今回は、東京大学の助教であり、株式会社リバネス(※1)で専務取締役を務める、髙橋修一郎さん(博士(生命科学))にお話をお伺いした。
高橋さんは、学生時代、基礎研究にこそ価値があるのだと信じていた。しかし、実際に研究を始めてみると、社会に役立つことを目的とした研究にも惹かれ始め る。求める研究のスタイルとして基礎と実学の間で悩むが、やがて自分は基礎的な研究だけでは飽き足らないことを肯定的に自覚するようになる。偶然、立ち上 げに参加したベンチャー企業での経験と、大学における研究が最終的に融合したという高橋さんの、大学入学から現在までをインタビューさせていただいた。
大学入学と学部時代:社会的意義を求めて植物へ
高橋さんの家族は全員理科系で、母親は大学教員だった。こういったアカデミアでの研究が身近な環境で育ったため、自身も研究者になるものだと信じきっていた という。高校生の頃、リチャード・ドーキンスの「利己的な遺伝子」や、「ゾウの時間 ネズミの時間―サイズの生物学」などの本を読み、生物への興味を持ち始めた。
バイオを専攻にしようと、大学は東京工業大学の生命理工学部 に入学し、学部4年の研究室配属では光合成に関する研究を行う研究室に入った。しかし、研究に没頭し充実した毎日を送る一方で社会と研究現場の距離の遠さ に疑問を抱き始め、「ダイレクトに人の役に立ち、社会に影響を与えるような仕事をしたい」という想いが募り始めた。
「今では太陽電池への応用な ど、光合成の重要性というものが認知されていますが、(大学4年生であった)当時は自分の研究が社会的にどう役に立つのかなんて分かっていませんでした。 この認識が甘かったことには後々気づくのですが、当時は不勉強のくせに希望ばかりが先に立っていました。」
東大の院へ:基礎研究と社会的意義の間の葛藤
研究が及ぼす社会的意義が気になり始めていた高橋さんは、大学院から研究室を変えた。
「私が選んだ分野は植物病理学という分野でした。植物の病気を治す、ということが自分にとって分かりやすいモチベーションになるのではないかと感じました。植物の病気を治すことで、食糧が増産できる。そのような研究は、ひいては社会の役に立つだろうと。」
しかし修士になり研究室に入ってからも学部のときと同様の疑問を感じ始める。
「修 士の頃はこの研究を進めて何が得られるのか、という疑問を日々感じていました。私の研究テーマはあるウィルスの病原性発現に関する研究でした。もちろん、 研究活動は楽しかったし、少しでも成果が出たときには、やはりうれしかったです。でも、研究を進める中で(当たり前の話ですが)自分がやっている研究テー マは植物病理学の大テーマから見れば細部の細部で、いったいこのまま研究を続けていてどうなるんだろうと焦る気持ちがあったんですね。周りの友人は就職し てすでに社会の中でしっかりと働いている。いったい自分はここで何をしているのだろう?何をすべきだろう?ということを常に考えていました。そのような気 持ちで研究をしていると、自分が求める(植物の病気を治すという)大義名分の部分と日々の実験がかけ離れているような気がしてきました。これは研究をやる 側の気持ちの問題であって、研究のテーマ自体の問題ではないのだということを今ではわかっています。でも、その時にはそれに気づかなかった。今、自分の反 省を含めて感じていることですが、研究を始める段階で多くの学生が陥りやすい間違いとして、自分が日々行っている研究を通して世界が変わるようなことを性 急に求めて過ぎてしまうことがあるのではないでしょうか。私もそんな自意識過剰に陥っていました。」
起業へ:リバネスの仲間との出会い
「このようなことを考えながら研究を進めていましたが、先生方、先輩方の姿を見ていて自分の中の目指す研究者像もだんだんと変わっていきました。自分の研究は直接世界を変えはしないかもしれない。でも、研究の積み重ねは必ず世界を変える。そう思えるようになりました。」
しかし、高橋さんは、この頃ふとしたきっかけで学部時代の友人らとともに起業をすることになる。この時に興した会社がリバネスである。リバネスは、理工系の大学院生だけで立ち上げた科学教育の学生ベンチャーだ。
「私は諦めがとても悪くて、大学で研究をする中でも、世の中にダイレクトに貢献できる何かをしたいという想いをまだ強く持ち続けていたんですね。その想いがリ バネス設立に参加するという行動で現れたのだと思います。科学教育活動を通じて、世の中にサイエンスの面白さを伝える。これは、どんな研究者でもできて、 且つ、これからとても重要な活動になるだろう、と直感したんですね。その想いは今も変わりませんが、立ち上げの当時、恥ずかしながらサイエンス・コミュニ ケーションとか、パブリック・アンダースタンディングなんて言葉は知りませんでした。」
研究モチベーションの自覚:社会的意義の明確な活動へ
高橋さんがもともと目指していた研究者像は、今の高橋さんとはまったく異なるものだった。
「私 の母は情報科学分野の研究者です。この分野は応用的な研究分野だとは思うのですが、母自身は完全に自らの興味関心で研究を進めているように見えました。当 然のように私もその影響を受けたのでしょう、研究を始めた頃はアカデミックなことこそが重要なのだという変な固執がありました。自分の興味や関心に訴える ものがあるかどうかがとにかく重要であって、役立つ、とかあるいはお金が儲かるというのは副次的なものに過ぎないのだと信じていました。もちろん今はどち らも重要だと思うわけですが、その当時は教科書を1行増やすことのほうがお金を儲けることよりも重要なのだという価値観に勝手に縛られていたんです。」
しかし研究を進めるにつれて、社会的意義が明らかな研究の方が、自分のスタイルに合っていることに気づく。
「経 済的指標ではその価値が測れない、純粋なアカデミズムというものには、昔から憧れてきましたし、今も憧れています。ただ、自分自身が純粋なアカデミックな 興味だけで一生研究を続けていけるかどうかについては、研究を始めた当初から疑問に感じ続けていました。私自身がその疑問を認めるのに時間がかかったし、 変な感じ方かもしれませんがその疑問を認めたときには挫折感も味わいました。でも、紆余曲折を経て最終的には、自分自身にとっては研究成果が社会にどう役 立つかという価値判断基準の方が合っているんじゃないかと感じ始めました。今思えば、大学院で農学を専攻すると決めた頃から、知らず知らずのうちにそちら の方向に舵をきりはじめていたのかもしれません。」
基礎的な研究にこそ価値があると信じていた高橋さんにとって、自分がそうした基礎研究 に向いていないと認めることはとても勇気が必要だったそうだ。しかし、決してネガティブにならずに素直にその事実を認めたことにより、研究とベンチャーと いう車の両輪からなる高橋さんその後の独自のキャリアがその後形成されていくことになる。
現在の高橋さん:植物病院プロジェクト
高橋さんは現在、リバネスに籍をおくだけでなく、大学でも植物医科学研究室の助教として「植物病院プロジェクト」に関わっている。
こ れまで「植物病」として捉えられていた植物への虫害・雑草害・汚染物質による損失は基礎から応用までをカバーする「植物病理学」や「害虫学」、「雑草学」 などの専門家がその予防方法を研究し、対策を講じてきた。しかし家庭園芸を楽しむ人口が増加し、ヒーリングプランツや園芸療法の重要度も増してきている中 で、植物病の診断・治療・予防に対する需要は社会全体で広く増加している。こうしたニーズを受けて、人やペットを対象にした「病院」にあたるものを植物で も構築しようと東京大学で進められているのが「植物病院プロジェクト」である。
高橋さんがこのプロジェクトに関わるようになったきっかけは、博士課程でお世話になった教授だった。植物病院プロジェクトの発端時に高橋さんの持つ植物病理学と会社経営という二つの専門性が結果的に評価されたのだ。
「私 の場合、植物病理の専門性と起業の経験が思いもよらない形で融合しました。今も会社から出向という形で大学にも籍を置いています。大学発ベンチャーは、あ る研究成果をベースにして起業するのが多いと思いますが、私の場合は、大学とは別のところで教育サービスの会社を運営していた。その経験が、結果的に大学 の中での自分のアイデンティティーにもなっているので、そういう意味では特殊な例かもしれません。」
「私の研究キャリアはある特定の研究、という 一つの点から広がったわけではなくて、研究や教育、といったように自分が学内外で行ってきた複数の点がそれぞれつながっていった、という感じです。自分が やりたいことを正直にやっていった結果、今のところ思わぬところで実を結ぶ結果になっています。」
最後にご自身のキャリアを振り返って、大学院後におけるキャリアディベロップメントを伺った。
「自分に正直になり、がんばりきること。正直にならないと道が拓けない。そして、がんばりきれば決して後悔は残りません。」
「努 力すれば必ず成功するという保証はありませんが、私の周りで歯をくいしばって頑張っているやつは必ず幸せになっています。私は、自分のキャリアを切り替え ようと思って起業に参加したとき、とても不安でした。研究でも壁にぶつかりあきらめかけたこともありました。でもそのとき歯を食いしばった経験が、結果的 に自分の今の研究キャリアになりました。周りから見たらどうってことのないことを気にしてしまうのが人間というものですが、それに捉われていたらやるべき ことができません。自分に正直になって、揺るがぬ信念をもつことが重要だと思います。」
(※1)株式会社リバネス
リバネスは、「科学技術の発展と地球貢献を実現する」ことを理念に先端科学の教育事業を中心に、研究開発事業、人材開発事業、農林水産事業などを手がける。
HP: http://www.leaveanest.com/
【高橋修一郎氏】
2001年 東京工業大学生命理工学部卒業
2003年 東京大学大学院新領域創成科学研究科修士課程修了
2006年 東京大学大学院新領域創成科学研究科博士課程修了(博士(生命科学))
現在は、株式会社リバネスで専務取締役を務めながら、東京大学の植物医科学研究室で助教を務める。