essay004 グローバリゼーションとリキッド・ソサエティ

今日の世界は、ますますグローバルで情報通信的なものになってきている。スコット・ラッシュとジョン・アーリによると、今日の世界経済は情報化によってますます「記号経済」になり、複雑で動的な経済が世界中をめまぐるしく駆け巡るようになっている。そうした経済はもろもろの記号によって成り立っているとともに、さまざまな記号のなかで働き、記号から逃れ、記号に取り込まれる人びとによって成り立っている。こうした動的な記号経済によってグローバルとローカルの境界線が複雑に引き直され、記号経済は外にたいしてはグローバル化するとともに内にたいしてはローカル化されている。ラッシュとアーリは、「情報通信構造」という概念を全地球規模のレベルで生じはじめている情報とコミュニケーションの流れに拡張した。この情報通信構造は空間を拡張するとともに時間を圧縮し、情報的記号だけでなくイメージやナラティブをも含んでいる。

ローランド・ロバートソンは、このような時間と空間の変容を「グローカリゼーション」と名づけた。グローバルという用語とローカルという用語が融合し混成した「グローカル」という用語は、日本語の「土着」という観念をモデルにしている。マイク・フェザーストンによると、土着とは農耕技術をローカルな条件に適応させるという農業の指針に由来するもので、日本のビジネス事業にも取り上げられている。土着、つまりグローカリズムという観念はグローバルな戦略を言い表すものであって、その戦略は標準的な生産品やイメージを押しつけようとするものではなく、ローカルな市場の要求に合わせて仕立てられるものである。このように、グローカリゼーションはマーケティング問題への関連において開発された用語であり、日本はグローカリゼーションに関与することによってグローバル経済の中で成功した。ただし、グローバルなものとローカルなものはすっきりと分離できるものではない。アーリによると、今日の世界はグローバルな流動体であり、その性格は液状的(リキッド)である。

ジグムント・バウマンは、今日の世界は非常に流動的であるとみなした。モダニティ(近代社会)は新しい従来とは異なった形で流体化し不安定になっている。デイヴィッド・ライアンはモダニティの中心的要素として「監視」を挙げている。監視は多くの生活分野に急速に普及し、近代社会の基本的な特徴となっている。監視は長い年月の間に静かに拡大し、世界の変化に伴って監視も常にその姿を変えている。ライアンによれば、今日の監視が主に行っているものは社会的振り分けである。監視社会においてはすべての行動はリスクを伴い、ある行動を受け入れればそれと分かちがたく結びついているリスクも受け入れざるをえない。監視社会においては、注意深くて入念なリスク計算が不可欠になる。

ウルリッヒ・ベックは、リスク社会の出現を主張する。このリスク社会という概念は、社会的、政治的、経済的、個人的リスクが表面化するモダニティ(近代社会)の新しい発達段階を示している。今日人びとは、多岐に及び互いに矛盾する場合もある地球規模のリスクや個人的なリスクとともに生きることを求められている。システムの破壊を引き起こすほどの影響力が及ぼす帰結は、リスク社会という概念のなかで、またリスク社会という視角のなかで初めて明らかにされる。リスク社会は、みずからが及ぼす悪影響や危険要素を感知できない。リスクは蓋然的であり、際限なく増殖し、リスクはリスクそのものを再生産する。ベックによると、リスクを統制しようという意図が一般に浸透し高まっていくとリスクの統制が不可能になり、リスクは専門家に対する依存度を深めていく。リスク社会においては日常生活は文化的な感覚を喪失した状態にあり、脅威が待ち伏せている場合でも五感は正常状態としか告げないことがある。リスク社会においては科学技術や工業の発達が引き起こす脅威は予見不可能であり、社会的凝集性にたいする省察と世間一般の通念と合理性にたいする検討や吟味が余儀なくされる。

(この続きは、essay1「フクシマの後で哲学するということ」を参照のこと)

≪参照文献≫

Roland Robertson "Globalization: Social Theory and Global Culture" SAGE Publications (1992)

ジョン・アーリ(吉原直樹監訳)『グローバルな複雑性』法政大学出版局(2014)

ジグムント・バウマン+デイヴィッド・ライアン(伊藤茂訳)『私たちが、すすんで監視し、監視される、この世界について』青土社(2013)

マイク・フェザーストン(西山哲郎+時安邦治共訳)『ほつれゆく文化』法政大学出版局(2009)

ウルリッヒ・ベック+アントニー・ギデンズ+スコット・ラッシュ(松尾精文+小幡正敏+叶堂隆三共訳)『再帰的近代化』而立書房(1997)