東北支部だより2015

京大建築会東北支部だより2015

五十子 幸樹(平成2年卒)

仙台で単身赴任を始めてから7年経ちますが,京大建築会に東北支部があるということを知ったのは,支部長の阿部先生からお電話を頂き,支部だよりを書くようご依頼を受けた時が初めてでした.お話を伺うと,東北支部の会員数は非常に少ないとのことで,支部としての活動も東北支部だよりの執筆に限られているようです.そのような訳で,今回の支部だよりについては,東北支部の一会員からの近況報告という形にさせて頂こうかと思います.

私事ですが,滋賀に生まれて高校までを大津市で過ごし,大学時代は大津の自宅から京都まで通っておりました.平成4年に修士課程を修了後民間の大手建築設計事務所に就職し,9ヶ月の研修期間を東京で過ごしましたが,その後大阪事務所に配属となり,平成20年に退職するまで,ずっと関西から出たことはありませんでした.

就職して10年ほど経ってから,博士の学位を取ったらどうかと勧めて下さる方がいらっしゃり,挑戦してみる気になりました.学生時代よりお世話になっていた上谷宏二先生に相談に行くと幸い社会人の身分のまま研究室に受け入れて下さることとなり,建築構造設計の実務と研究の二足の草鞋を履くこととなりました.幸い論文の執筆は順調に進み,平成17年の9月に博士の学位を授与されました.

当時の私にとって学位を取得することそのものが最終目的でありゴールでしたので,上谷宏二先生から「それで,君はこれからどうするつもりか?どこかの大学で教職に就くつもりはないのか?」と聞かれた時,「どうするつもりもありません」と即答していました.

会社の先輩方の中には,定年退職前に大学に移られ教鞭をとっておられる方もおられたので,将来的には会社を辞めて大学に移ることも選択肢としてはあるかも知れないと思っていましたが,転機は意外に早く訪れます.

学位を取って2年くらい経ったころだったと記憶していますが,東北大学の建築構造学講座の教員公募が出ているから応募してみてはどうかと勧めて頂きました.設計の実務経験を評価して頂けたので,幸い東北大学に任用して頂くことになったのですが,東北大の教員は東大か東北大の出身者が殆どで,私を知る京大の先生方の中には京大出身者が全くいないところに行く私を心配して下さる先生もいらっしゃいました.しかしそれは全くの杞憂であり,実際東北大には暖かく迎え入れて頂きました.東北大の「研究第一主義」は,京大の理念にも通じるものがあるように思います.また,「門戸開放」・「実学尊重」の理念に基づき,私のような実務者を教員として受け入れて頂いたのだと思っています.

東北地方をそれまで一度も訪れたことすらなかったのに,単身仙台で慣れない仕事に就くこととなったので不安がなかったと言うと嘘になるかと思いますが,学生時代や実務家時代にお世話になった教科書の著者である志賀敏男先生や柴田明徳先生にも歓迎して頂けたことがこの上なく嬉しいことでした.また,学生の指導の仕方や研究の進め方についても周りの先生方に丁寧にご指導頂き新しい仕事に直ぐに慣れることができました.研究においても京大とはまた違う視点からの考え方,やり方を学ぶことが出来,研究者としても幅が広がって良かったと思うこともあります.

生活面では,東北地方なので冬の寒さは厳しいだろうと,特に1年目の冬は覚悟しておりましたが,仙台の気候は思っていたほど厳しいものではなく安心しました.

仙台に来て3年目が終わろうかという時に,東日本大震災に見舞われました.当時日本建築学会東北支部の常議員をしており,当日は東北支部長の代理で学会の支部長会に出席していました.東京でも強い揺れを経験しましたので,東北地方の被害状況がとても心配でした.東北大学の関係者に電話を試みるも全くつながらず不安な一夜を建築会館で過ごしました.翌日少しずつ仙台の様子が分かるようになったのですが,東京から仙台に戻る手段は失われているようでした.翌日の昼ごろには東海道新幹線が復旧していましたので,止むを得ず家族のいる大阪に一旦戻ることとしました.被災地調査の話が持ち上がっており,なるべく早く仙台に戻ろうともがいたものの,なかなか戻る手立てがなく大阪で待機していたのですが,十日ほど経ってから,東京から仙台までの高速バスが動き始めたという情報を得て仙台に戻ることとしました.当時住んでいた古い大学の宿舎は震災で建物全体が少し傾いてしまって後に取り壊されることとなり,別の無被害だった宿舎に引っ越すこととなりました.研究室の方は,倒れた本棚が内開きのドアの邪魔になって入れなくなり復旧するまでの間しばらくお隣の研究室の片隅に居候させて頂くことにしました.

被災地の調査に関しては,文部科学省からの依頼で日本建築学会の文教施設委員会が学校建築物の調査を実施することとなり,私は体育館などの鋼構造建物の調査をお手伝いすることになりました.東北地方には鉄骨構造をご専門とされる先生が少ないので,鋼構造の設計や耐震診断に関する私の経験が少しでもお役に立てたのではないかと思います.

翌年,この大震災を受けて被災地の大学である東北大に災害科学国際研究所が設立されることとなり,私自身も工学研究科の都市・建築学専攻を離れてそちらの研究所の方にお世話になることとなりました.ただし,本籍は研究所の方に移したものの,都市・建築学専攻を兼務することで,連携して研究・教育を続けています.

災害科学国際研究所は文理融合を目指す点が特徴の一つであり,またその名の通り国際的な研究拠点の形成を目指したもので,海外からも熱い視線が注がれています.私の研究室でも,耐震工学日米共同研究の枠組みで,米国との共同研究を始め,少しずつではありますが成果が現れ始めています.今後も,微力ながら若手研究者間の国際的研究コミュニティの醸成と強化に尽くしていきたいと思っています.