居残り佐平次 - ねずみがチューチュー
居残り佐平次にでてくるんですけど、なんのことか解らないので調べてみた。
演者によって、、
若い衆が下足の札を柱に叩いて「いらしゃーぃ」 志ん生
羽目を叩いて鼠泣きチューチュー そこに下足札の音が混じって、、 小三治
下足札をまいたり羽目を叩いてチューチューかなんか言っているところに 圓生
下足札をまいたり羽目を叩いてチューチュー鼠鳴きなんかが始まるよ 志ん朝
辞書では、、、
鼠鳴き(ねずなき)
1.鼠が鳴くこと。また、口を窄(すぼ)めて鼠の鳴き声を真似ること。
用例:枕−一五一「雀の子の、ねずなきするにをどり来る」
2.特に、忍んできた男が女の元に近付いたときや、遊女などが客を呼び入れようとするときなどにする、
鼠の鳴き真似をいう。 類:●鼠(ねずみ)鳴き
資料
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「男衆が「格子付けるよ!」って呼ぶと、みんな格子部屋へ集まるのよ。男衆が将棋の駒
の形をした下足札をまとめて持って板の間を叩いてね、それからその束を振って廊下に撒
くようにするのよ」
これは古くから行なわれていた郭の行事の一つである。中野栄三著「廓の生活一[雄山
閣出版)に次のような記述が見える。
「拝が終ると男衆は表入ロに行って手のひらで柱と羽目板を叩き、鼠鳴きをしてから
下足箱の傍らにある下足札の紐を右手に持ち、それを高くあげ鼠鳴きして、下足札で
廊下を強く数回打つ、それから左足を後ろへ引き、下足札の東を左から右へ振り廻し
て、司形に廊下に撒くようにして、後に紐を手元に締め寄ぜるのである。この下足札
の打ち方にも幾種か式があったが近代では無性打ちとて不規則の打ち方が行なわれて
いた。とにかくこうした儀式めいたことが厳粛に行なわれたのであり、廊下を打つに
ち軽く打って音を冴えさせ、姿勢よく巧みな調子をつけてやるには、相当の経験を経
ないと出来ないという」
当時の二丁町にも、このような行事のかたちが残っていたものとみえる。
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遊廓「二丁町」の最末期の研究書
静岡の遊廓二丁町
著者: 小長谷澄子
出版社: 文芸社, 2006
※これですねー! いやーすごい。
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幕末太陽伝の下足札を撒く場面
映画では品川の相模屋。土蔵相模がモデルだろう。
柱打つ場面、鼠鳴きは無く、下足札は箱のような細長い箱を叩いています。
ここはぜひ鼠鳴きが欲しかった!!残念。
『たけくらべ』を読む
http://prof.mt.tama.hosei.ac.jp/~shagi/lec/l03.htm
「 住む人の多くは廓者にて良人(おっと)は小格子(注)の何とやら,下足札そろへてがらんがらんの音もいそがしや 」「夕暮より羽織引かけて立出れ ば,うしろに切り火打かくる女房の顔もこれが見納めか,十人ぎりの側杖(そばずえ)無理情死(むりしんじゅう)のしそこね,恨みはかかる身のはて危ふく, すはと言はば命がけの勤めに遊山らしく見ゆるもおかし 」
仕事始めのセレモニ−
神棚に向かって,楼主・番頭・遣り手・花魁・新造・かむろ・若い者たちが,礼拝の姿勢に入ると,牛太郎が,下足札を束ねた紐を強く引っ張ります。<下足札 そろえてガランガラン>の音と共に,柏手が打たれ,礼拝が終わると,吉原の一日が始まるのです。[ 神棚には,お酉様の熊手が祭られています。]
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『今昔物語』
http://www.geocities.co.jp/Hollywood-Screen/5003/novels/edohuukei.html#14
今は昔、何れの程のことにかありけむ、侍程なりける者の、誰とは知らず、年三十ばかりにて、丈すはやかにて、
少し赤鬚なるありけり。夕暮れ方に□と□との辺りを過ぎけるを、半蔀はじとみの ありけるより鼠鳴きを出して
手をさし出でて招きければ、男寄りて、「召すにや候ふらむ(何か用ですか?)」と云いければ、女声にて
「聞こゆべきことのあり てなむ。其の戸は閉じたるようなれども押せば開くなり。それを開けておはせ
(お聞きしたいことがあります。その戸を押し開いておいで下さい)」と云いけれ ば、
男、思ひかけぬことかなとは思いながら、押し開けて入りにけり。
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絵入都々逸集
http://www.j-texts.com/taisho/eiridoah.html
儘にしやんせと嬉しく解けば
帯も察して鼠鳴き。
大正拾年七月 一日発行
著者 竹久勝彦
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端唄「梅にも春」
http://www.hi-ho.ne.jp/sanpodo/hauta/hauta.html
梅にも春の色添えて/若水汲みか車井戸/音もせわしき鳥追いや/
朝日に繁き人影を/もしやと思う恋の慾 /遠音(とおね)神楽や数取りの/待つ辻占や鼠鳴き/
逢うて嬉しき酒(ささ)機嫌/濃茶が出来たらあがりゃんせ
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沢村版『花のたよりこいの辻占』
http://d.hatena.ne.jp/tsujiurado/20080831
鼠鳴きは、昔から客を引くおまじないとして遊廓で広く行われた。夕方、神棚を拝んだ後に柱を手のひらで叩いて鼠鳴きをしたり*1、
始業前に見世先に娼妓達が並び、火打石を持った番頭から一人ずつ切火を受ける際に鼠鳴きしたり、見世先に水を撒く際に、
外から内に向かって鼠鳴きしながら「入」という字を書くように撒いたりする*2のがその一例。この文句は遊女が馴染みの客に宛てたメッセージだろう。
*1:参照:『新吉原画報』温故社 明治31年、P.31-32
*2:参照:『古老がつづる 下谷・浅草の明治、大正、昭和8』台東区立下町風俗資料館、平成5年、
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『一瀬直行「浅草走馬燈」』
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/bungaku/soumatou.html
【十二階下】
十二階の下には、銘酒屋が軒をつらねていた。今の千束のひさご通りから入った一角である。表通りは商店が立ち並び、一歩狭い横町を入れば、向き合って銘酒屋が密集していた。
ただ魔窟とか、私娼窟とか、銘酒屋とかよんだのではすさんで陰気臭く聞こえるところから、一般に十二階下と言って親しまれていた。
表向きはどこも同じで、二階建ての長屋を思わせる。家のつくりは、右手に狭い土間があり、ここから上がって二階へ通される。土間の左手には三畳敷きほどの小間があり、路地に向かって小さな窓がついていた。この覗き窓から道行く人を誘っていた。
小さな窓の内側から、遊んでちょうだいとか、あがってちょうだいとかさかんに呼びかけ、男の気をひいている。時たま口笛のようにチュツチュツと鳴らして客を誘う。泣き声が鼠に似ているところから一名鼠鳴きとも言っていた。
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『浅草千束町』
http://www.aurora.dti.ne.jp/~ssaton/taitou-imamukasi/senzoku.html
『浅草千束町』
「鉱山の地下に坑道が有るやうに、十二階下の魔窟には何々新道何々横町といふのが覚えきれぬほどあるのだ。
新吉原ではチョンチョン格子といはれてゐる小店而巳(ばかり)の小路をトンネル横町といつてゐるが、
千束町の新道横町は矢張それと同一(ひとつ)だ。(中略)
その小路の暗き所、横丁の灰色な空気の中に鼠鳴きして嫖客を迎へるさま金切声を絞つて『チョイトチョイト』と
泣いてゐたのは昔の事で、今は摺硝子(すりが らす)の薄暗い中に蠢々乎(しゅんしゅんこ)として低声(こごゑ)に
男を呼んでゐる一場の悲惨な光景は描き出されるのだ。
そして数多(あまた)の横丁新道にも盛衰栄枯があつて、何新道は玉が揃つたとか何横丁は醜婦(すべた)
ばかりだとか遊治郎(いうやらう)は品評してゐる。当今では猿之助横丁が美人揃だといつて蕩児が騒いでゐるさうだ。」
「千束町探訪記」文芸倶楽部、大正二年四月号より
格子について
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後に妓夫(ぎゆう=はしょって「ぎゅう」)という客引きの若い衆にとっ
て変わられたのでございます。
宵に格子ですすめた牛(ぎゅう)は、今朝はのこのこ馬になる
「格子で」とありますのは、見世と道を格子で仕切った部屋がございまし
て、そこで花魁(おいらん)と呼ばれる遊女が、位の順に坐っています。
これを「張り見世」ともうします。
そこで、吉原に遊び(あすび)に来た客が、格子の間から品定めをするの
でございますが、そういった客は、いわゆる素見(ひやかし)で、ただ見
物にぶらぶら歩いているだけでございます。
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