essay002 暗黙知とコミュニケーション

マイケル・ポランニーが「暗黙知」と呼んだ概念がある。言葉に表すことができない知識のことである。デヴィッド・ボームは自転車の乗り方についての知識を例として挙げている。人は自転車の乗り方を知っていても、その方法を説明することができない。人の身体は言葉で表現することのできない数えきれないほどの動きをしている。そのおかげで、人の身体はさまざまな働きができるようになる。それが暗黙知である。実際に自転車に乗ることにより、自転車に乗るために必要な暗黙知を手に入れることができる。このように、人は語ることができる以上のことを知ることができる。人は暗黙知がなければ何もできないだろう。ボームによれば、「暗黙」という言葉の意味は、言葉に出されないとか表現が不可能とかいうことである。意味は言葉によって言い表すことができない。考えるということは暗黙的なことであり、思考は暗黙のプロセスである。暗黙の知識によって行動がなされ、行動が生まれるところには暗黙知が存在している。

しかし、ポランニーの「暗黙知」にはそれ以上の意味がある。野中郁次郎と竹内弘高は、暗黙知には部分部分を統合して全体のイメージあるいはパターンを創り出し、そのパターンを意味のある全体として理解する働きがあるとしている。ポランニーは、倍率の高い虫眼鏡で対象物の部分を念入りに眺めると全体の模様や人相を見損なったり、ピアニストが自分の指に注意を集中させすぎると演奏動作が一時的に麻痺したりすることなどを例として挙げている。野中と竹内においても、「暗黙知」とは表現することが難しい知識のことである。暗黙知は個人的な知識であり、他人に伝達して共有することは難しい。暗黙知を伝達・共有するためには、だれにでもわかるように言葉や数字に変換しなければならない。言葉や数字で表現することができる知識のことを、野中と竹内は「形式知」と呼んでいる。「形式知」は言葉や数字で表すことができるため、たやすく伝達・共有することができる。

C・I・バーナードは、伝達(コミュニケーション)の技術はいかなる組織にとっても重要な要素であると考えている。適切な伝達技術がなければ、どのような組織の目的も組織の基礎として採用することができない。というのも、共通の目的が組織内において知られるようになるためには、その目的が何らかの方法で伝達されなければならないからである。伝達技術は組織の形態を形成し、組織の構造や範囲は伝達技術によって決定されるため、伝達(コミュニケーション)は組織の中心的地位を占めることになる。

また、ピーター・M・センゲは、「意見交換」という方式のコミュニケーションを重視している。意見交換はディスカッションと異なり、「勝つ」ことを目的としているわけではない。つまり、意見交換の目的は、自分の考え方をその集団に認めてもらうことにあるのではない。意見交換においては、複雑な問題がさまざまな観点から探究される。意見交換をすることによって、人は自分のもつ考えを観察するとともに互いの意見のなかにある矛盾に気づき、互いの思考のなかにある矛盾が明らかになる。その結果として、個人の理解を深めるとともに個人では得られない洞察を各人がもつようになる。

ボームにおいても、コミュニケーションは重要な要素である。ボームは、暗黙のレベルでコミュニケーションを行うことによって、思考に変化が生じると考えている。そのためには、暗黙のプロセスを他人と共有しなければならない。ボームによると、文明化が進むにつれて社会が大きくなり、人は暗黙的なプロセスを失ってきた。暗黙のプロセスを取り戻すためには、人は意識を共有し、ともに考えなければならない。そのためには、どのようなコミュニケーションを行うべきか。私たちは対話と意見交換を重ねながらその答えを見つけていくべきだろう。

≪参照文献≫

ピーター・M・センゲ(守部信之訳)『最強組織の法則 新時代のチームワークとは何か』徳間書店(1995)

野中郁次郎+竹内弘高(梅本勝博訳)『知識創造企業』東洋経済新報社(1996)

C・I・バーナード(山本安次郎・田杉競・飯野春樹訳)『経営者の役割』ダイヤモンド社(1968)

デヴィッド・ボーム(金井真弓訳)『ダイアローグ』英治出版(2007)

マイケル・ポランニー(高橋勇夫訳)『暗黙知の次元』筑摩書房(2003)