後半では、「日本人の優秀な面をうまく活かすことができていないのではないか」という点について、日米の研究者育成システムの違いを様々な観点から伺った。
日米の比較:大学院のシステム
「日本と米国では、博士号を取得するための審査の過程が大きく異なります。ただ、私が知っているのは生命科学系の大学院のシステムなので、これから述べることは他の分野では少し状況が異なるかもしれないことを始めにお断りさせていただきます。
日 本の場合、大学院に進学すると、まずは修士課程の大学院生として2年間の研究を行うことになります。所属する研究室は、学部時代に選択した研究室に引き続 き在籍することが多いです。そして、大学院生は修士課程の間に、博士課程に進むか修士号を取得した後に社会に出るかを選択することになります。博士課程に 進むことを決めた学生は、一般的には同じ研究室で研究を続けることとなり、その場合は無試験で博士課程へと進学します。その後、博士課程の3年目が終わる 頃に博士論文を書き、主査の先生と副査の先生数人と面接をして博士号を取得することとなります。主査の先生は基本的には同じ研究室のボス、副査の先生は別 の研究室の教授または准教授となります。博士号の取得条件としては、『査読システムのある国際誌に研究論文を報告しないといけない』などの一定の決まりが あるのですが、この制限は厳しくない学部や学科も多く、博士課程3年目の年度末である3月に一斉に博士号を取得して卒業となることが多いです。
そ れに対してアメリカの大学院は、修士号を取得するコースと博士号を取得するコースは独立したものとして捉えられています。つまり、修士号のためのコースに 入った大学院生が、在学中および修了後に博士号を取得したいと思ったら、改めて博士号のためのPh.D.コースの大学院生として、大学院に入学し直す必要 があります。また、博士号取得までの期間は平均で5~6年間であり、何年かかるかは各人の研究成果に左右されます。そのため、日本の博士課程のように、年 度末に全員が一斉に博士号を取得して卒業ということはありません。」
また、大学院生が研究室を選択するときのシステムにも大きな違いがあると指摘される。
「ア メリカのPh.D.コースの学生は、大学院の1年目にローテーションと呼ばれるシステムを活用して自分が在籍する研究室を決定します。ローテーションと は、自分の興味のある研究室を複数選び、3~4ヶ月間ずつ一時的に在籍するシステムのことです。このシステムにより、学生は各々の研究室の研究内容や雰囲 気を良く理解してから自分の在籍したい研究室を決めることができます。とは言っても、学生の希望が必ずしも通るわけではなく、研究室のボスが受け入れを拒 否する場合もあれば、その研究室の資金的な問題から学生を受け入れることが出来ない場合もあります。つまり、ボスは自分と相性が良くなさそうな学生は受け 入れなくても良いのです。また、アメリカの大学院生は研究室からお給料をもらっているので、研究費の獲得が充分に出来ていない研究室は、学生を受け入れた くても給料を支払うことが出来なくて受け入れられない、というアメリカならではの厳しい現実も見られます。
日本の場合、所属する研究室の実情を事 前に仕入れるチャンスはそれほど多くありません。また、一般的には学部と大学院は一続きとなっているので、多くの大学院生にとっての所属する研究室は、学 部時代に所属していた研究室と同じとなっています。そして、学部のときに所属する研究室を決めるときには、学部側が各研究室の受け入れ人数を一律に何人以 上何人以下と示すことが多く、学生の希望を出させた後でその枠に入らない場合はクジ引きなどで配属先を決定させることがあります。もちろん、その結果で決 まった配属リストに対して、各研究室のボスが異議を唱えることは難しいです。そして、先ほどもお伝えしましたが、学部で配属する研究室が決まると、多くの 人は大学院でも同じ研究室に所属することとなります。
大学院で所属する研究室を選ぶためのシステムに関して、日米どちらのシステムが良いかを一概に言うことは出来ません。しかし、その後の各学生の研究生活の充実度を考えると、私個人としてはアメリカのシステムの方が妥当ではないかなと思っています。」
さらに、大学院での学生の教育に関しても、日米で大きな違いがあるという。
「大 学院生の研究テーマの進め方も、日本とアメリカでは大きく異なります。日本でもアメリカでも、基本的には研究テーマは各々の研究室から学生に与えられま す。しかし、日本では与えられたテーマの進捗について研究室の外で議論する機会はあまりなく、基本的には配属された研究室の中での議論をもとに研究テーマ が進められます。アメリカの場合は、研究テーマが決まった直後から定期的に、日本で言うところの主査や副査の先生と公式な会議をする必要があります。その 会議のために学生は、自分の研究テーマの目的・実験手技の妥当性・実験結果の考察・今後の研究計画などを細かく資料としてまとめ、スライドで発表する必要 があります。その会議では、自分が所属している研究室以外の先生も参加するため、多方面に渡る質問が来ることもあり、そこでの質疑応答やディスカッション は、誤った方向に進みそうな研究テーマの軌道修正に役立ったり、研究テーマをより発展させられるようなアイデアが浮かんだりします。また、専門性が微妙に 異なる研究者に対して、自分の研究の正当性や新規性を納得させる必要もあるので、自分の研究テーマの重要性を明確に説明するスキルを磨くこともできます。 したがって、アメリカの大学院生は、研究活動に関する幅広い能力を向上させる機会を、日本の大学院生とは比べものにならないくらいに多く得ることができま す。その結果、日本の博士号取得者は、多くの優秀な人がいる一方で、全体を見てみると、その質に大きな幅が出てきてしまいます。幅があるというよりは、博 士課程修了直前の学生の質を日米で比較したときに、群を抜いて下のほうに位置する学生が日本では存在してしまうことになる、といったほうが適切かもしれま せん。
ここで問題なのは、アメリカでは博士号に値しない学生に対して博士号を与えることはないのですが、日本の場合はそうではないということで す。先ほども触れましたが、日本では博士課程3年目の年度末に博士号を授与します。そのときに、主査である研究室のボスが、『自分の退官が近いからその前 にきちんと学生に博士号を与えておかないと』とか『企業に内定が決まっている学生だから博士号を与えてあげなければ』とかという、研究とは関係のないこと で博士号を与えてしまうことがあるのです。実際に私は、アメリカのシステムでは博士号は決して取得できなかっただろうなと思うような日本人の博士号研究者 に何人も出会っています。そういう人たちに共通するのは、なんとなく周りに流されて博士課程に進学し、なんとなく博士号をとらせてもらったという感じの人 です。ただ、誤解があってはいけないので付け加えておきますが、日本の博士号取得者には優秀な方は数多くいますし、むしろ平均として考えれば世界的にも優 秀な部類に入ると思います。また、アメリカのシステムが全て良いというわけでもありません。しかし、大学院での教育システムに関して言えば、日本はアメリ カに学ぶことが多く、アメリカの良い点を仕入れれば、日本の博士号取得者の質が大幅に向上するのではないかと思っています。」
大学院に入ってくる学生の素質の違いというよりは、システムの違いによって博士号を取得する学生の能力が大きく変わると荒井さんは指摘される。ただ、元々持っている素質について言えば、日本人研究者は極めて優秀だとも仰る。
「日 米の博士号取得者に能力の違いがあるとすれば、それは元々持っている素質の違いではなく、大学院における教育システムの違いが大きく影響していると思いま す。むしろ個々人の素質に関しては、私が見た限りでは日本人はかなり優秀だと思います。日本の初等教育のシステムは、色々な批判があるものの、日本人の知 識レベルを格段に底上げするものであると個人的には思っています。また、日本人は手先が器用なので実験技術が高く、真面目に物事をコツコツと進められる国 民性なので、こちらにきている日本人研究者は他の国から来ている研究者よりも『優秀な人』が多いと思います。実は、こうした印象は私の勝手な思いこみでは なくて、アメリカでは比較的良く知られた事実です。その証拠に、アメリカでは多くのボスが日本人研究者をポスドクとして採用したがります。」
ただし、その事実は必ずしも手放しで喜べるものではないとも荒井さんは仰る。
「研 究室のトップであるボスが、日本人研究者をポスドクとして採用したがる理由は、真面目で仕事が丁寧だという点だけではなく、日本人研究者に『欠けている能 力』が評価されていることとも関係しています。先ほどの話題と関係があるのですが、残念なことに、日本人ポスドクは他の国のポスドクと比較すると、自分の 考えを主張したり、周りを説得したりする能力に欠けていることが多いです。これは、日本という国では、自分の主張をはっきりと述べることは良しとされない 文化とも関係しているのかもしれません。また、特に日本人男性に多いのですが、自分の『上手でない英語』を聞かれるのが恥ずかしいということで、異常なほ ど引っ込み思案になってしまう例もよく見られます。いずれの理由にせよ、このような性質の研究者は、ボスの立場からすると、自分の言ったことを文句も言わ ず忠実にこなしてくれる『扱いやすい』働き手として映るのです。さらに突っ込んだ事情をお話します。アメリカにいる日本人ポスドクは『留学』というつもり で来ている人が多いです。『留学』は英語では“study abroad”ですが、この単語が示すように留学には『海外で学ぶ』という概念があります。そのため、ボスの指示がおかしくても、お給料の少なさに不満が あっても、『自分は学んでいる立場だし、いずれは日本に帰るのだし』ということで、直接ボスに自分の意見をぶつける日本人ポスドクは多くありません。ま た、一時的な滞在で帰国するため、研究室のボスは、その人のキャリア構築の面倒を見る必要がなく、また、将来的には別の国で研究をすることになるので研究 費獲得などの研究面でのライバルとなることがありません。つまり、他の国のポスドクを雇うことよりも、日本人ポスドクを雇ったほうがボスとしては気持ちが 楽なのです。
アメリカのボスが日本人研究者をどのように見ているかについて、実際に私が経験した例をお話します。こちらでは若手研究者のための キャリア構築セミナーなどが、大学主催で頻繁に開催されています。私も何回か参加しているのですが、ある回のセミナーは、私と同じような立場の若手研究者 2~3人と教授・准教授クラスの研究者1人が小グループを形成し、そこで各々の若手研究者の事情に対してシニアな研究者がアドバイスをするというスタイル でした。そこで私は『自分で研究計画を立て実験を遂行し、なおかつ研究費獲得のための書類を作成するのは時間的に厳しいと感じている』というようなことを 述べました。それに対してのアドバイスは『君は日本人なのだから日本人ポスドクを見つけやすいだろう。ここは有名な大学だし、君のいる研究室のボスが著名 な研究者であったら、無給でもポスドクをしたがる人が見つかるんじゃないか?自分の知り合いにも、そうやって日本人ポスドクを見つけて、自分では実験をせ ずに研究費獲得の書類を作成している人がいるよ。実験をしながらの書類仕事は大変だから、そういう方法で書類仕事に使える時間を確保する必要があると思う よ』でした。始めは冗談で言っているのかなとも思ったのですが、どうやら本気で私のことを考えてのアドバイスであったようです。自分のことを真面目に考え てくれたことは嬉しかったのですが、日本人研究者の一人としては少し寂しい感じもしました。ただし、日本人ポスドクの将来のことを考えて積極的に育成して くれるボスも当然いるので、必ずしも日本人ポスドクのことを『悪い意味』で利用しようというボスだけではないことを補足しておきます。」
日米の比較:博士号取得後の研究者育成と博士号に対する認識
次に、博士号を取得した研究者の育成システムとキャリア構築についてのお話も伺った。
「当 然のことですが、博士号を取得したばかりの人は、研究者としてはまだまだ半人前です。したがって、一人前の研究者となるためには、博士号を取得した後も様 々なトレーニングが必要となってきます。実は、アメリカでの『ポスドク』というのは、そのような『新人研究者の育成期間』として捉えられることができま す。日本では、企業研究者となることを決めた博士課程の大学院生は、大学院在学中の就職活動により内定をもらい、博士号の取得と同時に企業に入社します。 しかし、アメリカの企業では、ポスドク経験のない博士号研究者を研究職として採用することは一般的ではありません。もちろん、どちらのシステムが優れてい るかを決めることは出来ません。しかし、『単に博士号を取得しただけでは役に立たない』というアメリカ企業のスタンスを見ると、日本のアカデミアも企業 も、博士号を取得した研究者の育成と活用について、もう少し注意を払っても良いのかもしれません。」
更に、修士の学位で企業に入社しても『研究者』という肩書きがもらえる日本の状況は世界標準ではないという事情を指摘される。
「海 外まで視野を広げると、学位に対する認識が変わってきます。日本の企業では、博士号取得者も修士号取得者も、企業で研究をしていれば同じ研究員という肩書 きが与えられます。しかし、この『常識』は、一歩日本から外に出ると常識ではありません。たとえば、アメリカの企業では、博士号を持っていない人は、いわ ゆる『研究職』に就くことが出来ません。知り合いから聞いた話を持ち出して恐縮ですが、博士号と研究職の関係についての日米の考え方の違いを示す例を紹介 します。日本の企業とアメリカの企業がお互いに研究者を出して会議を開こうとしたときの出来事なのですが、日本の企業が修士号取得者を『研究者』として出 したら、アメリカの企業では『博士号を持った人を出してください』と言ってきたそうです。私は、博士号取得者が修士号取得者よりも優れていると言うつもり は全くありません。実際に会社で研究をしていたときに、非常に優秀な修士号研究者を何人も見てきました。そのため、日本企業が修士号研究者も研究職として 採用し活用できていることは、アメリカ企業にはない利点であると個人的には感じています。ただ、現実問題として、研究者としての能力とは関係のないところ で、研究者として見なされるかどうかが決まることが海外ではあります。したがって、自分の活躍の場を海外に求める可能性のある人は、学位に対する国ごとの 認識の違いも注意しておく必要があるかもしれません。」
日本企業が修士号研究者を上手に活用している一方で、博士号研究者の活用はそれほど上手くは進んでいないようだ。
「多 くの日本企業では、博士号研究者も修士号研究者も、同じ研究職として4月に一斉に新入社員として採用します。もしかしたら意外に思われるかもしれません が、アカデミアでの研究の進め方と企業での研究の進め方には、大きく異なる点が多く見受けられます。そのため、入社した時点では、博士号研究者も修士号研 究者も『企業研究者』としての経験はゼロで、両者ともに同じスタートラインにいることになります。しかし、博士号研究者の場合は、博士号の学位を取得して いるがために、修士号研究者に比べると、一人前の企業研究者となるための教育が不十分なことがあります。さらに、『博士だから出来るだろう』という目で見 られることもあり、仕事への期待レベルが最初から高いこともあります。そのため、このような高いレベルの期待に見合う仕事をしないと、『博士号研究者はだ めだ』と評価されてしまうことになります。しかし、各々の博士号研究者のポテンシャルを見極めないまま育成努力もしない企業の中で、高いレベルの仕事を期 待されて遂行できずに潰れていく研究者を見ると、企業にとっても研究者にとっても幸せな状態ではないなと思ってしまいます。とはいえ、先ほど触れたように 『博士号に値しない博士号取得者』が企業に生息していることも事実です。そのため、やや意地悪な見方かもしれませんが、企業にとっては、博士号研究者の育 成や活用のシステムを作るよりも先に、個々の研究者の能力を正確に把握できるような『目』を持った人間を育成することが必要なのかもしれません。」
いずれにしても、日本企業で優秀な博士号研究者を上手く活用するためには、システム面での整備が必要だと仰っている。
「同 期入社の博士号研究者と修士号研究者を、入社直後の時点で比較すると、博士号研究者の方が研究者として優れていると言っても間違いではないと思います。こ れは、その時点で3年間の研究経験の差があるので当然といえば当然です。しかし、入社5年後、10年後になると、状況は異なってきます。あくまでも私個人 の印象ですが、現在の日本企業の中では、どちらかと言えば、博士号研究者よりも修士号研究者の方が活躍しているように思います。これは、今までのところ、 多くの日本企業では博士号研究者を雇った経験があまり多くなく、そのために、博士号研究者を活用しきれていないことと関係しているのではないかと思いま す。しかし、最近では博士号研究者を新卒や既卒に関わらずに積極的に採用しようという動きがあると聞いていますので、今後は日本企業においても、博士号研 究者が自分の能力を充分に発揮できるような状態になったらいいなと思います。いずれにしろ、博士号研究者は、新卒既卒を問わず、企業に入ったばかりの頃は 『企業研究者としては未熟』なので、企業側が博士号研究者の実態に則した育成システムを確立する必要があると思います。もちろん、博士号研究者の側も、 『育成されて当然』という姿勢でいるのではなく、博士号取得者としての良い意味でのプライドを持って、日ごろから自分を磨く努力をしないといけないと思い ます。ここ数十年くらいは、修士号研究者が日本企業の研究所での主力であり、博士号研究者の寄与度はそれほど高くはありませんでした。ですが、今後は、博 士号研究者の持つ能力を上手に伸ばし、かつ積極的に活用していけるようなシステムを生み出した企業が、国際的な競争力を獲得して発展していくのではないか と思っています。ただし、その場合は、博士号研究者が修士号研究者の活躍の場を奪ってしまってはアメリカ企業と同じになってしまうので、修士号研究者の良 さを打ち消さないような注意が必要であると思います。」
日米の比較:人材の気質
大学院のシステムに関してはアメリカに見習うべき点があると仰る荒井さんに、逆に日本が持つアドバンテージはないのか伺った。
「研 究のシステムや研究を取り巻く環境について、アカデミアに限って言えば、日本になくてアメリカにはあるという例がとても多いです。大学院生の教育システム 以外の例では、アメリカでは基礎研究に使える資金が多い、30代半ばの若い研究者でも独立した自分の研究者を持つことができる、などが挙げられます。た だ、実験機器などのハード面に関しては、どちらかと言えば、日本の研究室の方が最新のものを所有していることが多いように感じます。しかしこの点は、日本 の研究費がポスドクなどの労働力を雇うことよりも機器などの購入に使うことを推奨されていることが関係しているため、一概に日本が持つアドバンテージと 言ってよいかどうかはわかりません。と言うのも、良い研究成果を出すのは、実験機器ではなくポスドクなどの研究者です。そのため、いくら最新の機器があっ てもそれを活用できる優秀な使い手がいないと、その機器の価値は半減してしまいます。しかし、日本に全くアドバンテージがないということではありません。 日本はシステム面でやや後れをとっているかもしれませんが、個々の研究者のポテンシャルを見れば、日本人は『実験者』として非常に優秀です。そして、それ こそが日本の持つアドバンテージではないかと思います。
日本人とそれ以外の国のポスドクを比較した場合、日本人は実験技術などに注意を払い自分の データに自信を持てるところまで繰り返し実験をする感じですが、他の国の人は、実験の精密さよりも得られた実験データが、『自分の仮説や研究テーマのス トーリーに沿っているかどうか』を重要視することが多いように思います。それと似たような傾向として、研究成果のプレゼンテーションでも、日本人は実験 データを理解してもらうことに意識を向けますが、こちらの人は研究プロジェクトのストーリーを重視する傾向にある気がします。ただ、これに関しては個人差 があるので、ステレオタイプ的に他の国の人が必ずしもそうであると言い切ってしまうことはできないということを念のため付け加えておきます。」
この違いは『研究費獲得のための申請書』と『研究活動に対する考え方』に関する日米の違いが影響しているようだ。
「ア メリカで研究費を獲得するための申請書は、日本と比較すると、そのボリュームはかなり大きくなります。私も現在、新たな研究費を獲得するために申請書を作 成しているのですが、その申請書は、事務的な書類を除いた研究計画の部分だけでも、レターサイズで20ページ以上にわたり詳細に書かなければいけません。 申請書を審査する人は、通常はその分野で著名な研究者たちなので、当然とても忙しい人たちです。ですが、審査員の先生方は、そのような書類を一人につき何 十と読んで研究費を与えるかどうかの判断をしなければなりません。したがって、忙しい人にも読んでもらい評価されるためには、研究計画書は仮説の妥当性を 明確に示し、なおかつ申請する研究がいかに重要なものであるかを魅力的な文章で興味深いストーリーのもとで綴られる必要がでてきます。また、そのようにし て得られた資金は、自らの仮説の信憑性を高める実験データを得るために使われるのですが、その実験データは他人に出してもらうことが多いです。言い換えれ ば、得られた研究資金の一部を使って人を雇い、その人に自分の仮説が正しいことを証明する実験データをとらせようとするのです。このような経緯から、こち らの研究者が自身の研究成果を発表するときは、得られた実験データの報告というよりはむしろ、自らの『仮説』と『その妥当性』を紹介しているような感じに なります。つまり、得られた実験データは、仮説の信憑性を高めるためのものでしかなく、実験そのものに対しての注目度はあまり高くはないのです。この話 は、やや誇張した表現かもしれませんが、研究そのものに対する日本人研究者とそれ以外の国の研究者の考えの違いを大まかに理解していただければと思いま す。」
また、日本人研究者の持つ『実験者として優れている』というアドバンテージは、それだけではあまり意味がないとも指摘される。
「こ れまでに述べてきたように、日本人研究者の『実験技術・実験データ』に対する意識は非常に高く、それゆえ『実験者』としては世界的にはトップレベルにあり ます。このことは、日本が持つ大きなアドバンテージには違いありません。ただ、アメリカでは『一つ一つの実験』という小さな部分の完成度の高さよりも、一 連の実験結果をまとめた研究プロジェクトの新規性やストーリー性という大きな部分の面白さで評価されることが多いように感じます。繰り返しになりますが、 日本人は自らの研究プロジェクトの重要性を他者に納得してもらうように説明することが苦手です。そのため、日本人研究者はその能力の割に、『研究者』とし ての評価は悲しいくらいに低いように思われます。ただ、研究は一つ一つの実験データがないことには意味をなしません。『実験者』として優秀になるのには、 真面目さや丁寧さなどの一朝一夕には身につけられない資質が必要です。しかし『アピール上手』になるためには、練習や訓練などで比較的短期間の努力でもで きます。そのため、日本人研究者が『実験者』としてしか評価されていない現状でも、少しだけ努力の方向性を変えれば、すぐに『研究者』としても評価される ようになると思っています。」
これらの日米の人材の気質の違いは、日本人が注意するべき点を考える上で重要だという。
「ア メリカは良いシステムを作ることが得意です。このことは、自分の得意なルールを作って勝負することが上手だということにもつながります。現在、自然科学の 研究分野での共通語は、アメリカの言語である『英語』です。どのような素晴らしい研究成果を出しても、日本語で発表していては世界では認知されません。ま た、研究のトレンドも研究成果を評価するシステムもアメリカが作っています。つまり、日本人はアメリカが作ったルールという不利な状況のもとで勝負をして いることになっています。ですが、そのような状況でも日本人研究者は多くの重要な成果を出しているのです。私は日米両国で色々な国の研究者を見てきたので すが、日本人研究者はかなり優秀だと感じています。しかし、その優秀さがあるにも関わらず、言葉は悪いですが、日本人はアメリカのために利用されているこ とが多いです。こういった状況を私は少し寂しく思うことがあるので、個人的な希望で申し訳ないのですが、これからの時代は、日本が研究を含めた様々な分野 で世界のイニシアチブをとってほしいと思っています。このことは決して夢物語ではなく、日本人の持っている『特殊な能力』をより生かせるように、今ある欠 点を克服していけば実現できると信じています。ただ注意しなければいけないのは、日本のシステムを全てアメリカ流にしては意味がないということです。全て のシステムは良い面も悪い面も両方とも持っています。そして、日本のシステムにも当然のことながら優れている点が存在します。ですが、今の日本は、日本の システムの良い点を捨て、アメリカのシステムの悪い点を拾っているような気がすることもあるので、日本の将来に不安を感じることがあります。」
最後に、日本とアメリカの2か国での研究生活を経て、日本人の学生に期待している点を荒井さんに伺った。
「私自身が駆け出しの研究者なので、『学生に期待している点』などと偉そうに言える立場にはないのですが、日本人の学生に向けて2点だけお伝えしたいことがあります。
1 点目は、日本の学生はとても優秀だということです。日本人は、どんな作業に対しても、細かい部分まで気を配り、真面目に取り組みながら努力することが出来 るという強みがあります。このようなコツコツ頑張るタイプの人は、我の強い外国人と比べると目立たないので評価されにくいのですが、その仕事が『本当に必 要なもの』であれば、必ず評価される日が来ます。そのため、評価されていないと感じて精神的に辛くなっても、諦めずに頑張ってもらいたいと思います。
2 点目は逆に、日本の学生にも足りないことがあると言う点です。私の思い違いであれば嬉しいのですが、最近では、自分の頭で考えることが苦手な人が増えてき ているように感じます。そのため、『何が正しくて何が正しくないのか』とか『自分は何がやりたいのか』というような根本的な質問に対する答えを、学生の頃 から考える習慣を身につけておいたほうがいいと思います。模範解答のあるテストの問題を解くのとは異なり、このような類の問題に対する答えを見つけだす能 力はすぐには身につきません。また、社会に出てからは、このような問題とは常に向き合っていかなければなりません。そのため、この能力がないと、せっかく の真面目な努力が『無駄な努力』となってしまうことがあります。
したがって、日本の学生に期待している点をまとめると『自分の頭でよく考えて、正 しいことを真面目に取り組めるような能力を身に付けた社会人になってもらいたい』ということになります。実は、これは私自身の目標でもあり、そのような 『優秀な社会人』になれるように努力をしているところです。最後になりましたが、もし可能であれば、皆さんと一緒に力を合わせて、日本が世界の中でリー ダーシップをとれるような国になれるような活動をしていければと思っています。」
【荒井 健氏】
ハーバード大学医学部 インストラクター
マサチューセッツ総合病院 アシスタント・ニューロサイエンティスト
1998年 東京大学薬学部卒業
2003年 東京大学大学院薬学系研究科博士課程修了(薬学博士)
同年 武田薬品工業株式会社 入社
2006年 武田薬品工業株式会社 退職
同年 ハーバード大学医学部・マサチューセッツ総合病院 リサーチフェロー
2007年 ハーバード大学医学部 インストラクター
2008年 マサチューセッツ総合病院 アシスタント・ニューロサイエンティスト