第2回勉強会 議事録

日時:2014年11月29日(土) 14時〜16時40分

会場:Institute of Education (IOE) Level 3 Student Union S16 room

講師:LSE MSc Organisational and Social Psychology: 尾野弘氏

Institute of Development Studies, University of Sussex PhD. Development Studies: 加藤(山内) 珠比氏

プログラム: 第一部 「日本のPKO政策の概観及び南スーダンのPKO活動について」

講師:尾野弘氏

第二部 「PBOと開発ー国連グアテマラ和平検証団の経験から」

講師:加藤(山内)珠比氏

第一部:「日本のPKO政策の概観及び南スーダンのPKO活動について」(講義)

第1部「日本のPKO政策の概観および南スーダンのPKO活動」

講師 尾野弘氏

略歴:2012年、内閣府PKO事務局UN Mission In the Republic (UNMISS)連絡調整要員として南スーダンPKO活動に従事。2013年、London School of Economics (LSE) MSc International Relations、2014年LSE MCs Organisation and Social Psychology所属。

1日本のPKO政策について

o 自衛隊の国際平和協力活動には、国連のPKOミッションと災害緊急支援活動の2つがある。PKOには、PKO法(1992年成立)に基づいて派遣する。自衛隊のPKO参加5原則は以下の通り。

① 受け入れ国で停戦の合意が成立している

② 受け入れ国の同意に基づいて派遣する

③ 中立性

④ 原則①〜③が満たされない場合は撤収できる

⑤ 武器使用は必要最小限に限る、

⑤は今後の法改正によっては変わる可能性がある。’92年のカンボジア以降、 30年で30の活動に隊員述べ4万7千人 を派遣。 平和維持活動 、国際救援、選挙監視などが任務。 世界全体では9月時点でアフリカと中東を中心に16のミッションがあり、約10万人が参加している。日本は約400人(登録制度上は271人)。

南スーダンについて

o 地理、人口:東アフリカに位置する。国土面積は日本の約1.7倍、人口約1156万人。数十の部族がいる。ディンカ族(35.8%)、ヌエル族(15.6%)が多数を占める。牛の財産価値が高く、伝統的に部族意識が強い。

o 歴史:1821年、オスマントルコ下のエジプトにスーダンが侵攻されてから、約200後の2011年7月、南スーダンとして独立した。この間、英国の分割統治政策、北部スーダンのイスラム化政策や人権抑圧による2度の内戦で部族内の激しい争いが起き、20年で200万人が犠牲になった。独立まで国民国家として存在したことはなかった。主に、北スーダンはアラブ族、イスラム教徒、南スーダンはブラックアフリカ、キリスト教徒という構成[HO1] 。

UNMISS (United Nations Mission in South Sudan) について

o 南スーダンの平和の定着と長期的な国づくり及び経済開発に対する支援などのため、2011年7月、国連安保理決議により設立された。

o 参加人員は10,348人(9月末時点)。日本の施設隊以外にインド、ケニア、ガーナ、モンゴルなどの歩兵部隊、中国、韓国、バングラディッシュなどの工兵中隊、スリランカ、カンボジアなどの医療部隊などが参加。

自衛隊の任務

o 1次隊が宿営地整備や生活基盤を確保した後、任務を開始。隊員は30~50度の気温下で、初期はテント、現在はコンテナで生活している。

o 排水溝や基幹道路、国連用の駐機場など、インフラ整備が基本。

o 日本のODA 事業と連携:老朽化したジュバ市内にある浄水場を、JICAのプロジェクトと連携して 解体 。草の根無償資金協力でナバリ地区の生活道路を整備した。

o 国連機関と連携:生活環境が厳しい避難民のためUNHCRとの連携で 簡易木造施設(約120人分)を建設。WFP、UNICEFとも連携。他国部隊とも協力して事業にあたった。

o ボランティア:住民と信頼関係を築くため、書道や折り紙、しゃぼん玉、スポーツなどで交流

南スーダンのクーデター未遂

o 独立後の2013年12月、キール大統領(ディンカ族出身)とマシャール副大統領(ヌエル族出身)の派閥抗争により、ジュバで武力衝突が発生。これは政府軍によって鎮圧されるものの、武力衝突は南スーダン各地で発生し、多くの難民が生じる事態となった。

o ディンカ族による虐殺の噂が広まり、住民約3万人が避難。 自衛隊は文民保護の観点から、給水や食糧・医療支援、トイレの設置など、避難民を支援。 避難民が増えすぎ、保護地区を造成する必要に迫られた。

o 現在のジュバは普段の生活を取り戻しつつある。自衛隊の職務も、本来のインフラ整備に戻っていくのでは。

メッセージ

o 学生の間に現地に行き、生活に耐えられるかなど許容量を知ってほしい。

o 途上国への投資や現地での起業など、色々な関わり方がある。

質疑応答

Qナバリ地区で住民道路を造る時の地元との交渉の苦労、調整役に求められる能力とは

A現地をどれだけ知っているかが重要。国連やJICA、NGOの職員と情報を交換するなどお世話になった。

Q南スーダンの農業、産業の状況について

A歳入の98%は石油収入、輸出によるもの。無くなれば経済が破綻するため、産業や農業の促進は課題。

Q JICAとの連携、防衛省本省に対する現地の裁量について

AあくまでUNMISSの傘下なので、UNMISSからの依頼と日本政府の承認が必要であるが、ある程度の裁量は現地に与えられている。

講義で使用された動画

You Tube防衛省チャンネル(南スーダンPKO)

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/douga.html

政府インターネットテレビ(海外における自衛隊活動のいま)

http://nettv.gov-online.go.jp/prg/prg10813.html

平成26年版防衛白書 (国際平和協力活動への取組)

http://www.mod.go.jp/j/publication/wp/wp2014/pc/2014/pdf/26030304.pdf

参考資料

防衛相

http://www.mod.go.jp/j/approach/kokusai_heiwa/s_sudan_pko/info.html

〈南スーダン〉

CIA The World Factbook

https://www.cia.gov/library/publications/the-world-factbook/geos/od.html

BBC South Sudan profile

http://www.bbc.co.uk/news/world-africa-14069082

第二部 「PBOと開発ー国連グアテマラ和平検証団の経験から」(講義)

第2部「Peace Building Operationと開発と私の経験 」

講師 加藤(山内)珠比氏

略歴:大学でスペイン語・ラテンアメリカ地域専攻。電気メーカーでODA関連の海外営業に携わったのち、1998年サセックス大学開発学修士号取得。1998年~1999年国連開発計画 人間開発報告書室でコンサルタント。1999~2002年、国連ボランティア(UNV)として国連グアテマラ和平検証ミッションに従事。2002~2005年 JICAタンザニア事務所企画調査員(貧困モニタリング)、2006年 英国ODI/Chronic poverty research centreでVisiting fellow (Poverty Reduction Strategy Review on Chronic Poverty のTanzania country studyを担当)。2007~2011年 日本の開発コンサルタント会社での勤務を経たあと、2011年~サセックス大学開発学研究所PhD.課程にてタンザニアの農業補助金が貧困と農民の生計活動に与える影響について調査活動中。

人間の安全保障と人権

o 1990年代、冷戦後にグアテマラを含め各地で民族間の国内紛争などが多発。

o グローバル経済に伴う貧困も問題になった。

o 貧困、格差の拡大 が紛争の原因にó人間の安全保障の概念(武装よりも持続的な人間開発を通じた安全保障)が生まれる

o 政治的側面中心の人権から社会・経済的側面も含む人権概念への焦点の拡大

PBOと開発

o PBO (Peace Building Operation): PKO後の、復興のための平和構築と開発

o 内戦の誘因を取り除かなければ戦争に戻りかねないという点で、平和構築には開発の要素が重要(社会的な不公正や格差、貧困は紛争を起こす可能性が高いと言われているため)

グアテマラの歴史、社会経済的背景

o 紀元前からマヤ文明が繁栄

o 16~19世紀前半:スペイン支配

o 1821年独立/アメリカ(United Fruits社)支配、民主化軍事クーデター

o 1960~96 年: 米軍の介入で政府隊と左翼ゲリラ間で内戦状態に

o ’80~’82年政府・軍部によるマヤの大量虐殺

o ’92年~国連の介入で武装解除開始

o 22の民族・言語/51%(2008年、実質は80%?)がマヤ民族、派遣当時は マヤ民族の比率が中南米で最も高かった/人間開発指数125位(2013) /ジニ係数55.9(2003~12年平均)格差が大きい/紛争の影響で治安が悪い

国連グアテマラ和平検証団(MINUGUA)の設立と役割

o マヤ先住民族の人権保護促進:マヤ民族への社会経済的差別・社会サービス(住居、保健、教育など)の未支援が、格差・紛争 を招いたため

o マヤの虐殺に対する「歴史真相究明委員会」:今も和解に向けた動き

o 平和条約の履行状況の監視や報告、政策的助言と条約履行に基づく援助調整:政治、軍事、警察、司法、社会経済的状況、国内避難民の支援や保護、先住民の権利促進など

o 人権侵害に対する政府の機能強化、助言

UNV(任期3年)としての任務

o 働くきっかけ:学生時代のラテンアメリカ地域研究/現地の人の身近で長く働けるUNVを希望/編集に携わったUNDP人間開発報告書の主題だった人間の安全保障の概念を現場で経験する

o 主な任務:

o 1)1999~2001年 本部で社会開発(保健セクター)担当。平和条約履行状況の監視、報告:政府、MINUGUA地方事務所、他の国際機関からのデータを集め、報告

o 平和条約に基づく政府に対する政策的助言

o 政府・農民ゲリラ代表との国内避難民への社会サービス支援に関する会議開催-政治的な駆け引きの仲介

o 保健分野ドナーを集めた履行状況報告・援助調整促進

o 2)2001~02年コバン地方事務所(9割以上の非識字率)で社会開発担当。平和条約の履行や避難民キャンプの監視と報告、政府への政策的助言/国内避難民の保護や住まい、保健、教育などの支援について報告/保健分野の援助調整

o 地方分権:先住民・女性グループといった組織をつくり、県開発委員会に参加するよう促す (2001年、先住民族代表による参加を含む地方分権化法の可決・施行に伴うもの)

o 警察司法:警察や国への信頼がなく、 住民自ら泥棒などをリンチで制裁していた/内戦で避難している住民の土地を、 勝手に軍人が登記し社会問題化。帰還した農民がデモで蜂起したè警察機関、司法機関の機能を強化。 人権侵害(土地騒動が多い)の住民相談窓口を設けた

o その他:出産など、先住民族の文化を尊重する重要性/高い非識字率のため、多言語教育の必要性があった/農村地域の社会サービス不備/避難民キャンプの政治的不安定さ/マヤ民族は家族同士で殺しあった歴史もあり、内向的

o 感想:国の復興、平和構築に必要な国全体の動きを見られた(本部)/先住民族が22あるため、利害が一致しない難しさ/第三者だから平和構築を促進できる/現地の人の生活や人権侵害の訴えに直に触れることができた(地方)/歴史や社会的背景から、人間の安全保障の実現は時に難しく時間がかかる

平和構築から開発へ

o 2000年、大統領選でマヤ族の大量虐殺当時に大統領だった軍人が支援する候補が当選/MINUGUAは内戦について市民に啓蒙したが、元軍人大統領側の投票勧誘に負けた

o 2001年、財政改革失敗、協定が描いたように進まなかった

o 識字率、乳幼児死亡率、就学率は改善した

o 2004年にMINUGUAのミッションが終了、開発関係機関に役割の移行

PBOと開発機関

o MINUGUA: より広い分野の活動と国の復興にかかる多岐にわたる情報

ó開発機関:開発に特化した、より専門的な情報

o MINUGUA:平和構築、先住民族の人権保護を促進。政治的側面もある

ó開発機関:平和な状態での開発を志向

質疑応答

Q職員とUNVの違い

A指揮系統は職員(Department head)èUNV(担当)だが、MINUGUAでは地方事務所での展開が幅広く必要だったため、UNVが多く、年長者も多かった。また政策監視や政策的助言の任務の性格からか、組織としてフラットな感じだった。違いは機関や任地によると思う。

Q外部からの働きかけで住民の政治への社会参加を進めるのは難しいのでは

A難しかった。住民はほぼ平和条約やミッションの役割を知っていたので、各社会組織(女性、先住民族、農民、商工会など)の要望を県開発計画に反映するため、県開発委員会に参加するよう伝えたら、必要性を理解してもらえた。しかし、各社会グループの組織化や代表を決めるのまでに時間がかかったり、各グループの要望をまとめることが難しかったこともある。(たとえば、各先住民族間の調整)

Q8年間働いた後で修士課程に進学したきっかけ

A社会人になる前から大学院に進学したいという希望があった。開発や貧困への関心もあったので、環境が整ったタイミングで進学した。

Q大統領選の啓蒙活動がうまくいかなかった理由

A MINUGUAの内戦や選挙の重要性にかかる啓蒙活動に、住民の理解が及ばなかったのではないか(以前からの住民の選挙への無関心により、農村地区で投票率が伸びなかったことにもよる)

参考資料

UN Volunteers

http://unv.or.jp/voices/732/