味します。アロスタシスとは、すなわち、変動することによって状態を安定させる働きという意味であり、変化に直面したときに、生体がその変化に合わせて内部環境を維持できるように多くのエネルギーを送り込む反応、生体防御できている反応のことです。そもそもストレス反応とは、最初はアロスタシスであり、その調節可能な反応が崩壊して、ストレス反応による弊害を引き起こす、というわけです。

従って、アロスタシスとは依然として健全な反応であり、ストレッサーに対する応答が適切で安定している反応です。これは、「善玉のストレス反応」という表現が最も言い当てているように思いますが、「ストレス」という言葉を用いて時点で、どうしてもネガティブな意味合いが含まれてしまうので、「アロスタシス」という全く別の表現を用いたと考えられます。一方、システム制御が崩壊してしまった反応を「アロスタティック負荷 (Allostatic load) 」と言い、ストレス反応による弊害、と同義となります。

これらの概念 (McEwen, N. Engl. J. Med., 1998) をいち早く唱え、世の中に知らしめた人物は、アメリカ・ロックフェラー大学神経内分泌研究所のブルース・マッキュイン教授 (Bruce S. McEwen, 1938 - 2020) です。マッキュイン教授は世界的なストレス研究の第一人者のひとりです。私は2001年から2006年までの5年間、マッキュイン教授のもとで研究を進め、そのニューヨークの地で、研究者としてあるべき姿について徹底的に鍛えられました。このように、健全な反応であるアロスタシスとストレス反応による弊害であるアロスタティック負荷を対比させ、それによって自ずとみえてくる境界線 (臨界点) とそれらの違いを明らかにすることで、今後、新たなストレス対策案を生み出すことにつながり (McEwen, 2002)、最終的には、ストレス関連疾患の改善策として有用なものになることが期待されます。

HIC事業の詳細について:

https://www.hyo-med.ac.jp/research/activity/hic/


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