あなたは見知らぬ大地に立っています。優しい風が頬をなで、心地よい涼しさを運んできます。ここまで歩いてきて汗ばんだシャツも、しばらく佇んでいるうちに元通りに乾きました。道中のことを詳しくは覚えていませんが、なんだか大変な道のりだったような気がします。だけどもう大丈夫。少し休んだら、きっとまた歩き出せる。
そう、つまりこういう状況です:
これらは鉛直方向のフラックス輸送を表現したものです。すなわち、単位面積・単位時間あたりに鉛直方向(上向き正)に通過する、水平方向運動量 τ, 顕熱 H, 潜熱 λEを表します。
ρ: 空気の密度 [kg/m3], u: 水平 (x軸) 方向風速 [m/s], w: 鉛直 (z軸) 方向風速 [m/s], Cp: 空気の定圧比熱 [J/(kg K)], T: 温度 [K], λ: 水の蒸発潜熱 [J/kg], E: 水蒸気フラックス [kg/(m2 s)], q: 比湿 (= ρw / ρ).
運動量輸送については慣例的に、鉛直下向き(地表面に流入する量)を正にとることが多く、その場合は
と書かれます。
さて、(2.1)~(2.4) はあくまである時刻における瞬間値ですが、我々が感知するフラックス輸送というのは通常、ある程度の時間間隔で平均化されたものです。たとえば τ について、ある時間間隔(まあ例えば15~30分とか)で平均すると、
上付きバーは平均化を表します。また、風速の瞬間値を、平均値(上付きバーのu, w)と、平均からの変動(アノマリー)成分 u', w' に分けて記述しました。
最右辺の第2項と第3項ですが、平均風速に対し、アノマリーは正負ランダムに生じるため、十分長い期間足し合わせて平均化すれば0となります。
また、いま鉛直方向への平均的な移流はないものとすれば、第1項も0になります。したがって
となります。これはレイノルズ応力と呼ばれたりもします。顕熱 H、潜熱 λEについても同様に
となります. 2変数のアノマリーをとって平均化する操作は共分散を求めることに相当しますね. したがって, u, w, T, qの瞬間値を精度よく計測し, 上記の共分散を計算することで, 平均フラックスを求めることができます. これを渦相関法(eddy covariance method)とよび, 多くのフラックス計測サイトで活用されています[1].
各共分散の正負はどうなるでしょうか。
τ について、地表面付近の自然な例として、上空のほうが(水平方向の)風が強い状況を考えましょう。ある高さから上向きに運ばれる水平運動量のアノマリが正だったとすると、運ばれた(その高さの平均より大きな)運動量は、鉛直方向への風速の傾き(シアー)を更に強める方向に働きます。こうした輸送が統計的に多数起こるようであれば(u'とw'が正相関)、上空と地上の風速の差が大きくなり続けることになってしまい不自然です。
逆に、u'とw'が負相関であれば、遅い流体が上へ運ばれ、速い流体が下へ運ばれることで、風速の高さ方向の開きを緩和する方向の変化が生じるので、妥当ですね。水平方向の相対的に遅い流れが上へ、速い流れが下へ行く状況を2次元で図示すると渦に相当し、この渦による統計的な物理量の均一化が乱流拡散現象です。このとき運動量は上空から地上へと輸送されます。
Hと λE については、たとえば地上が熱・水蒸気のソースとなっていて、上空のほうがT, qが小さい状況を考えてみましょう。Tについて、平均より低い温度の空気が上空に運ばれるサンプルが多数(T'とw'が負相関)であれば、上空が勝手にさらに冷え続けることになるので不適であり、T'とw'は正相関でしょう。同様に、q'とw'は正相関で、このときHとλEともに鉛直上向きに正の値を取り、地上から熱・水蒸気が運び出される様を表現します。
u, w, T, qといった物理量を精度良く計測しつづければ、フラックスが計測できることは分かったのですが、それには結構な準備が必要です。タワーを建て、時間分解能や計測精度の高い(そして値段も高い)機器を設置し、定常的なメンテナンスをしなくてはなりません。もう少し大まかに、風速、温度、水蒸気量などの鉛直分布を推定する方法があれば助かるのですが。
そこで我々は件の渦に思いを馳せます。
u'とw'が作る渦について、u'とw'は負相関なので、相関係数r (>0) を用いて
と書けます。σ(u'), σ(w') は速度の標準偏差で、変動の大まかなスケールを表します。ここで、x方向, z方向の流体の変動スケールが概ね共通であるとし、比例定数 r を含めた変動スケールu*
を導入します。u*は上式から分かるように速度の次元を持ち、摩擦速度と呼ばれます。運動量輸送の式と見比べれば、
とも定義できます。
※式 (2.9) からすればu*≒√r σ(u')などとも解釈でき、個人的には一番分かりやすい解釈なのですが、あまり一般には見かけない表現です。
速度の乱れスケール σ (u') ~ u*はどんな状況で大きくなりそうでしょうか。ひとつは, 鉛直方向の(平均)速度勾配が急な場合です[2]。もう一つは、空気が地表面から離れている場合です。地表面近くでは空気が自由に動けるスケールが限られますが、離れればよりダイナミックな動きができる確率が上がるでしょう。そこでu*を両者に比例するものとして
とおくことにします(プラントルの混合距離理論)。l = κzは混合距離と呼ばれ、渦の直径、流体粒子の移動距離などと解釈できます [3]。比例定数 κ はカルマン定数といい、実験的に0.4と定められています。
u'とw'の共分散、すなわち摩擦速度u*や平均運動量フラックスが鉛直方向に一定であるような範囲を接地境界層といいます [4]。接地境界層内では u* = Const.の条件のもと上式が積分でき、
Cは積分定数です. 平均水平風速が0となる高さ zM (粗度長) を用いればCが定められ,
となります. もし地表面からある程度の高さまで(森林などの)障害物があって, 0 < z < d では u* = Const. が成り立たないときは, z軸の原点をz -dによって平行移動すればよく, z ≧ d+zM の範囲で
となります. d はゼロ面変位とか地面修正量などと呼ばれ、平坦な表面なら d = 0、一様な植生表面では群落高さ h に対し d ≒ 0.6 h 程度です [5]。これが有名な(?)風速の対数則です.
温度と比湿についても, 同様に共分散のスケール
を導入します. 温度や湿度は運動量とおなじ渦によって運ばれると考えれば, 鉛直勾配の符号に注意して,
と仮定でき, z ≧ d + zH の範囲で積分して
zH は熱輸送に関する粗度長で、T (d+zH) = T0 (地表面温度) をみたすような長さとして定義します。
T* (摩擦温度とも呼ばれます) を摩擦速度u*で書き直せば,
とやはり対数則になります. 比湿についても同様に
と対数則になります. 同様に、zE は水蒸気輸送に関する粗度長で、q (d+zE) = q0 です。
めでたく, 高価な機器導入を大雑把に回避しうる道が開かれましたね [6].
[1] フラックス計測サイトについては、たとえばJapanFluxの記述などを参照.
[2] 流体の粘性(摩擦)によるニュートンの流体摩擦法則と同型になるような仮定をおいた, という状況です.
[3] https://www.cradle.co.jp/media/column/a431
[4] 東京学芸大学気象学研究室資料など.
[5] Campbell, G. S., Norman, J. M. 1998, An introduction to Environmental Biophysics, 2nd ed. Springer-Verlag, USA. (邦訳: 久米 篤, 大槻 恭一, 熊谷 朝臣, 小川 滋) 2010, 森北出版株式会社, 東京都. p.21
[6] 本当は, 鉛直方向の浮力が生じる(大気安定度が中立でない)場合には補正が必要になります. 「モニン・オブコフの相似則」とかでググってください.