第4回勉強会議事録

開発とは何か —インド農村開発における経済理論と現場との乖離—

日時: 2014年1月25日 (土)

場所: Institute of Education (IOE), University of London

ロンドン大学教育研究所

講師:岡 通太郎 氏

Asia Research Centre, Visiting FellowとしてLSEにご在籍中 (現 明治大学農学部専任講師)

専門分野:農業経済学 開発経済学, 農村経済論, 新制度派経済学

※講師略歴

京都大学 アジア・アフリカ地域研究科 博士

Institute of Rural Management Anand(インド)外国人研究員

独立行政法人日本学術振興会特別研究員DC2・PD

京都大学東南アジア研究所研究機関研究員

〈第1部〉

[プレゼンテーション]

【テーマ】

Ø インド農村開発における経済理論と現場の乖離

Ø 伝統的価値・慣行の経済的可能性(カースト制度などを例に)

|戦後の開発の軌跡 —ノーベル経済学者によるアプローチ—

1. Gunner Myrdal『アジアのドラマ』(1965)

• インドを中心としたアジアの農村の社会構造及び制度は非合理的であり、変革(開発)を要する。発展しないのはそこに暮らす農民が怠惰であるからだ。

• 発展途上国でよく見られる分益小作は土地が借用される際に予め地代が決められておらず、収穫物の半額を地主が徴収する制度である。この分益小作の非効率性は、互いのインセンティブが半分になることでなあなあの関係になり、怠惰になるためである。しかし、これは経済を中心に据えたときに非効率的だと言える。本当に途上国側の文化は変えられなければならないのか。改革する側の根強いスタンスを見直すきっかけになる提唱。

2. Theodore Schultz 『経済成長と農業』(1968)

• 農村の非効率的な制度はリスクや相互幇助などを考慮した場合に「効率的」なものだ。小作人は収穫が落ちてもマイナスにはならず、分益小作によるリスクシェアの仕組みによって社会の安定は保たれる。長期的に見ると分益小作は経済的に非合理的であるが、地主と小作人の双方が譲歩することにより、貧しくても社会的には効率的な制度なのだとする見方。

• モラルエコノミー論争:農民は利他的で市場原理に馴染まないものなのか、それとも利己的で市場原理による変革が有効なのかが論点。分益小作が排除されたことで農民の労働に対する意識が高まり、収益が上がった事例はある。しかし「自由」にすることによる弊害はないのだろうか。

3. Josegh Stiglitz『開発経済学の潮流』(2000)

• 多様性な合理性があることから分益小作か否かについてはどちらも良いとする見方。農民が非効率的でも社会全体にとってある種の合理性を見いだすことは可能である。

• 開発は「慎重な変革」である。それは他人に介入していじくる行為だと言える。先進国側の都合による変革ではなく、途上国側を尊重し良いところは残していく姿勢が必要となる。

|土着の文化・制度と近代的開発の対立問題

・ 農村構造(分益小作、相互幇助、カーストシステム、文化的慣行= agrarian structure, informal institution, indigenous institution)の何を変えて何を変えては行けないのか。

1. 「場」の論理

人類学(Louis Dumont, Michael Cernea)

・開発する側の謙虚な姿勢、寛容性が必要。

2. 取引費用(transaction cost)の軽減機能

経済学(Stiglitz, R. Coase, P. Bardhan, D. North, 青木昌彦)

・不確実な情報がある中で合理的に動こうとすると市場は失敗する。土着の制度は市場の失敗を克服する方法であり、変えられるべきではない。

3. 集合行為(collective action)の達成機能

コモンズ論・ゲーム論(E. Ostrom)

・ 市場原理は社会全体のことを視野に入れて行動したときに個人にも利益があるという視点が欠如している。市場取引、個人の欲求に基づく取引は枯渇に繋がる。土着の文化はその市場の失敗を想定して作られている。

à したがって、先進国が土着の制度を変革してあげようという考えは古い。とはいえ、そういう思いが心のどこかにないか問う必要はある。

à 農村コミュニティーは市場の失敗に対処する主体であり、その制度を理解した上で参加型の開発を考えることが重視されている。しかし、参加型にすることで現地の人たちのいい部分が開発プランに反映させられているのかという点は疑問。

à 人類学に限らず、「改革開発派」であった「新古典派」の主流も制度理解の必要を主張している。

・「現場の論理」を理解・分析する難しさ

- 現場の論理を理解・分析を阻害する要因の一つは、教育を通して得た科学的な根拠による思い込み。

- 当事者として理解する姿勢が必要となるが、帰る場所がある人にそれは可能なのか。

・インドの事例:30ヶ月のフィールドワーク

- 現場の論理とは……

生産性より自然循環……らくだによる荷物の運搬はガソリンを使うトラクターより効率的。

一方、日銭を稼ぎに工場に行く人もいる(経済的に合理的)。

経済学的に非合理的な理論:神様とともに働く喜びや牛を使い続ける理由はトラクターを使うより楽しいため、など。

マナーの悪さ:電車の床で寝る・車中で用を足す

蚊に刺さされ蠅が集り、化膿したところ、原因である牛糞を付けられる。岡氏は朦朧状態になるものの、翌日(恐らく身代わりとなって)その牛は死に、除霊の後に無事容態は回復。

à 土着の文化を理解することは目標であるが難しい。

|債務奴隷は合理的か

• 債務奴隷は地主から医療費等を貸与された労働者がその後その地主のもとで安い賃金で働き続けるという土着慣行

• 地主と労働者の格差

• 債務奴隷は世代を越えて引き継がれる確率が高い

• 地理的分布とトリックダウン阻害効果

2他地域よりも低賃金

• カースト・歴史・社会関係全般と密接に関わる土着性

=全体で一つのシステムとして機能している

|事例:カイミ制度(グジャラート州)

· インターリンケージ(制度の経済学においては合理的)

— 地主がその労働者に(市場利子率よりも)低い利子率で融資をし、そ の損失分を賃金から差し引く

— 労働者は信用制限がある環境下においてリスクの軽減ができ、地主は安価な労働力が確保できる

· クジャラート州60ヶ村の調査(5ヶ月)

— なぜ地域によって賃金格差があるのか。

調査対象:土地の面積・労働者数・市場原理の普及・地理的条件による労働者の流動性・土地の生産性等

分析結果:賃金を低くする最大の要因はカイミ制度。社会制度によって賃金が低くなっていた。

• カイミ制度がない場合:賃金が高い。自由な市場原理が働く。

— より高い賃金で働ける村に行くため、労働者の流動性も上昇。

— 例)カイミなしの村:30 歳以下の若者は農業労働をやめており、7割以上が非農業に従事。そのうち64%が日銭稼ぎでダイヤモンドの生産工場で働いている。

• カイミ制度の歴史的背景

— カイミ制度の発達した地域は英領グジャラートと一致する。

— 英国人をうまく利用し、労働者を取り込んで社会を安定させた支配層がいた地域ではカイミ制度が残っているが、支配層が戦ったところにはカイミ制度が残っていない。

【第2部】

[ディスカッション]

|カイミ制度は変革すべきか?

· 考慮ポイント:

1. 自由・平等・市場(工場→労賃上昇)

※トリクルダウン効果:国全体の経済成長が農村の貧困層にまで浸透する現象。そのためには市場原理が働く必要がある。

2. 市場の失敗・コミュニティー・長期的視点

- その他:土着制度に対する理解 / Yahooニュース(2014.01.19)

汚物を素手で清掃する不可触民の記事に対する反響は優劣を指摘するものが目立った。制度を問題視することは良いとしても、バイアスをかけて判断してしまうことが私たちにもあるのではないだろうか。

〈賛成派〉

— 経済的に合理的

— カイミ制度は選択の自由を制限する

— 労働関係の拘束性(行動範囲・次の世代に継承される点等)

— カイミ制度によって社会は流動性を失う

— 労働意欲が促進されず、ボトムアップの成長は期待しにくい

〈反対派〉

— 社会の安定化に貢献している

— セーフティネットとしての役割(一定の雇用・社会保障)

— 変革に農民の思いが反映されているのかという疑問

— 情報の格差による、真の選択ではない変革の可能性

— 利便性:必要な時に借りられる

— 持続可能な文化制度

— 教育水準が高い

〈現状維持派〉

— 現地の農民による変革に任せる(現地の人中心の変革)

— 変革は地主の良心次第(パワーバランスは無視できない)

— 先に環境を整備すべき(初等教育等)

— 金融制度を整えることが第一

— 環境の変化に伴い、徐々に変わるのではないか(政府の充実・選択肢の拡大等)

〈代替案〉

— 借金完済の手段としてNGO等によるマイクロファイナンスを村に導入する(失敗例あり)

— 外資系の工場が地主に頭金を支払い、農民を雇用する(地主と農民が生活の基盤を向上させつつ持続可能な生活を営む方法として)

— カイミ制度を合法にする

[まとめとフィードバック]

· 「自由」 対 「セーフティネット」

— カイミ制度のない社会は自由。近代社会では自由が無条件で受け入れられる価値観であり、群を抜いた善として見なされる。しかし同時に何かを失っていないか。

— セーフティネットは物理的な援助によるものだけではなく、失敗しても大丈夫なのだという感覚を与えてくれる。それに気付くことで本当の意味で自由は謳歌されるのではないか。拘束されているからこそ自由が得られるとすれば、自由とセーフティネットの融合は可能になると言えるだろう。

— 今、稼がなくても生きていけると思えるか。

カイミ制度なしの場合:子どもが学校に行かず働くことは人的資本の阻害。長期的に見れば明らかに市場が失敗している。また、信頼関係がない日雇いの非農業で稼ぐ生活は、労働者を精神的に不安定な状態に陥らせる。

— 安心感は数字で表せない。しかし、安心があるから長期的な自己投資、環境投資が可能になり、本当の力が発揮できる。

— 開発に携わる上で大切なのはこの自由とセーフティネットの対立に悩みながら現場に接して行くことだろう。

· 開発とは何か?=他己変革

1. 理論バイアスはないか

— 土着は障害だと決めつけてはいないか

— 市場の失敗、ゲーム論を考えたか

2. 心理バイアスはないか

— 途上国は劣っているという先入観

— 当事者体験をしたか

3. 自己変容

— 研究・制作への影響

à開発とは介入して、変えること。他動詞だが、自分自身を変えて行く自動詞でもある。開発していくにあたってこの自己変革と他己変革のバランスが重要である。

[質疑応答]

(質問):「安心感」は甘えに繋がる部分がある。安心感を与えながら自由な行動を可能にするにはどのように働きかけていけばよいのか、何か考えはあるか。

(応答):安心感とは人が周りにいるときに得られる感覚。自分の存在を肯定してもらうことで人は安心できる。貢献することで肯定され、安心することができ、それによって自分をより高めることができる。しかし無意味に肯定されると甘えに繋がる。行動経済学におけるニューロンの研究によると、人間には人に評価されているのか甘やかされているかの判断をする能力があるという。行動経済学の「甘えの構造」が参考になるのではないだろうか。