前回得られた対数則は、風速、温度、水蒸気量等の鉛直分布(中立成層)のよい近似を与えます。対数則 (2.15), (2.20), (2.21) を平均フラックスの式 (2.7), (2.8) に代入することで、
顕熱(または潜熱)フラックスは、「2高度の温度(または比湿)の差」と「平均風速」に比例する
というシンプルな関係を得ることができます。比例係数部分を
などとまとめることもあります。CH, CE' はそれぞれ顕熱と潜熱のバルク輸送係数などと呼ばれ、多くの場合、CH ≒ CE'、すなわちzH ≒ zEです [1]。これら熱や物質移動に関する粗度長 zH, zE は一般に運動量輸送に関する粗度長 (空気力学的粗度長) zM とは異なりますが、それを無視してzH ≒ zE ≒ zM と仮定されることもありますし、あるいは補正パラメータをかけてたとえば zH ≒ zE ≒ 0.2 zM などと仮定されることもあります [2]。
(3.3), (3.4) 式からわかるようにバルク輸送係数も高さ z に依存して変わることに注意しましょう。
さて、かなりスッキリした式にはなりましたが、(3.1), (3.2) のそれぞれの項が観測可能かを考えてみましょう。まずρ, Cp, λは既知定数です。ある高さでの平均風速、平均温度(気温)、平均比湿は、ざっくりいえば風速計と温湿度計をポールにつければ測れそうですね。バルク輸送係数 CH ≒ CE' は未知ですが、高度・土地被覆とともにこれらを測定した文献値は世に多数報告されているので、似たシチュエーションの値で代用するという案はあります。基準高度が異なる場合は、文献値の高さでのバルク輸送係数を (3.3), (3.4) 式に当てはめて粗度長を求め、あらためて知りたい高度 z での値に変換する、みたいなこともできます。
T(d+zH) = T0 (地表面温度) は、地面に温度計を触れるなり、サーモグラフィを使うなりして測れます。
あとは q(d+zE) = q0 (地表面比湿) ですが、…これはちょっとよくわかりませんね。そもそも地表面の比湿って何でしょうか?地表面に極めて近い空気中の水蒸気量、ということになるのでしょうが、実測するのはなかなか難しそうです。
そこで試しに、地表面は十分湿っていて、その付近の水蒸気は飽和状態にあると考えます。これならば、地表面温度 T0 における空気の飽和比湿 qsat を使うことができて、
で、CE = CE' ≒ CH(地表面が十分湿潤のとき)となります。
ただし実際には地表面は「十分湿潤」ではなく、地表面の比湿をqsatで置き換える操作はズルとなるので [3]、これを補償するため蒸発効率 β (0 < β < 1) を導入します。CE = β CE' ≒ β CH として、
(3.5), (3.6 a,b,c) をバルク式と呼びます。蒸発効率 β は地表面の湿潤度のパラメータで、地表面が十分湿潤なとき β = 1、完全に乾燥しているとき β = 0となります。(3.6a), (3.6c) および CE' ≒ CH を見比べるとq0 - q ≒ β(qsat - q) もわかります。
バルク輸送係数のかわりに、「抵抗」(あるいはその逆数である「コンダクタンス」)を使うことも多いです。式 (3.5) ~ (3.6 a,b,c) も十分わかりやすいですが、
2地点の温度差あるいは物質濃度差を、抵抗で割るとフラックスが得られる
という形式にすると直感的なモデル化がさらに容易になるためです [4]。実際、[1] では
を導入することで、
と非常にシンプルな表現を得ています。
rcをちょっと迂遠な定義にしているのは (3.10) の分母で抵抗の直列モデルを作りたいためでしょう。顕熱も潜熱もけっきょく同じ流体の乱流拡散で運ばれることから、流体によるスカラー量の運ばれづらさ rA (空気力学的抵抗と呼ばれます) は共通と考え、水蒸気に関してはこれに「蒸発表面が湿潤でない」ことによる(βに関連する)追加の運ばれづらさ rC が直列につながる、というモデルです。rCは群落抵抗と呼ばれています[5]。
(3.9), (3.10) の抵抗によるフラックスの表現は非常にわかりやすいのですが、(3.7), (3.8) にみるように抵抗は風速にも依存し、時間的に一定値ではないことに注意しましょう。
ちなみに今更ながら、これまで水蒸気量の表現として比湿 q を用いてきましたが、乾湿計定数 B = (Cp p) / 0.622λ ≒ (Cp e)/(λ q) を用いて q = (Cp e)/(λ B) であることに注意すると、
と書くこともできます。esat は地表面温度における飽和水蒸気圧、eは高度zでの水蒸気圧です。
これで、地表面のパラメータと関心のある高度の気象パラメータを測定することで、顕熱・潜熱のエネルギーフラックスが推定できるようになりました。
[1] 近藤純正, 三枝信子, 渡辺力, 山﨑剛, 桑形恒夫, 木村富士男. (近藤純正 編). 1994, 水環境の気象学―地表面の水収支・熱収支―, 朝倉書店, 東京都, p.110, 232.
[2] Campbell, G. S., Norman, J. M. 1998, An introduction to Environmental Biophysics, 2nd ed. Springer-Verlag, USA. (邦訳: 久米 篤, 大槻 恭一, 熊谷 朝臣, 小川 滋) 2010, 森北出版株式会社, 東京都. p. 99, 246.
[3] 実際は z = d + zE の高さであるものを、蒸発ソースとなる十分湿った地点(地表面下の湿った土壌や、植物の葉内など)の高さに読み替えた、と言うこともできます。その場合も、本来は z < d + zE にある蒸発ソースの位置まではフラックス一定の仮定が成り立ちませんので、「ズル」です。
[4] 電位差 V を抵抗 R で割ると電流 Iになる、みたいな回路のモデルを借用しているのでしょう。
[5] 群落抵抗(あるいは群落コンダクタンス)は具体的には、群落中の全個葉の気孔抵抗と、土壌からの蒸発抵抗の総和として評価できます [2]。