第1回勉強会 議事録

2014/2015年度 IDDP第1回勉強会 議事録

日時:2014年10月25日 14:00~17:00

会場:Institute of Education (IOE) RM.642

講師:JICA英国首席駐在員 中村浩孝氏

プログラム: 第一部:英国と開発

第二部:キャリアを形成する上で考える事

第一部:英国と開発(講義)

1.英国で開発を学ぶということ

2.英国の歴史的背景

(1)植民地経営から開発へ

(2)英国と英連邦(コモンウェルス)

(3)英国とEU

(4)英国の国内事情(1970年以降)

3.英国の開発援助

(1)英国と援助潮流の変化

(2)「ポスト開発援助の時代」

1.英国で開発を学ぶということ

・英国で開発学を学ぶメリットとは何か

・英国の特徴や戦略(なぜ英国が大英帝国になれたのか、産業革命を達成できたのか等)を深く理解することが必要

2.英国の歴史的背景

(1)植民地経営から開発へ

・三角貿易(奴隷貿易)を進めながら植民地や自治領を保有

・開発の始まり…植民地開発法(1929年)と言われる

・2度の世界大戦を勝ち抜くも、第二次大戦後の国内経済は激しく衰退。鉄鋼・電力・電信・電話・鉄道等の基幹産業を国有化し、NHSを含む高福祉政策を開始(社会主義路線)

・アジアやアフリカで植民地が独立(英国は植民地経営に専念できず)。英連邦グループの誕生

(2)英国と英連邦(コモンウェルス) ~英国の影響力を下支え~

・植民地としての位置付けではなくなったが、影響力は維持(経済・貿易ブロック)

・現在の英連邦加盟国…52か国

・国連(加盟国数193)での影響力大

・植民地会議-帝国会議-英連邦首相会議-英連邦首脳会議と名称を変更しつつも、一貫して会議を実施。現在は2年に1度、各国の首脳を集めて開催。

※英連邦と各開発途上国の関係…英国の影響力を考えて各途上国を分析すると違った見方が可能

(3)英国とEU ~ヨーロッパの中での英国~

・1957年にEEC(欧州経済共同体)ができた際、イギリスは非加入(欧州大陸側での動きであり、仏独主導であったこと、当時は英連邦内での貿易にどっぷりと関与)

・EECが成長の可能性→方針転換 3度目の挑戦(1961年、67年失敗)で71年に再々申請~73年1月に加盟が実現)

挑戦失敗の背景:ド・ゴール仏首相が英国の背後のアメリカの存在を意識(70年ド・ゴール辞任)

・現在のEUとの関係(欧州大陸とは一線を画すことが多い)

Ø EU統一通貨不使用(自国通貨ポンドをコントロールできることが鍵)

Ø 英国議会の権限がEUに奪われることに拒絶反応を示す(政治面)一方で、脱退すると欧州市場へのアクセスとゲートウェイ機能を失う(経済面)ので、妥協点を必死で模索中

(4)英国の国内事情

73年:第二次大戦後に国営化された基幹産業の労働生産性が低く、労働組合運動に明け暮れる中、オイルショックを受けポンドも暴落

76年:IMFの融資を受ける〈途上国だけではない〉

79年:サッチャー首相就任 国営企業を民営化(小さな政府、競争原理の導入)。失業率は悪化

80年代:北海油田開発、国家経営改善 規制緩和と法人減税(ビジネスへの規制緩和)

90年代…直接投資・証券投資が倍増、金融立国に

97年‥労働党によりDFID(国際開発庁)誕生

※さまざまな困難に直面(経験を蓄積)

3.英国開発援助のスタンスと日本

(1)英国と援助潮流の変化

Ø ODAの議論

英国:ODAのGNI比0.7%(1970年の国連総会で採択された先進国努力目標値)を

達成(2013年)2012年度の£87.7億から一気に£114.4億へ(日本円換算で約4000億円増:2014年度JICA予算は約1兆1000億円)

日本…GNI比0.23% 米国…GNI比0.19%

※北欧やオイルマネーで潤う人口が少ない先進国は有利。

*注:会計年度について

国際機関等…2013年1月~2013年12月→2013年度

日本・英国…2013年4月~2014年3月→2013年度

JICA・DFID2013年度の年報…2013年4月~2014年3月の1会計年度内

世銀・OECD2013年度の年俸…カレンダー年度=2013年1月~12月。

※データ(数字)を見るときは会計年度に注意


Ø 開発援助政策の変遷

援助額の傾向

1960年代~1997年下降、1997年上昇(労働党政権・DFID発足とともに)

開発行政組織の変遷

技術協力庁(保守党)→海外開発省(労働党)→海外開発局(保守党)→海外開発省(労働党)→海外開発庁(保守党)→国際開発省(労働党)

※政権により省庁の位置付け変更→政策の一貫性が保てず。

※保守・自民連立政権の下でもDFIDとして健在

97年以降の開発援助政策の原則(国際開発法): 「貧困削減」を「グラント(贈与)」と「アンタイド」で!

※90年代までATP (Aid and Trade Provision)を使ったタイド形態が存在

※2013年度の英国のODAの内訳£114億は全てグラントでありアンタイド

※贈与は援助依存を助長する可能性があるが、英国は積極的に推進してきた

※JICAの場合は約8000億円が円借款。フランスやドイツも効率的な借款を推進


Ø 英国の開発援助のスタンスと日本

【英国】

・2000年代に財政支援(Budget Support)を強力に推進(一般財政支援GBS、セクター財政支援SBS)。なおここ数年は一般財政支援(GBS)を減少させ、技術協力を増加させてきている。

※GBS:世銀を使ってPRSP(貧困削減戦略ペーパー)を途上国に作成させ、国庫に直接援助資金を注入

※SBS:農業・教育・保健等セクター別に財布を設け、援助資金を注入(プール・ファンド/バスケット・ファンド)

※途上国の公共財政管理(PFM)能力を伸ばすことも企図されているが、「援助漬け」になるとの批判も

・ビジョンを描き理想に向けて援助の潮流をつくる

※国際開発白書 1997年「貧困削減」、2000年「グローバル化」、2006年「ガバナンス」、2009年「気候変動」。事前に時間をかけて分析し、タイミングを見計らって発表

・ODAのGNI比0.7%の達成にあたり、世銀やマルチ基金(グローバル・ファンド等)に拠出し実績を伸ばす。人道支援・復興支援等の二国間支援(シリア、フィリピン)の実績も影響大。

【日本】

・当初、一般財政支援には消極的であり、パイロット的に実施(自助努力等の援助理念の違い)

・人間の安全保障と国の成長(経済成長、人材育成)を念頭に置いた円借款、無償資金、技術協力を主体とし、特に技術協力はボトムアップのスタンス

・潮流を読み、ビジョンを描く

Ø 開発援助潮流の変化と英国

途上国に流れる資金

・民間投資、移民送金、個人投資…約8割(割合として増大傾向)

・ODA…約2割(割合として減少傾向)

背景:BRICSの台頭、人口移動、途上国市場の成長等

※貿易立国(そして金融立国)として鳴らしてきた英国に大きなインパクト

中国や他国から金が入ってきてマネーフローが複雑化→シティへの資金還元との競争

英国の対応

① 途上国の経済成長と雇用創出が大事であると声高に主張し始める

・「UKのAidは100%国益に資するべし」(DFID大臣)

・アンタイドを標榜しつつも、英国の法律や国際商法伝播のための支援を開始。英国の法律に準じた形で途上国ビジネスができれば英国にとって有利(そのための援助ともとれる)

② 国家緊縮財政の折、英国内での投資促進等を目的として、2013年12月にキャメロン首相は中国に大経団連ミッションを派遣

英国の新しい潮流作り

2013年、Tax, Trade, Transparency (3T)をテーマとしてロック・アーンG8サミットを開催

l Tax…途上国ビジネスでの利益が適切に国庫に入らないという現状がある為、税制はしっかりつくらなければならないという考え方。租税回避地(タックス・ヘイブン)を利用したビジネスへの警鐘。

l Trade…途上国は、貿易(英国の強みでもある)、特に輸出を拡大させることで経済成長を図ろうという考え方。

l Transparency(援助の透明性)…2011年援助効果向上に関する釜山ハイレベル会合でも取り上げられた。開発援助に絡んだ不正や汚職を防ぐため、(公的、民間資金も含めて)適切にモニタリングするべきだという考え方

(2)「ポスト開発援助」の時代

これまでの開発援助の考え方や枠組みだけでは通用しない。日本もJICAも他の国もその流れに飲まれている。今何が起こっているかという事を常に感じ取って勉強・仕事をしないと、世界の動きのスピードが速くなっていく将来において取り残されていく。これまでは、開発援助を考える際に【ODA】の文脈で捉えておけばよかったが、途上国に流れる資金を見てわかるとおり、もはや開発援助(途上国支援)はODAだけの問題ではないことは明らかである。

第一部: 質疑応答

Q:DFIDの開発援助はほぼアンタイドが占めているが、国家戦略として非効率ではないのか。

A:英連邦の歴史の話を踏まえて考えると、アンタイドにして困るのは日本や韓国のような途上国に歴史的ネットワークを持たない国々である。アンタイドは平等というイメージがあるが、それで得をするのは現地に根差しビジネスを先駆けて展開してきた企業。既に(旧植民地諸国において培った)ネットワークを持ち、競争力がある企業にとってはアンタイドでも問題ない。現地企業を含めた全ての企業に対して公平に行うという表向きの姿勢を示したに過ぎず、そもそもアンタイドにしても英国にとってデメリットは少ないと計算しているはずである。

Q:アフリカ開発銀行の場合、投資額を増やしても、会議の際の投票権が格段に有利に得られるわけでなく、英国にとってメリットはないのではないか。どのような戦略の有効性があるのか。

A:アフリカ開発銀行はアフリカ諸国に50%の投票権があり、世銀に比べて重要度が大きいわけではないが、(資金を出すことによって加盟国にも影響を与えられる構造は同じで)そのボードを握る意図がある。

Q:現状では民間の資金が8割を占めるとのことだが、民間資金は具体的に何を指し、またそれぞれがどれ程の割合を占めているのか。ODAを定義・モニタリングするOECD-DACの存在意義も課題になっているとすれば、今後どのように動いていくのか。

A:途上国に流れる資金の内訳・割合は世銀やOECDのホームページで得られる。2割がODA。移民送金が2割強。残りは直接投資・投機を含めた民間資金。先進国は投資先として飽和状態であり、新たな投資先として途上国、新興国に焦点が当たっている。民間資金とは、様々なものがある。例:直接投資、多国籍企業によるCSR、財団等が自分たちの理念で行うもの等。

(OECD-DACでの議論)ODAはDAC加盟国の政府が行う支援である。しかし、今、途上国に流入する資金の8割が民間資金なので、その枠組みを見直す議論がなされている。新たな定義や枠組みを作っても、途上国政府を含めた国連でも認められる必要があり、大きな動きとなりそうだが、現時点でどうなるかはわからない。BRICSが新興国版のIMFを作る動きもあり、伝統的ドナーが守ってきた枠組みとのぶつかり合いが起こる。世銀や国連のみならず、G20等、伝統的ドナーと新興国が一同に集まる場においてどのような議論がなされたかも追っていくことで、今後の開発援助の枠組みがどこに向かおうとしているか見えてくるだろう。

Q:英国は先を見越してアカデミアやシンクタンクとも連携しているとの事だが、JICAではどうか。日本のシンクタンクは援助政策形成において同じような連携が取れているか?

A:日本の大学の知見をJICA事業に活かすという連携は行ってきている。しかし、日本の大学自体が、英国のそれらに比して国際化できていない面は多い。シンクタンクも、日本経済に軸足を置いており、日本の開発援助を進める上で分析しているものは多くない。日本のリソースを生かすという意味でいうと、英国ほど連携はとれていないとも言える。

第二部:キャリアを形成する上で考えること(講義)

大前提:

Ø キャリアは「自分が何をやりたいか」が最重要であり、それがなければキャリアカウンセリングも不可能

Ø 自分の頃とは異なり、今や情報量が増え、様々なポストがあるので、情報に翻弄されないよう注意が必要

【キャリアの一例】

・大学院(理系)を修了後、青年海外協力隊員(理数科教師)としてマラウィへ

・マラウィから帰国後、JICAへ

・JICAでのキャリア

Ø 配属部署での勤務を通して、まずJICAという組織の組織像の把握に努めた

Ø これがやりたいと思うことと、「それができる」かどうかは別問題

Ø アフガニスタン事務所勤務が1つの転機

※二国間援助実施機関のJICA職員として、アフガニスタンというマルチ化した援助の舞台を目の当たりにして、マルチ援助の枠組みや考え方に大きな関心を抱く

→マルチのポリティクスを勉強してみたい

Ø 日本政府国連代表部(ニューヨーク)への出向

様々な加盟国グループの利権がぶつかる決議案交渉を通して日本政府の立場を表明する役割を学ぶとともに、英国は仕掛け人だと感じる。

※英国は表に出る事もあれば、同様の考え方を持つ国にアジェンダの切込みをさせ、後方支援したりする。他方で、G77(途上国グループ)の意見や反発に対しては、英連邦加盟国も活用する。自国の開発アジェンダをマルチの場で浸透させる事が格段に得意である。

→英国ってどんな国なのだろう。

Ø これから

援助協調や連携という美しく響く言葉の裏には援助競争が存在する。そこで生き残っていくためには、競争相手のこと(どういう考え方をするのか)を知る必要があり、自分達の理想だけを掲げていても生き残れない。

(以上)

※無断転載、2次配布は禁じられています。

※10月25日(土)に開催された、第1回IDDP勉強会においての中村氏の講演は、あくまでも講師個人としての発言のため、JICA(国際協力機構)の総意を発表したものではございません。