第1回勉強会 議事録

■ 第1回勉強会概要

「日英の援助アプローチから見えてくるもの –Neo-liberal and Inclusiveness- 」

日時: 2011年10月22日(土)

場所: 英国JICA事務所セミナールーム

講師: 神 公明 氏 (英国JICA所長)

■ 勉強会議事録

<はじめに>

イギリスでは日本の援助の知名度は低い。ゆえに日本の援助に対する評価も低いのが現状。

JICAでこれまでやってきた事は国際社会の中でどういった位置づけなのかを考えたい。

<Ⅰ.イギリス社会の特徴>

チャリティと福利厚生

階級社会の中で社会制度を維持するために必要なシステムと言える。下層階級の家計が赤字になり、上層階級から所得移転をしないと社会がなりたたないから。チャリティはイギリスのジェントルマンに特徴的な行動規範となった。

イギリス国民は教育と医療/保健は基本的に無償であることが保証されている。

<Ⅱ.イギリスの社会と経済>

金融業と製造業

この見事な二分化が特徴であるといえる。シティで働く金融マンこそジェントルマンであり、製造業に従事するのはジェントルマンではないという意識が強い。輸出入に関して見てみると、イギリスは圧倒的な赤字を出しており、この赤字を補てんするのは利子所得、海運や保険といったサービス業での黒字である。世界に先んじて工業化を図り、1850年ごろまで「世界の工場」と言われていたが、以降は事実上、現物の輸出入での利益はなく、金融や情報といったバーチャルな分野に依存した経済である。

経済

1870年代から100年間続いた不況は、イギリスを世界の王者としての位置をおびやかし、新自由主義政策をもって改善を図った。サッチャーのネオリベラリズムや金融ビックバンなどを経験し、それまでの形式主義的な社会/経済性格は今や極めてネオリベラル的であると言える。

政治・政府

ブレアは、サッチャーが求めた効率性は公共部門においても目標として定められるべきものとした。サッチャーとブレアは共に階級社会をネガティブに捉えているが、経済格差が教育格差に反映される傾向が強く、階級間の格差が世代をまたいで固定化されてしまう社会性質はいまだ変化がない。

<Ⅲ.イギリスの援助>

90年代に、技術協力は非効率的であるという見解が広まる。それに伴って、プロジェクトベースからプログラムベースに、技術協力から資金協力へと援助形態を変化させてきた。分野的には、貧困削減やミレニアム開発目標など、サービスデリバリーの発達への援助へ比重が大きくなってきた。

イギリスの大きな強みは、グローバルナレッジに長けていることである。これは国内に多くある研究機関の功績が大きい。しかしサザンナレッジ(=途上国の現場における知識)には長けていない。なされる研究はスケールが大きく、政策的なアプローチを得意としている。

政策は10年周期で変化していくため、援助は非常に流動的であると言える。援助が効率的でなく期待した成功が得られない場合は新しいものを次々に試す傾向にある。

CSOs (Civil Society Organizations) とチャリティがイギリスの援助において非常に大きな役割を果たしている。

マネジメントは常にresult-basedであり、アプローチは常にevidence-basedである。エビデンスを集めるために大学等研究機関に多額の投資をする。エビデンスをもとに、客観的に事象を分析することを好む。

<Ⅳ.援助の効率性>

これまでの開発援助が成功しないのは、乏しい状況のプロジェクトが多すぎたことや、SAPのように一方的に条件を突き付けた形であったことが原因であるとされている。

上記の反省を踏まえたのがパリ宣言。途上国のオーナーシップを尊重し、ドナー間での援助協調がなされた。援助を受けるからには結果を求められ、説明責任を果たすことが求められる。

<Ⅴ.日本の経済成長>

国家の主動のもとの計画経済。アメリカに比べ所得の差も少なく、農家と勤労者世帯での収入がほとんど変わらない、格差の小さい社会であった。原油危機の際の対応は国際社会から大きく評価されたという説もある。バブルが崩壊したのち、現在まで不況が長引いている。

自由民主党の出現により、政治が安定した。アメリカの積極的な支援を受けて、設備や制度がおおきく整備されたことが経済発展の理由ともいえる。不況が長引いているのは、製造業がこれ以上発展する余地がないということがひとつ、もうひとつは戦前の利益共有思想をもった世代と、戦後の自由平等思想をもった世代との間で古き良き日本の社会プロセスがなくなっていき、産業に対する合意が形成されていないのではないだろうか。

製造業での発展が止まってもなお、この20年間、新分野開発は行われてこなかった。「失われた10年」では金融機関救済や社会政治システムの見直しに追われ、新分野の開発まで手が回らなかったと言った方が正しい。その結果IT産業ではアメリカはもといアジア新興国からも遅れをとるようになってしまった。

<Ⅵ.小泉内閣(イギリス型改革)>

雇用規制の緩和など、サッチャー政権にならって規制緩和を推し進めた結果、非正規労働者の大量解雇を引き起こし、若者の失業率を増やすこととなった。

2002年から2008年まで、経済指標城では好景気とされているが、労働者の所得は減っていた。大企業と中小企業との間の格差が大きくなり、社会全体に貧富の差が広がる(=ネオリベラル的な側面の表れ)こととなった。

日本にはイギリスのように教育や医療の完全無料化というセーフティネットがなかった。この点は内外からバッシングを受ける結果となる。

<Ⅶ.日本の問題点>

官僚と政治家

官僚がアイデアを出し、政治家がそれを調整するという構造。前例主義にのっとっているので、変化の大きいこの時代に功績をのこせるシステムではない。既存の価値観の中で最大限の効率性を他達成するのが官僚政治であるが、これが今の時代に沿っているとは言い難いのではないか。

経路依存

1960年から70年にかけて成功を収めた経済成長モデル(=成功体験)から転換できない。依然として輸出産業に依存し、所得再分配の名のもとにインフラへの過剰投資がなされている。

<Ⅷ.日本のODA>

Economic Growth and Infrastructure Orientation

ハードとソフト両方のインフラ整備および産業人材育成からなる経済発展基盤整備。円借款と技術協力が主なツール。日本の経済成長モデルと重なる部分が多い。

Human Centred Development

安全保障(Human Security)が2003年ODAチャーターに含まれた。

New JICA

JICAの新しいビジョン(2008年): Inclusiveness and Dynamic Development

<Ⅸ.日本のODAに対する批判>

フィールドプレゼンスの弱さ

説明能力の低さ(対他ドナー)

政策(policy)と施行(implementation)の乖離

技術援助の非効率性

<Ⅹ.日英の違い>

イギリス:Framework approach

全体を見渡した政策を通して改善を図る。新しいものを取り入れ、効果的でないと判断されたものは取り入れない。ODAの独立性が高い。各セクターの専門家は少ない。援助は大きければ大きいほどいいが、いかに迅速に現地に届けるかが課題。

日本:Ingredients approach

材料を提供し開発をうながす形式。アジアでこの手法が成功してきたので、他地域にも応用しようとする意図が強い。新しいアプローチの採用にはあまり積極的ではない。プロジェクトを進めつつ、随時コンテクストに合わせて修正していく。

最近の状況

イギリスの援助政策が大きく日本式にシフトしてきている。しかし、ヨーロッパの研究者の間では日本はヨーロッパでのアジェンダから消えつつあるという共通見解がある。これは、日本の援助に付加価値が見いだせない(=新しい事が導入されないので、日本から学ぶことはない)と思われている、あるいは日本の経験が国際社会で正しく分析・共有されていないことが原因かもしれない。

<Ⅺ.英国式援助に対する批判>

取引費用(Transaction cost)の削減が基本的な設計思想となっている

援助効果の評価基準が短期すぎる

考察の枠組みや基準が単一の視点に偏ると、複雑に要因の絡み合った事象に取り組む際に全体像をとらえることに失敗する

<Ⅻ.Inclusivenessの議論>

開発プロセスにより多くの人が参加できるようにする。Inclusive Developmentという概念を整備し定着させたい。Inclusive Indexなる指標も近々出来ればいい。

<XIII. 最近の援助の多様化>

新ドナーの出現

中国、インド、ブラジル、東南アジア諸国、アラブ諸国が新しいドナーとしての活躍の場をを増やしている。

ODAを超えた援助

グローバルファンド、ゲイツ財団、ロックフェラー財団などがプライベートで援助をしており、その規模や効果などは見過ごせない。

PPP (Public Private Partnership)

African Enterprise Challenge Fund (UK), Business Innovation Facility (UK), 海外投融資事業(日本)