2018年11月8日掲載
日本勧業銀行の融資が受けられるという勧銀土地建物による「百合ヶ丘駅から徒歩9分/都心へ1時間/このすばらしいパノラマ風景をさっそくあなたの目でおたしかめください」がうたい文句の205区画、第1回分譲が始まった昭和41年頃、ここはまさにニュータウン。約7万平方メートルの宅地だけが広がっていました。
若くして戸建てを手に入れた方も多く、多くの子どもたちがいましたので、昭和52年6月に勧交会の子ども会が発足。同年7月の勧交会ニュースには、夏休みに子ども会主催でプール3日間、ラジオ体操10日間、早朝マラソン、親子映画会開催のご案内が掲載され、いかに活発だったかがわかります。昭和58年12月、勧交会事務所前広場での子ども会行事「わいわい遊ぼう会」には200名が参加という記録も。ハイキングやデイキャンプ、クリスマス会、ハロウィンなど様々な行事が企画されましたが、徐々に子どもが減っていき、子ども会そのものはなくなりました。でも・・・この地区の子ども行事の伝統は、町会役員に引き継がれて、地区委員の皆さん、町会員有志に支えられ、続けられています。
現在は8月夏祭り、9月秋祭り(月讀神社の山車を曳く行事)、12月クリスマス会が行われています。
まもなく50年を迎える勧交会、未来を担う子どもたちのことも大事に大事に考え、工夫をしてきたのです。