「努力を重ねれば、結果は必ず見えてくるものです。決してあきらめてはいけないと思います。」
現在プロサッカーチームの名古屋グランパスでフィジカルコーチを務める喜熨斗さんは、まさに「努力の人」だ。プロチームのコーチを務める一方で、昨年、早稲 田大学の研究員となった。「これまでの経験を生かして今後は現場で起きていることを研究の現場に持ち帰り、スポーツに興味のある人達に何が必要とされてい るのかを研究者に伝えたいと思っています。これは僕にしかできないことなのです。」
喜熨斗さんがサッカーに一生関わっていきたい と考えたのは小学生の頃だった。先生に相談したところ、学校の教員になることを勧められた。当時はまだプロサッカーリーグが日本にはなく、サッカーに関わ り続けるためには教員になる他に選択肢がなかった。体育の教員として、サッカーに携わっていくことを目指すようになったのはこの時からだった。
大 学は日本体育大学に進み、サッカーとスポーツ科学ついて学んだ。しかし大学生活を送る中で、喜熨斗さんは徐々に違和感を覚えるようになった。「心・技・体 という言葉がありますが、これが実践されていないことに疑問を感じるようになりました。体を動かすことと知性は関係があると思っていたのに、当時の大学の 雰囲気はそのようなものとは程遠かったのです。」
大学卒業後はそのまま教員になることも考えたが、自分が真剣に取り組めるものを模索し、 その後の自分の人生について考える時間を確保するために、大学に残って2年間の研究員生活を送った。「今後どうしていきたいのか、自分は何ができるのか、 何がしたいのか、このときいろいろ考えました。その結果、大学時代に感じた疑問を解消するべく、大学院を受験しようという結論に至りました。」ところが、 大学院受験の直前に自宅が火事に遭ってしまう。大学院受験どころではなくなり、急遽、高校の教員として就職することになる。
教員生活では 勤務校のサッカー部を指導するなど、充実した日々を過ごしていた。しかし、教員になって2年目、日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)が発足するという ニュースが飛び込む。「衝撃でした。確かに教員になってサッカーに関わり続けることはできていましたが、以前からより深く関わりたいと感じていたのも事実 です。そんな時、レベルの高いプロのサッカーに関わっていける世界を発見したのです。」喜熨斗さんは決意を固めた。「自分が生まれてきたのには必ず理由が あります。だから自分の力を信じ、最高の環境で学ぶために東大の大学院に行って、今度こそサッカーの正体を追及しようと思いました。」高校の教員を続けな がらの大学院受験の勉強は、決して容易なものではなかったが、2度目のチャレンジで念願の東京大学大学院総合文化研究科に合格した。
29 歳で東大修士に入った時、年齢的な焦りは少なからずあったと語る喜熨斗さん。しかしその理由は、単に周りの同級生と比較して年齢が高いためではなかった。 「自分のやらなければならないことを見つけた以上、脳が硬化を始める前に早く新しいことを学んで吸収したい、という焦りがありました。だから、大学院生活 においては100%頑張らないと自分が満足する結果は得られないと思っていました。でも、不安は全くありませんでした。『自分が生まれてきたことに意義が ある』ということを本当に信じていたからこそ、このように思うことができたのかもしれません。」このような志があって初めて、東大院生・高校教員、そして 当時携わっていたベルマーレ平塚のユースチームの指導員という三足のわらじを履きながらも、努力を積み重ねていけたようだ。
修士課程では サッカー選手の空間認知について研究を行った。昔から視野が広い選手はサッカーが上手いということは経験的に知られていたが、これを理論的に証明しようと 試みた。「前例が無いため、周りからは無理だと言われました。でもチャレンジしたかったのです。」実験では試合をイメージしたバーチャル空間の中で、被験 者がどのように視線をめぐらすかを調べることにより、選手の視野の広さを定量化しようと試みた。今でこそバーチャル空間を利用した研究は様々な分野で見ら れるが、当時としてはかなり先駆的な実験であった。実験のためのバーチャル空間を作る際は、3台のカメラが備え付けられた車をグラウンドに持ち込んで選手 の視点から撮影を行い、試合の流れを360度の風景として室内に再現した。「こんなことをしたのは、前にも後にも僕だけではないかと思います。平塚ユース の協力あっての実験でした。」サッカー選手の視点を数値化する際は、選手がどこを見ているのか細かく条件を分け、見ている時間が一番長いのはどこなのか、 首を振って周りを見ているのかどうか等、詳細な検証と解析を行った。「苦労したからこそ、結果で有意差が出たときは感動しました。周りからも面白い実験だ と評価して頂きました。」
修士時代の努力と実績を認められ、卒業後はベルマーレ平塚のトップチームにコーチとして招聘された。「努力は誰 かに見られているんですね。必ず。」と喜熨斗さんは笑顔で語る。修士号を取得後、教員を退職してベルマーレ平塚フィジカルコーチに就任。同時に博士課程に 進学した。しかしプロの世界は想像以上に忙しく、学生生活と両立できるものではないため、セレッソ大阪への移籍を機に博士課程3年目で休学した。その後プ ロサッカーコーチとしてのキャリアを重ねていく中で、2004年に東大博士課程に復学。しかし論文執筆は断念し、2005年に単位満了で退学した。現在は 横浜FCのコーチを続けながら、早稲田大学大学院にて研究員として博士論文執筆を目指している。「単位満了退学ですが、博士課程に行かなければ良かったと は思っていません。博士課程で学んだことはいろいろあります。第一に論理的に考えることです。物事を多面的に見て論理を構築する練習になったと感じていま す。第二は生理学的な部分で基礎を押さえられたことです。基礎を幅広く、深く知ることが出来ました。第三に物事を形にするためには100パーセントやらな ければならないと納得させられたことです。実際、東大で勉強したこともプロの世界では全く通じなかったりすることもある。でも、大学院で学んだ思考力を生 かして多面的にアプローチすることにより、プロ選手達を説得して深い信頼関係を築けるようになりました。」「ただ、博士論文を書かなかったことで飢餓感と いうか、やり残し感は確かにあります。だからこそ今でも勉強したいという気持ちがあって、今は早稲田大学で博士論文執筆を目指しています。」
最後に、喜熨斗さんから学生に対してメッセージをいただいた。「世の中に決まったキャリアパスはありません。知識を生かせるか生かせないかは大学院を修了した後の本人にかかっており、知識をそのまま生かすというよりも、 生かす方法を見つけるのは自分次第なのです。例えるなら大学院で学んだ専門という幹に、社会に出た後で色々枝葉を張って実をつけていくということ。だから 幹を太くすることを何も恐れることはないのです。自分の強みを100%生かせば、必ず幸せにたどり着けると、僕は信じています。明日の自分を信じて自分で 努力していくことが一番大事なことですね。」
【喜熨斗 勝史氏】
日本サッカー協会公認A級コーチ。
1983年に東京体育大学に入学。高校教員を経て、1994年東京大学大学院総合文化研究科に入学。
ベルマーレ平塚、セレッソ大阪など、Jリーグチームでの多数のコーチ経験があるほか、
三浦和良選手のパーソナルコーチを務めている。
2008年より名古屋グランパスフィジカルコーチ。
喜熨斗さんのブログはこちら。