今回は、博士号取得後に米国にて研究生活を送り、その後日本で文部科学省科学技術政策研究所や日本物理学会キャリア支援センター等で科学 技術政策や大学院の現状について分析を行ってきた三浦有紀子博士にお話を伺った。オルタナティブ・キャリアに限らず、アカデミアや企業での研究職も含めた キャリア・デザインについてお話頂いた。
大学院を取り巻く状況
インタビュアー(以下 ”I”):
大変お忙しい中お時間をとっていただき、誠にありがとうございます。
今 日は国内の大学院が現在おかれている状況や、大学院生の就職に対する意識等のトピックについて、海外との比較や企業側からの視点なども交えながら伺いたい と考えています。まず国内の大学院が現在置かれている状況、特に大学院の重点化により生じた影響について伺えますでしょうか。定員の増加に伴って学生の質 が低下したという議論も一部で起こっているようですが、この点について、大学の先生方は実際にどのようにお考えでしょうか。
三浦さん(以下 ”M”):
大 学院の定員について、最近では適正数についてきちんと議論し、減らす必要があるのであれば減らすべきだと言う先生が出てきています。実際、大学院の入学志 願者は2003年をピークに減少しているので、実質入学者数も減り始めています。大学院重点化は、先生にとってもメリットのあることだったから進んだのだ と思いますが、やはり学生を増やすにも限度はあり、先生方も限界を少し超えているのではないかと感じていらっしゃるのではないかと思います。優秀な先生で も、目をかけ、手をかけられる数には限りがありますから。
先生方は、このような研究室内での実感に加えて、大学院を取り巻く状況を理解されていま す。たとえば、企業側からは、「自分たちの後継者として優秀な上澄みをとった残りの二番手、三番手を産業界に引き受けろと言われてもそんなのお断りで す。」と言う意見も聞かれます。そうした状況を見て、「社会のニーズをモニターし、大学院教育に反映しなければならない。」と言い始めている先生もいま す。
I:
そういう先生は今後増えそうでしょうか?
M:
社会の要請から増えざるをえないと思います。
し かし現状では、いったん学生を受け入れたら中退させられない様子がうかがえます。日本の社会通念とも関連しますが、履歴書に穴があるとか、中途半端に終 わったという経歴が本人の痛手になることを考えざるを得ません。そこまで痛手を背負わせるのはかわいそうだということで博士号を出したり、ポスドクとして 雇用している実態があることは否定できません。大学の先生方にとっての社会のニーズとは、卒業生を欲しいという労働市場からのニーズでもあるし、大学院で 学びたいという学生側からのニーズでもあります。一人でも多くの学生の希望、つまり研究を続けていたいという希望に沿うのも、ある種のニーズに応えること になるでしょう。
その一方で、ポスドクや博士課程の学生を引き受けるのは、手を動かしてくれる自分の部下が多いと研究が進むという先生の 心理があることも確かです。ただ、それは日本に限ったことではありません。アメリカでも、学生やポスドクと教員の間には、多少大げさに言えば利用するかさ れるかという関係があって、互いに切磋琢磨しているという感じです。学生やポスドクも利用されるばかりでなく、先生のネットワークから自分のコネクション を作っていこうという気概でいます。日本でも先生と学生がいい意味でお互いに利用し、利用されつつ前に進めればいいと思います。もちろん先ほど言ったよう に、日本では特有の事情があるので簡単には割り切れないことです。ただ、マクロな視点から見てみると、大学院生やポスドクは非常に優秀な人材であって、そ ういう人達をポスドクとして年収200~300万で長々とラボに置いておくというのは、社会全体にとって良いことなのかどうかは甚だ疑問です。もっと活躍 できる道があると考えるのが自然でしょう。
先日東大のある先生と話す機会がありましたが、適正な人数を考慮した上で、大学院への進学とは別の道を良いタイミングで歩めるように、博士課程への入学をお断りすることも必要だと仰っていました。
I:
意識の変わりつつある先生の分野に特徴はありますか?
M:
ど の分野が顕著かというのはわかりません。私がよくお話しするのは私自身の出身のバイオと前職で関わった物理系の先生くらいですから。ただ、大学の中で主要 なお仕事を任せられ、全体に目を配る必要のある先生はそういうことをきちんと考えていらっしゃると感じます。きっとそういう先生は大学の中でも発言力があ るのではないでしょうか。
I:では今後の大学院の定員については、入学者数は頭打ちの状況でもしばらく募集枠は減りそうにもない、という認識で正しいでしょうか?
M:
大 学院の設置申請をする際にはいろいろな準備をして、これだけの教育環境が整っているからこれだけの学生を教育できますと言った以上、学生が集まらないから と言ってすぐにやめるわけにはいきません。定員が削減された分のインフラを、教育の質向上のために使えるという確証があるなら別ですが。今のままでは、募 集枠が狭まること自体、先生にとっても学生にとってもメリットにはならないでしょう。
I:
先ほど、「大学院の定員について、適正 な人数について検討し、必要であれば減らすことも検討すべきだと考える先生もいらっしゃる」と仰っていましたが、大学院を縮小することによって研究費の割 り当てが減らされる等のデメリットがあると、大学の先生にはインセンティブが働かないのではありませんか?
M:
その場合、システム自体を変えようと提案すればよいのです。学生数に対応する配分ならば、本当に一人あたりの予算はこれだけでよいのかとか、あるいは数に対応するやり方以外にもっと適切な方法があるんじゃないのかとか、議論する余地はありますよね。
I:
ど の程度のスピードでそうした変化が起きるのかが心配ですね。去年も博士課程の入学倍率が一倍を切っていることが明らかになりました。それは博士課程が機能 していないという学生からのはっきりとした意思表示だと思うのですが、それに対する応答がどの程度期待できるのか、大学の先生の意識が変わるのにどれだけ 時間がかかるのか懸念されます。
M:
確かに一倍を切ったのは意思表示ですが、バリバリやっている先生のところには学生が殺到するので、そういう先生には実感がわかない可能性もあります。ただ、変化が起き始めたらその潮流は意外に早く広まるのではないかという気もします。
たとえばあなた方のように、学生がwebでこういうことをやり始めているとか、自分のラボの学生の考え方がこれまでとは違うということに先生方も気づいているはずです。
あ と少し話は変わりますが、現在のポスドク問題を考える上で一番問題なのは、大学院生やポスドクというのは社会全体から見れば、1パーセントにも満たない数 だということです。文部科学省がポスドク15,000人について頭を悩ませていても、厚生労働省がフリーターは100万人いますと言えば数ではとても太刀 打ちできません。単なる数の議論に終始してしまえば、ポスドク問題は取るに足らないことなのです。でも、実際には違う。この15,000人をいかに活用で きるかは日本の科学技術の発展にも影響しかねない大きな問題です。
日本と海外との比較・分野ごとの差
I:
次 に研究者の就職や転職について、海外との比較も含めて伺いたいと思います。人づてに一度耳に挟んだのですが、アメリカでは履歴書に年齢を書く枠がないそう です。これは年齢制限が日本以上にないという理解で正しいのでしょうか。また逆に、日本での研究者あるいは博士課程卒業者の就職活動に関して、海外と比較 してどのような特徴がありますか?
M:
アメリカは歴史的に差別によって痛い経験をしてきたから、人種、性別、年齢で差別しないと いうのが現在では徹底していますよ。それに少しでも抵触したら、第三者機関から組織におしかりがくるシステムです。だから募集する段階では問えません。で も、実際に提出する履歴書には生年月日や出生地、国籍、性別を書くのが普通です。
今の日本の就職事情で何かおかしいのかといえば、企業がエント リーシートを選別するのに、年齢をみていることが多いらしいということです。研究開発系の人材を採用する場合でも、エントリーシートの中身を見て判断でき る人が目を通す前に、何もわからない人事の担当者がさっさと選別しているとは聞いたことがあります。研究系の人たちは、「それではいい人を取り損ねてしま う」と問題にしているそうです。
I:
今お話に出た日本の雇用制度について次は伺いたいと思います。ナイーブな博士の考えでよく聞 くのが、学卒の給料でもいいから雇ってくれという話です。ただこれは企業側からすると年齢の関係でそういうことはできないのだと思います。ただ、就職活動 を進める際に「博士課程の人はちょっと…」というように遠巻きに断られたことがあるという話を聞いたことがありますし、エントリーシートの段階では年齢だ けで判断されてしまうこともあるという今のお話にもあるように、日本では「若い段階で採用して社内で育てる」という意識が高いのかなと感じますがいかがで しょうか。もちろんそのような意識それ自体が悪い訳ではないと思いますし、業種・業界によっても博士号取得者を取り巻く現状は大きく異なっているので、ひ とくくりにしてお話するのは難しいと思いますが。
M:
まず認識すべきなのは、ポスドクが企業へ就職する場合には中途採用枠での判 断となることです。それは、採用活動をしている一企業の立場から言えば、他社でキャリアを積んできた同年代の人たちと比較するということです。大学院の新 卒募集では、多くの企業で修士と博士の区別はありません。初任給についていえば、博士は修士との年齢差3年分の上乗せがあるというのが一般的です。
未 だに年功序列でガチガチになっているというのは企業に対する大きな誤解ですね。もうそこまで年功序列ではないですよ。急激な成果主義の導入で失敗したとこ ろもありますが、成果を上げた人がきちんと見返りを受け取れるシステムにしていこうという流れになっています。それに、多くの企業がキャリア採用(中途採 用)に積極的なのは、たくさんの媒体からも伝わってくるでしょう。
学生さんたちにはシステム改善が進んでいるところを選んでくださいと申し上げたいです。企業は、こうすればいい人材がとれると分かればレスポンスは早いはずですから。
新 卒採用の段階で、修士と博士を比べて同じ能力なら若い方をとりますよ。でも、よく考えてください。修士の段階で就職活動するというのは、研究経験があるか ら採用してくださいというレベルではなく、ポテンシャル採用です。それに対し、博士課程の学生が就職活動するときには自分のテーマを持って研究してきたと いえるレベルです。これは大きな違いであって、採用選考する方々にもっとわかってもらう必要があると思います。
I:
確かにそういう事情はなかなか企業には分かってもらえないという印象があります。
M:
少 し前になりますが、経団連のアンケートでは博士の採用実績がある企業が、博士は非常に期待に応えていると回答しているんですよ。でも、他の企業にそういう データを見せて、博士の採用はどうですかと聞くと、いい人に巡り合うまでの労力がかかりすぎると言われます。修士の場合、採用を受け付けた瞬間に大量のエ ントリーが来るので多くの候補者の中から選別できるという利点である一方、博士は探す手間がかかる割には品質保証がされていないと言われてしまうんですよ ね。逆に、博士を採用して良かったと言っている企業は、その手間に見合うものを博士は持っているという意味の回答なんでしょうね。
文部科 学省で定期的に実施している研究開発活動をしている企業に対する調査でも似たような結果が出ています。今後の採用の増減について学歴ごとに聞くと、博士に 関しては増えてないんですよね。業績好調で修士の採用を増やすと回答しているところも博士については増やさない。そもそも新卒の場合、区別しないで採用し ているから、分けて聞かれたら困るところもあるようですが。