第2回はケリーサービスジャパンの片岡達彦さんにインタビューを行った。片岡さんは現在、ケリーサービスジャパンで理系に特化した人材コンサルタントとして働いている。今回は片岡さんが研究職からキャリアコンサルタントになるまでの道のりについてお話を伺った。
進路選択
そもそも片岡さんが農学部に進学したのは広い世界を見てみたいという欲求からだったという。
「当時はバイオや環境問題がブームでした。その影響もありますが、農学の間口の広さが良いと思いました。高校時代は水泳部に所属し、毎日タイムを争う世界でし た。でもそのうちに、大学に入ったら広い世界をフィールドにしたいとだんだん思うようになりました。学部選択もその延長上にあって、入り口の広い農学・バ イオ系に進めば、入学後に研究テーマとして、動物や植物、微生物など幅広い選択肢の中から選べると考えたんです。もともと生物に興味がありましたし、農 学って何でもありなんですよね。例えば、薬学部に進むとフィールド調査には行けないけれども、農学のほうに進めば将来的には製薬業界にも行くことができ、 あわよくば発展途上国を含む海外で、実験室の内でも外でも研究することが可能です。出来ることの幅が広いのは農学だと思いました。やりたいことが既に決 まっていればいいですが、私は決まっていなかったので学ぶ中で見つけられれば、という思いがありましたね。」
「僕が進んだのは農業化学の分野だったので、実験室での仕事が多い学科でした。幅広く学ぶことが出来たけれど、実際に農作物を育てることはあまりありませんでした。でもとにかく時間 は作れたので、自分で色々と興味あることに首を突っ込んだりしました。」「高校でやっていた水泳も確かに充実感はあるけれども、自然から見たらプールなん てただの水溜りじゃないですか(笑)。結局イルカに勝てないんだなと思いまして。水泳はもう高校で終わりにして、地球を舞台にして活躍したり、未知のもの に出会いたいと感じました。こう考えて探検部を選んでいろんなところに行きました。冬山に行ったり、未開発地域に行って記録を残したり。先輩について行って西表島の植生調査を手伝ったりもしましたよ。」
研究生活へ
卒業論文ではウズラを使ってホルモンとビタミンとストレスの関係を研究した。卒論を書いていた頃は、就職よりも研究に漠然とした魅力を感じていた。
「周りは就職活動をしていました。そういう意味で将来のことについて意識はしていたけれども、研究のほうが面白そうだと思っていました。」
学部を卒業後、東京農業大学大学院に進学。修士課程でも引き続き動物を対象とした実験を行ったが、博士課程からは研究対象を植物に変え、東京大学大学院博士課程農学生命科学研究科に進学した。
「植 物っていうのは非常に魅力的と思いました。土壌と大気の境界に存在して、土壌に根を張り、地上に葉・花・実をつける。例えば水の循環を見たときも、土から 出て植物を介して空気の中に出て行く。ガスや光エネルギーもそうです。結局、植物がいろんな物質循環のキーになっていると思って、植物は一度研究してみた いなと思ったんです。それで植物の研究室に入りました。」
研究対象を変えたのも、「広い世界を見てみたい」という欲求と関係があるようだ。
「も しかしたら飽き性なのかもしれませんね。だから動物はもうここでいいやと思って、今度は植物と切り替えたんです。やっぱり他の世界を見てみたい、って言う のがあるんでしょう。次から次へとこういう世界を見たいという動機で動いているので、変わることに対して不安や抵抗は感じませんでした。」
「植 物分野に移って有利だったのは植物と動物、両方を常に比較できたことでしょうか。やっぱり植物の人は植物のことしか知らないですね。私は比較対象を持てま した。大学院では土壌学も学んでいましたが、この動物と植物と土壌、3つの分野では研究者の気質も違って面白かったです。生物の研究は、DNAの発見、分 子生物学の進展で爆発的な情報量が生産され、特に動物分野は競争が激しいので、研究のサイクルが非常に短いのに対し、植物は育てるのにも時間がかかるの で、動物よりは時間軸が長いですよね。でも土壌の分野はもっとずっと長いスパンです。これが研究者の気質にも影響してるのかなと感じましたね。」
博士課程修了後:オーストラリアと理化学研究所での研究
博士課程を1998年に修了し、CSIRO(オーストラリア連邦研究所)に留学した。
「オー ストラリアでは植物の研究の中でも、特に分子生物学的手法を用いた研究をしました。普通の植物が育たないような深刻な問題のある土壌でも、ある特定の品種 は生長することがわかり、その品種ではどのような生理学的な現象が起きているのか、原因となる遺伝子を同定することにより、分子レベルでそのメカニズムを 解明しました。また、同定した遺伝子を異なる品種の植物に導入することによって、上述の土壌での生育にどのような影響を及ぼすか検証も行いました。」
片岡さんがオーストラリア留学の中で最も印象的だったことの中に、日本とオーストラリアでの間でのバイオに対する国民理解の差があった。
「留 学して強く思ったのは、オーストラリアは農業国だから農業が産業として力がある。国民としても、日本が工業国として工業製品に興味を持つのと同じように、 ワインの原材料のぶどうの品種を含め、農作物に対して高い関心を持っている。だから植物の研究に国の予算もつくんですよね。オーストラリアにいた時は、一 般の人に植物の研究をしていると言うと、どういうものなのかと日本で聞かれたことのないような質問をされることもありました。同じ分野でも国によってこれ だけ違うんだよな、と思いましたね。」
国民や社会の状況が違えば研究者を取り巻く状況も変わる。この体験は片岡さんの中でかなり大きかっ たようだ。帰国後、理化学研究所において、植物の研究を続け、植物の成長に不可欠な栄養素の吸収や転流に関わる膜タンパク質の研究を行い、研究成果を学会 や論文で発表してきた。
キャリアチェンジ:研究からビジネスの世界へ
このようにお話を伺ってみると、研究者としては順当なキャリアを歩んでいるようにも思える。しかし片岡さんは研究を続けるのではなく、ビジネスの世界に挑戦することを選択した。
「研究を続けられる環境はありました。僕のプロジェクトも転職当時であと4年残っており、予算もありましたので。けれども私の立場は期間限定のポスドクでしたので、その次はどうするのか、ということを常に考えていました。」
特にポスドクや研究をめぐる社会の環境が厳しいものであったというのも片岡さんのキャリア選択に大きな影響を与えている。
「大学、研究所ともに、好きな研究をすることが非常に難しい時代になってきたというのもありましたね。予算をとるために学生を集めなければいけないし、以前は ポジションが安定して好きなことをできる環境だったのが、そういう訳にもいかなくなってきた。大学や研究室の統廃合も起こることが予想される中で、研究も 教育も中途半端になる危険を感じていました。そういう大学の限界を感じる一方で、友人の影響もありビジネスに興味が湧いてきました。これまで大学や研究所 で培ったキャリアをどう活かせるかなと考えたんです。研究はパトロンがいて成り立つという面もあるので、国がポスドク一万人計画と主張しても、実際には国 には資金的な余裕がないことも見えてきていました。技術立国だって叫んでいながら、実際に何もやっていない。ポスドクが干上がるような状況です。そこで、 そういう人をサポートする側に回れば、何かしら役に立てるのでは、と思いました。コンサルタントという仕事はこの問題への一つの解決法ですよ。」
このように考えた末、2006年にテンプスタッフケリー(現ケリーサービスジャパン)に入社。理系人材コンサルタントとして活躍している。
実際にビジネスのフィールドに飛び込んでみて、大学院や研究の中で学んだことは役に立ったのかどうか最後に伺った。
「物 事の考え方が身に付きます。研究では何が必要なのか、何が本質なのかをテーマにしますよね。どういう手段をとるべきなのか、何が問題なのかを考える。これ はビジネスと同じなんです。対象を決めて過去の研究を調べながら実験計画を立案し、実験してサイエンティフィックな意味のあるデータを出し、成果を論文や 口頭の発表で報告します。そうした一連の流れの中で基本的な考え方やプレゼンの方法をしっかりと習得できると思います。こういうことを純粋科学の世界で学 んでおくことはどんな分野に行っても役に立ちますし、考え方が習慣として身につきますね。また、博士号を持っていることによって、現職においては、研究者 始めスペシャリストの方に親近感を持ってお話いただいているという実感があります。」
【片岡達彦氏】
ケリーサービスジャパン株式会社
KSR部統括部長
1998年、東京大学大学院農学生命科学研究科応用生命科学専攻を修了(農学博士)。
その後、CSIRO(オーストラリア連邦研究所)、理化学研究所における研究活動を経て、2006年6月より現職。
理系人材に特化したキャリアコンサルタントとして紹介業務を行っている。
【編集後記】
片岡さんからお話を伺っていて強く感じたのは、「広い世界を見てみたい」という好奇心が片岡さんの原動力になってきたということだ。
研究を志す人と話してみると、好奇心や何かを知りたいという気持ちが強いように感じるが、この好奇心はどこの世界に行っても通用するのではないだろうか。 研究では物事の根本的な考え方や分析力が身に付くと片岡さんは仰っているが、それも物事に対する好奇心があってのことなのではないかと感じた。
博士課程に関しては、「研究が好きなら進めばいい」と語ってくれたが、キャリアコンサルタントとしてポスドクの方が置かれている厳しい状況も多数見ているようだ。改めて「博士問題」の難しさを感じさせられた。