後半部分では、日本とアメリカの違いや博士問題の今後などについて伺った。
学生の意識について
M:
最 近、若手の会などで要求されるのが、どれくらいの割合でアカデミアに残れるのかというデータです。「普通に就職していれば年収700万、800万円見込め たのが、今200~300万円でポスドクやっているのは、人生の選択を間違えたからだろう。そんなつらい目にあいたくないからそういう情報がほしい。」と いうことなんでしょうね。もちろん気持は分かるんですけど、あなたたちが頑張らなくて一体だれが頑張るの?という気持ちになります。大変そうだとやめちゃ うの?って逆に聞いてしまいましたよ。
I:
学生のアカデミア志向についてですが、アカデミアを目指すのが無理なことが分かった時にしか就職を考えない学生ばかりだとすると、企業が不満を持つのも理解できますがいかがでしょうか。
M:
い やもう違うでしょう。企業にいけるなら行きたいという人も多いでしょう。分野によって違いはあると思いますが。大学でないといい研究ができないという思い 込みはなくなってきているように思います。憧れは企業でバリバリやって母校に教授として戻るというものでしょうか。最初から大学に残って任期付などという 保障されない立場でいるのはつらいでしょう。そうなると、アカデミアって魅力がない就職先になっちゃいますよね。
I:
学生がキャ リアに関する情報を求めているとのお話ですが、日本ではキャリアディベロップメントを考える機会が大学院レベルでは足りていないか、そもそも存在しない気 がします。海外だとネイチャーとかサイエンスにキャリアディベロップメントに関する独立のページがあり、すごく充実しています。それは、トップクラスの ジャーナルですら基礎研究だけじゃなくて、その研究者のキャリアについてちゃんと考えているという意味だと思います。日本だとそういう動きも見られず、大 学院教育が変わりつつあると言っても、まだまだキャッチアップすらちゃんとできていない印象です。
M:
アメリカだと学会やいわゆ る外郭団体でそうしたキャリアディベロップメントについては結構取り上げられていますよね。「アカデミックポジションを得るために君がやらなければならな いこと」みたいなものをしばしば目にします。そこには「アピール」から始まるアドバイスがいろいろと書いてあります。どこへ行けばどのような情報が得られ るかということについても一覧になっています。つまり、様々なところから豊富に情報が出ているので、もう目を背けていても情報が目に入ってくる状態にまで なっているのですね。だからみんなそれなりのタイミングでキャリアデベロップメントに関する活動ができるわけです。日本ではまだまだ目を背けている人に、 現状を認識させるところまでには至っていませんね。意識レベルの高い人は情報を集めて自分で考えていこうとしていますが。逆に言うと、自分で考えて情報を 収集する能力や、情報を発信する能力があったら研究もバッチリやっているし、就職活動したらあっさり決まっちゃうものですよ。でもなぜ問題が生じるかと言 うと、そういうことをやりたくないと思っている、あるいはできないと思っている人が一定数いるからなんです。
I:
今度本を出版されると伺ったのですが、バイオ系出身者のキャリアに的を絞った内容でしょうか?
M:
や はりポスドク問題はバイオが一番顕著なのでバイオのキャリアに限定しています。今、日本だけでなく他の国でも国家における推進分野として多額の公的資金が 流れ込んだ後には必ずと言っていいほど、まさしく牽引力となった、期限付きで雇用されていた人たちのキャリアの問題が発生しています。一方で、受け皿とし ての産業界の規模を考えると、工学系のポスドクの方が就職活動はかなりやりやすいと思います。半導体分野などは、ポスドクが一人残らずいなくなってしまっ たという話もあるくらいです。
I:
そもそも工学系のそういう分野に進む学生が少なくなっているんでしょうか?工学の中でも日本のメーカーに進みそうな学生が少なくなっているような気がします。
例えば、東大の工学部では今一生懸命博士課程に来てくださいというイベントをやっていて、進学振り分けの段階から工学部のもの作りのところに来てくださいって熱心に言っているそうです。
そ う考えると博士だから就職できないというより、構造的な需給の問題の打撃がすごく大きい気がします。需給にバランスがとれない時があること自体はしょうが ないと思うのですが、そのバランスを取り戻すのに日本だとあまりにも時間がかかりすぎるという印象を強く持っています。
M:
だから、放っておいたら20年後にようやく需要のバランスがとれるだろうと思われるところを、政策で10年にする。20年をロスするのではなく10年のロスで済むようにするのが政策ですよね。もちろん、政策で全てを一瞬で変えることも絶対に無理なわけですが。
海外の博士問題についてですが、OECDの会合に行ったときに、同じことが話題になるんですよ。やっぱり一定数の学生がアカデミアに残りたがって滞留するというのはどの国でもあるらしいです。
I:
そうなったときに、日本と向こうで違いはあるのでしょうか?例えば日本でバイオ系人材が余っているのは大学院の定員拡大などが要因として考えられますが、海外ではどのような状況なのでしょうか。
M:
アメリカでもバイオのポスドクは余っていますよ。
ア メリカでは特にバイオの予算が膨らんで、その予算にリンクしてポスドクの数が増えるからそうなるんですよ。今まで順調に増えてきた予算がプラトーに達す る、あるいは下降ラインをたどる。そのときにタイムラグがあるんです。順調に増えている予算を見れば、バイオ系のPI (Principal Investigator: 主任研究員)を増やせば競争的資金を獲得し、それに応じてオーバーヘッドも増えるだろうと期待する。PIが増えればその部下であるポスドクも増えることに なる。推進分野の資金を増やすのはそれが目的でもありますから。でも、予算が見込めないとなったら、非常に冷酷に人材を切ります。テニュア・トラックに のった人間がテニュアを獲得するまでには5~6年かかるのが普通ですが、その間に状況が変われば、バッサリやられてしまうわけです。テニュア審査もかなり 厳しくなったという印象を口にする人は多いし、グラントの採択率も低下しているようです。
I:
アメリカだと、そういう風になってもキャリアチェンジが日本よりは障壁が低いのかなというイメージがあります。
M:
たしかに、障壁は低いと思いますが、本人のプライドの傷つき方は向こうの方が大きいかもしれないですよ。でも、みんな一晩泣いたらすっきりしてまた這い上がろう、みたいな感じはあります。
I:
逆にバイオ以外だと、大学院を出た人のキャリアの問題はどうなのでしょうか?
M:
他の分野は、そもそもポスドクになってくれないのではないでしょうか。
ポ スドクにはPIが獲得した競争的資金から給与を支払うから、そんなに高給ではないでしょう。その段階で、情報系の人にはそっぽ向かれちゃいますよね。分野 ごとにポスドクの給料ってすごく違うみたいですよ。またそれがシビアにデータになって出ているんですよ。NSF (National Scinece Foundation: 米国国立科学財団)が博士号取得者に対する調査を定期的にやっていて、現在の職種、年収などが明らかになっています。それを見て、次にどうするか、例えば 大学院ではどの専攻にしようかと考えるようです。同じ努力でお給料が倍も違うんだったらこっちにしようとなる。
でもそれが、需給調整になっているわけです。高い給料を払わないと人が来てくれないから払う。それを見て、そっちの方が高給ならそっちに行こうとなる。
日 本のポスドク問題においてもすぐにできることは情報開示ですが、今はまだ不十分です。企業での採用活動の例と同様、日本の統計調査では、修士も博士も大学 院卒でひとくくりにされていますから。今選ぶ側ができることは、せいぜい高校生の段階で賃金構造基本統計調査を見ることぐらいでしょうか。各職種の年齢別 賃金が大体出ています。そういうのを見れば学部に入る段階で考えられますが、そうなると誰も理系に来なくなっちゃうかもしれません。
博士問題の今後:学生の心構えと「ポスト博士問題」
I:
私 の友人にも生命科学を専攻する大学院生がいますが、博士課程卒業者が山のようにいるのに就職先は限られている分野なので、卒業した後のことを非常に心配し ている人も多くいます。また、バイオ以外の分野だと、例えば物理の特に理論の世界もアカデミックの少ないポストを大量のポスドクや大学院生が狙っている状 態のようですね。そういう場合、アカデミックポスト以外の道を探るタイミングが重要になってくると思うのですがいかがでしょうか。
M:
若 い人に言いたいのは、キャリアチェンジするなら論文が出ているうちに、ということです。業績リストは研究生活の中でいかにサボっていなかったかの証明です よ。出せなくなってどうしようもなくなってから、キャリアチェンジしたい、ではどうにもできないのです。履歴書と業績リストは就職活動の際に提出を求めら れますから。
重要なのは、キャリアの次の段階に進む前にじっくりと考えることです。具体的に言えば、博士課程の3年間と修士課程修了後に就職し職 場でトレーニングを受ける3年間とどちらが自分の長い人生の中で意味を持つのか。職場での3年間の方が大学院の3年間より充実しているなら、わざわざ学費 を払う必要はないわけです。同様に、博士課程修了直後に企業などに就職するのとポスドクになるのとでは、どちらがよいのか。将来について考えるのを先送り するために進学することは、絶対に避けるべきです。先ほどおっしゃっていたような「学卒の給料でいいから雇ってほしい」という博士がいるという話について も、厳しいことを言うようですが、進学前に十分考えなかったのではと思われますね。急に状況が厳しくなったのではなく、こういう状況は3年前からわかって いたはずですから。
20歳を超えた大人に、キャリアをどうこうしろとアドバイスが来るなんてことは期待しない方がいいです。それでも、誰 かに言われなければこのままでずっといそうで、ヤバいんじゃないのかと思われる人に、先生たちはリスク覚悟で肩を叩いてくれるのです。「35歳までに何と かしろ。」とか言って。下手をしたら、アカデミック・ハラスメントで訴えられちゃいますからね。
「なぜあなたは次のキャリアに行ってしまうの?」という時点から活動するから次のキャリアが切り開けるのです。
逆 に、周囲の人から見て、この人がアカデミック・ポストに就けなかったら、日本は相当マズイと思われるほどの人にはポストがあります。今まで見聞きしてきた 状況はそうでした。公募が不公平だと言う人は深く突っ込むとやはり何かしら足りないです。そういう人には、チャンスが巡ってきている人と自分を冷静に比較 して、何が足りないのかを考えてほしいです。さらに、否応なくポスドク生活に見切りをつけさせようと、制度の改変も進んできています。2007年6月に閣 議決定された「イノベーション25」にもポスドクは概ね5年といった記述がでてきます。それを受けて、JSPS (Japan Society fot the Promotion of Science: 日本学術振興会)の特別研究員制度の応募資格も変更になりましたから。
I:
最後に、博士問題の今後について簡単にお考えを聞かせていただけますか。
M:
ポ スドク問題にある種過敏に反応した若い人たちからドクターコースは嫌われ、雇用資金はあるのにポスドクのなり手がいないという声を聞きます。国立大学法人 への人件費削減プレッシャーはきついし、定年退官で教員が抜けた後にすんなり補充できない状況下では、仕方がないことかもしれません。でもそうやって、減 らしていくばかりで果たしてよいのかどうか。大学生の数は今後減っていくでしょうが、学生対教員の人数比がこれでいいのかどうかを検証すべきです。減った 量を質の高さで補ってほしいという社会からの要望はますます高まってくるでしょう。
【三浦有紀子氏】
東京大学先端科学技術研究センター産学連携コーディネーター
1988年 京都薬科大学卒業
同年 京都薬科大学副手および助手
1997年 静岡県立大学にて薬学博士取得
同年 米国NIH、Visiting Fellow
2001年 国立感染症研究所細胞化学部協力研究員
2003年 文部科学省科学技術政策研究所上席研究官
2008年1月―4月 社団法人日本物理学会キャリア支援センタープロジェクトサブマネージャー
2008年5月より現職
東京大学先端科学技術研究センターでは、12月10日に説明会を開催します。
詳しい内容は以下リンクをご覧ください。
http://www.rcast.u-tokyo.ac.jp/ja/events/index.php#events152
この冬出版される本について
三 浦さんは今年(2008年)12月、京都大学の仙石愼太郎先生との共著で『バイオ博士研究者のための研究とキャリアの超マネジメント術(仮題)』という本 を出版される。バイオ系で博士号を取得、ポスドク経験を経た人たちがどのようにキャリア・デベロップメントをしたのかという事例とバイオ研究者のキャリア に関するマクロデータ、さらにビジネスの世界でも通用するマネジメント術に関する解説、ラボ・マネジメントの好事例を掲載したものになるという。これから 多様なキャリアパスを歩もうとする人がゼロからスタートするのではなく、先人の経験を追体験できることの重要性を感じたのが執筆の動機だとおっしゃってい る。生命科学分野の関係者は特に一読の価値があると思われる。