武道としての合気道
合気道は武道だから戦うためにあると考えている方がいるかもしれません。
しかし、昔から武道の本質は、戦わないことにあると考えています。
武道が礼儀を重んじるのは、礼が戦いを避けるために重要だったからだと考えています。
目標を達成するために、敵を作らないことが最も重要だったのです。
それでも、敵から攻撃を受けることがために武術や武道は重要だったと言われるかたもおられるでしょう。
でも、目標に苦かっている人間は、危険には近づかない、危険がせまったら、それよりも速く逃げることを重視するでしょう。
私は合気道を通して、自分が戦いに強くなったと思ったり感じたりしたことはありません。
むしろ、自分がいかに弱いか、相手を倒すのは以下に難しいかを、稽古すればするほど強く感じています。
ですから、相手と戦わなくてすむように、相手に礼を尽くし、危険に備えたいと考えています。
この考えは生活でも役立っています。
限界はあるにしても、常に先を考え、危険を回避し、対手から友達と思われるような生活を心がけています。
それは、日々の稽古で訓練できます。
何故なら、相手の気分や、自分の気持ちが技に表れますので、自分の状態や、稽古相手のコンディションが非常に良くわかります。
精神的に不安定な時や心配事があるときには、稽古もうまくいかないはずです。
稽古をして冷静になり、あるいはそれに気づくとともに、汗を流すことで、心を落ち着けることもできます。
合気道の稽古のおかげです。