第4回勉強会

■ 第4回勉強会概要

「NGO・協力隊経験者による国際協力体験談」


講師:中村真与氏、筒井清香氏、仁井勇佑氏、中島洋恵氏

日時:2010年1月30日(土) 14:30-16:30

場所:ロンドン大学SOAS Brunei Gallery B102 教室

勉強会内容:


1. 講師の経歴紹介

2. プレゼンテーション(中村氏、筒井氏)

3.休憩

4.プレゼンテーション(仁井氏、中島氏)

5. 質疑応答


■ 各発表者の略歴:

中村真与(なかむら まよ)

現在、University of Sussex, MA in International Education and Development(サセックス大学国際教育開発修士コース)在籍中

在籍学部時代に約1年半、イギリスNGO、College for International Co-operation and Development (CICD)が主催するアフリカボランティアプログラムに参加。モザンビークにて教員養成学校の講師として勤務、アンゴラにて初等教育ベースライン調査員。復学し、学部卒業後イギリスの大学院へ進学。


筒井清香(つつい さやか)

現在、University of Sussex, MA in International Education and Development(サセックス大学国際教育開発修士コース)在籍中

青年海外協力隊参加 タイ 村落開発普及員(2年間)。帰国後ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)教育協力課勤務 (約4年間)。



仁井勇佑 (にい ゆうすけ)

現在、University of Sussex, MA in International Education and Development(サセックス大学国際教育開発修士コース)在籍中

青年海外協力隊参加 トンガ・バヌアツ 日本語教師(約3年間)。その後、フィジーにて草の根調査員として勤務(2年間)。



中島洋恵(なかじま ひろえ)

現在、Institute of Development Studies (IDS), University of SussexMA in Governance and Development(サセックス大学開発研究所ガバナンスと開発コース)在籍中

学部卒業後、建設コンサルタントの国際事業部(ODAコンサル)に就職(約1年半)。日本のNGOに転職し、広報啓発と助成事業(日本のNGOが実施するプロジェクトへのファンディング)を担当する(4年半)。その後、青年海外協力隊参加 エルサルバドル プログラムオフィサー(2年間)。


■ プレゼンテーション・議事録

中村真与氏のプレゼンテーション


学部在学中、NGOでの活動を選んだ理由

・大学院進学を踏まえて、事前に現地での経験に基づいた問題意識をもちたかった。

・実際の援助活動(特に教育分野)の現場で、現地の人々が援助をどのように感じているのか、また自分はそこでどう開発分野に関わっていきたいのかを探りたかった。


事前活動:イギリス(Hull)

・ 10ヶ月間の研修・ 国際色豊かなチームメイトと共同生活、メンバーごとに役割分担→ポルトガル語の授業を担当。

・「アフリカ」という雑誌を作成し、それを販売する事で一人2800ポンド(当時)の資金を集める。

→旅費、研修費、現地での活動費


現地での活動:モザンビーク ビリビザ

教員養成学校にて講師

・ 英語・社会科の授業を担当(日本では高校1-3年生にあたる学生だが、年齢にはばらつきがある。)


その他自主的に

・ エンターテイメント(映画の上映)

・ 課外活動でのイベントの企画(おはぎ作り)

・ HIV/AIDS啓発活動

・ 小学校の授業見学

・ 図書館建設サポート

・日本とモザンビークの小学校を結ぶ国際交流


公式に与えられた仕事は週1、2回の授業だけであったため、課外時間をいかに有効活用するかが重要であった。遠隔地のため教材等は入手困難だったので、教員養成学校のカリキュラムに教材作りが組み込まれていて興味深かった。


活動を通して(重要だと)感じたこと

・教師へのHIV/AIDS教育

→活動地域の各学校では、教師と生徒の間に絶対的なヒエラルキーが存在していたので、教師自身が知識不足を生徒の前で自ら認めることは文化的に難しく、不確かな情報を絶対のものとして伝えてしまう風潮があった。そのため、教師のHIV/AIDSに関する知識向上が、コミュニティー全体のHIV/AIDSへの正しい理解につながる。

・コミュニティー外の世界を知ってもらう→映画などを通じて。


活動後の感想

・ 個人の力の限界

→国際理解教育・開発教育の重要性もっと多く、若い世代の人たちに関心を持ってもらう。実際に、日本の小学校とモザンビークの小学校で生徒の絵を交換した。お互いの将来のビジョンを紹介する過程で、それぞれの国の文化の違いを知る良い機会になる。


現地での活動:アンゴラ ベンゴ州

小学校のベースライン調査員として現地調査

・州内の3つのコミュニティーが対象地域

・アンケート調査実地(児童、保護者、教師、校長、行政、村長)

・報告書作成(データ作成・比較)

・社会調査のトレーニングは事前に受けていなかった。


活動を通して(重要だと)感じたこと

・現地のヒエラルキーを尊重し、初めて地域に入る際には、行政担当官、コミュニティーの長などへ挨拶をする順序を守り、調査活動への理解・協力を得る。

・現地の人々の人種やジェンダーに対する認識を理解する

→ボランティアは部外者とみなされるので、村人に警戒心を与えないために村を歩く時は現地の教師に付き添ってもらった。

→「中立」な立場で現場には入れないと感じた。現地の人々からは、アフリカ人以外の人種はすべて「白人」とみなされた。NGOや外国人というだけでお金を持っていると認識された。

→自分が女性であるという理由から村人(特に女性)から警戒されることは少なかったが、村の男性からは意見を聞き入れてもらいにくい時もあった。交渉の場では、男性の立場を尊重するように心がけた。

・人々が援助に依存している現状を知る。

・英語以外の言語(現地の言語含め)の習得・ 参与観察記録法関連の書籍を読んでおくと、滞在中のデータ収集・整理に役に立つ。

・一芸(ダンス、武道、楽器など言語以外のコミュニケーション手段)をもつ事


活動後の全体の感想

・旧ポルトガル領アフリカにおける教育発展が、旧イギリス領と比較して不利であるという歴史的背景を、現地に行くことで初めて身を持って学んだ。大学院で学ぶ前にフィールドに行けた事は良かった。途上国の現地の人の文化感覚(金銭感覚、援助やジェンダーの捉え方、教師‐生徒間のヒエラルキー等)を知ることができたので、文献への理解が深まっている。

・日本における開発教育の重要性


筒井清香氏のプレゼンテーション

非識字の問題とは?

・非識字者の日常生活からの視点

→薬の表示・処方箋が読めない(時には命に関わる問題)、個人的な手紙のやり取りができない、市場で値段の表示が分からなかったり簡単な計算ができない、等。

・開発に携わる私達からの視点

→データなどを含めたプロジェクト関係の記録が難しい、文書を介した技術の伝達やフォローアップが困難になりがち、等。


識字の大切さに気づくことから、途上国での教育問題に関心を持つ。

青年海外協力隊

動機

・学部時代に交換留学中、JICAの協力隊海外受験の機会を知った。

・文献からだけでなく、実際の途上国の現場を知りたかった。

・青年海外協力隊での活動を、職務経験の一つにすることができると思った。


村落開発普及員として派遣

・専門性や、職務経験がなくても参加できる。

・現地のニーズを住民と共に探り解決していく、コミュニケーションスキルが必要。

・臨機応変な対応が求められる。


派遣前訓練

・語学と国際協力の基礎知識を学ぶ。

※現地到着後、2週間程度の研修があり、その後も年に1度の健康診断などサポートが充実しているので、はじめて現地に行く方は安心かもしれない。


タイ ピサヌローク県 バンラカム開拓地に派遣

・おおらかな国民性で親日なので、日本人に対する差別がなく、地域に入っていきやすかった。

・首都バンコクと北部の大都市チェンマイの真ん中あたりに位置する水田地帯。

・開拓地とは、災害や貧困、ダムの建設等の理由によりタイ政府の方針で移住した人々が多く住む地域。

・農業中心、職業グループが多数存在する。


活動内容1

・女性職業グループの支援

→タイ政府が実地する一村一品運動により、特産物考案のための研修を受けることができるが、研修後のサポートはあまりない。農業以外の副収入として、何をどうやって生産し、どこでどう売るのか、女性グループと共に検討し実施する。


活動内容2

・読書推進・絵本普及活動

→村に本が不足していため、子供たちに絵本を届ける。

現地の保育士・教員・タイ人同僚だけでなく、タイに日本語教師として派遣されている隊員仲間達と協力。

日本から贈られた絵本にタイ語の翻訳をつけて配布する。

合計10箇所、500冊以上の本を届ける。

絵本の読み聞かせ、絵本の維持方法などを普及する。


ユネスコ・アジア文化センター(ACCU)

・教育協力事業に携わる:「万人のための教育(EFA),持続可能な開発のための教育(ESD)」を推進

・特にユネスコ・バンコクオフィスと協力することが多く、ユネスコの教育事業の事務局として業務を行うことも。

・国際会議・ワークショップ運営・現地オフィスは無く、アジア太平洋のユネスコ加盟国の教育省、教育系NGO、大学等を現地パートナーとして事業を実施。

・教材開発・普及活動

アジア太平洋各国の教育専門家と協力して教材を作り上げていく。英語のマスター版が完成すると、各国のパートナー団体がそれぞれのニーズや文化に合わせて、言語、内容、表紙や挿絵を変えて普及していく。

仁井勇佑氏のプレゼンテーション

トンガ(南太平洋)について

・海面上昇の被害を受ける可能性がある島国。

・日本からの草の根無償資金援助:年間約1億円。

・山が無いために水源がない。そのために、主に貯蓄タンクを建設するなどの、給水案件が中心。

・主な資金援助国:EU、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ・ 他の出資国:アメリカ、日本

・特に日本は、青年海外協力隊などの人材派遣が中心。


日本語教師としての活動

授業の進行度が遅い

→授業時間は1時間だが、実際に行える授業内容は10-15分程度。

日本での日本語学習者に比べて、1回分の授業を教えるのに習得までに2-3週間かかるといったこともあった。そのため、計画が立てにくいのが問題であった。

学校は日本政府が建てたが、日本語用の教室は無かったので、青空教室で教えることもあった。


文化など

・Whale watchingが出来ることで有名(一時期、捕鯨問題のために日本人観光客バッシングされるなど、日本との関係が危うくなった事もある。)

・巻きスカートとシャツが正装・芋が主食。豚が貴重な財産とされている。現地人の体格は大きい。

・主な宗教は、キリスト教(トンガでは9割以上がキリスト教) 活動後の感想・2年間という、限られた時間で何かをやり遂げることの難しさを学んだ。

・南太平洋では、お酒ではなくカバという飲み物を飲み交わすことが大切なコミュニケーション手段。そういった場できちんと振舞うことが、その文化に対する尊敬の念を示すことであり、活動の効果にも影響することを学んだ。


フィジー 日本大使館、草の根調査員

応募動機

・バヌアツで日本語教師をしていたときに、現地の人たちに何かお礼ができないかと考えていた。また、当時草の根調査員をしていた方から勧められた。

・それまで教育と関わってきたが、業務内容は教育とは離れてしまうということで、当初は応募をためらったが、現地の人たちの生活向上のために何か出来ないかという思いで決意。


業務内容

・案件の発掘、調査、実施、管理、運営までが仕事。1サイクルが1-2年。2年間の中でできたプロジェクトは半分程度、引き継ぎながらプロジェクトが行われる。

・調査では、案件が本当に現地のニーズに合っているのか、その後の持続可能性はどの程度あるのか、相手国の財政状況を調査項目としてチェックする。

・現地のオーナーシップを重視:こちらからプロジェクトを相手国政府に勧めることはない。国ごとにプロジェクトのプロセスは異なる。プロジェト要請への対応という形式になる。

・日本政府の援助方針と趣旨と一致しているかを考慮しながら案件形成をしていく。

・大使館から外務省を経て採択されるので、必ずしも実地に結びつくとは限らない。

・採択された場合、実地、管理、運営を行ってプロジェクトを終える。



中島洋恵氏のプレゼンテーション


学部卒業後、日本国内で働いた背景

・20代中盤までは、特に開発の現場で仕事がしたいという気持ちが強かった。新卒での協力隊参加を考えたのもこのためだが、当時知識も専門性にも欠けると思った自分は、応募を諦めた。そして開発コンサルタントのアドミニ部門に就職した。

・さらに現場の人々に近い仕事をしたいと思い、国内のにNGO転職。ここでは広報啓発、助成事業を担当することになった。海外の現場で働きたい気持ちは常にあったが、幸運とでも言おうか、大学卒業後は常に国内業務を通じて国際協力の仕事に携わることができた。そして、この経験が自分自身を一社会人として育てることになった。


コンサルタント時代の業務・学んだこと

・現地事務所のサポート

・ODA案件受注のためのプロポーサル作成

・ 海外調査業務の基礎

・社会人としての常識(文書作成・電話対応・社内社外人間関係など)


NGOでの業務・学んだこと

・開発教育の分野でファシリテーターの技能習得

→ワークショップの企画・実施だけでなく、参加者の理解を深める役割

・草の根レベルのプロジェクトの理解

・NGOネットワーキングの重要性


それまで現地で活動することを強く希望していたが、NGOでの業務を通じて、日本の人々への国際協力の認識を高めることなど、日本での業務の重要性にも気づくきっかけとなった。


青年海外協力隊

志望動機

・ドナーのお金がどうしたら有効に用いられるのか考えられる人材に成長したい。そのために、やはり開発の現場の人々のことが知りたい。

・農村部の貧困の現状を確かめたい。

・国内積立金で貯金が出来る(毎月約9万円(当時))。

・現地の言葉を習得できる・・・等。

・帰国後のセミナーやカウンセリングなど就職に向けたバックアップが充実している。


エルサルバドル(中米)での活動

・活動内容(プログラムオフィサー)

・住民参加型のプロジェクト計画・ワークショップ計画・実施

・村落系隊員の勉強会リーダー・ 現地スタッフを育成し、現地スタッフによってワークショップを改良・持続させる。


活動内容一例-住民参加型のプロジェクト計画ワークショップ

自然資源、経済、インフラなど、自分たちの村の抱える問題を村民自身が考えて、問題の原因分析・優先順位付けを行い、プロジェクト計画策定・実施につなげていく活動。自分がプロジェクトの前面に出るのではなく、現地スタッフの育成に力を入れた。


活動を通じて感じたこと

・ニーズがあるから(水道施設など)建てるという観点からだけでなく、それらの建設後、どのようなマネージメントをし、管理、共有していくのか、また、地域への影響や利害関係者の存在を考慮することが重要だと感じた。

・活動中に、現地スタッフがプロジェクトを遂行する過程で、悩んだり喜んだりしながらよりよい仕事を実現する姿を見たり、村人の気持ちがこちらに伝わってくる瞬間などに、「エルサルバドルに来てよかった」と思った。


活動後の感想

国際協力の仕事は、契約が多く、収入が不安定だったり、長期間日本を留守にするために諦めなければならないこともあるかもしれない。しかし、はかり知れない喜びややりがいもある。楽しいこと・やりがい・犠牲のバランスをよく考えることの必要性を考えさせられる。


■質疑応答

>現地の人々の生活はどの程度貨幣に頼っているのか。

(中島)

エルサルにおいてはアメリカからの(資本流入の)影響を強く受けているため貨幣はかなり流通している。農村部では自給自足的な生活をしている農民が多いが、学費、医療費等の支払いはもちろん貨幣で行われている。


(中村)

モザンビークの活動地域においては、自給自足をしている世帯では現金収入はあまりなく、教師、小売り、大工などの職に就いている人々が現金収入を得ている。食べ物には困らないが、現金は必要になることはある。地方の、畑を所有している世帯では現金がなくても生活できる一方、都市の貧困地域に住む世帯の多くは耕す土地を所有していないため、食糧確保や病院への移動にも現金が必要不可欠となる。 親族間のネットワーク(相互協力)が密接である場合、(極端な例かもしれないが)現金が無くても生活に困ることが少ないと言えるかもしれない。アンゴラの調査地域では、首都からトラックで個人の荷物を農村に運ぶ際、都市部に住む親族が農村部に生活用品を届け、代わりに農村部に住む親族が食糧(または特産品)を都市部へ送り返しているという光景を実際に見たことがある。


(筒井)

タイでは、地方においても貨幣がかなり浸透している。農村部では自給自足が不可能ではないかもしれないが現金は必要。最近の傾向として、農村部でも、借金をしてでもテレビ、洗濯機といった家電やバイクを購入する人々が増えていると感じる。


(仁井)

都市部では小売り、サービス業(ホテル)などで現金収入を得ている人もいるが、農村部の人は自給自足で生活している。 特に、トンガにおいては、国家収入事態も援助に頼っており、生活のための収入も海外で働く親族からの送金が中心。そのため、親族によってその世帯の財力が決まるといえる。ほとんど仕事していないように見える人でも、車を所有している事がある。


>青年海外協力隊での活動を終えて、その後の気持ちの変化(他の隊員を含め)はどのようなものだったか?また、青年海外協力隊に参加したという経歴は、(就職活動をする際)日本の企業からどう評価されるのか。


(中島)

(活動を終えた後)力が一気に抜けてしまった、というのが率直な感想。現地での生活と日本の生活のギャップに慣れるまでの数ヶ月間は、虚無感のような感覚に陥った。しかし、自分が日本人であるという意識、そして日本という国が自分の生きる(生きていかなければならない)場所であるという意識を持つには必要な時間だったのだと今は思う。 就職に関しては、青年海外協力隊に参加する以前にある程度職歴を積んできたこともあるし、現在は勉強もさせてもらっているので、ある程度満足している。このため、この先自分が日本であっても、海外であっても国際協力の仕事に携われる限りは強いこだわりはない。 共に活動した他の隊員の大半は学校、または日本の企業に就職している。


(筒井)

活動終了後の気持ちとしては、まだまだ同じ場所で活動を続けたい、と思う反面、自分の力不足を感じた。現地の人に貢献するためにも、(開発について)もっと学んで再びそこへ戻ってきたい、という思いがあった。 日本での就職は一般企業を受けていないので不明。すぐに大手商社や、コンサルタント会社などに決まっていく人もいる。先生になったり、再度勉強し直す人も多い。一般的に協力隊は世間受けしないというニュアンスも強いが、そこまでひどくもないのではと思う。


(仁井)

(活動を終えた後の)変化としては、「豊かさとはなんだろうか」という疑問を抱くようになったという事。実際に活動した国で見た現地の人々は、自分の時間も家族との時間も大切にしていた。生活の質が豊かであると感じた。一方、(経済的には豊かかもしれないが)日本では、人々は仕事に、時間に追われているように見える。 活動後の反省としては、確かに知識と経験が及ばないという限界があったかもしれないが、一方で、もっと出来ることがあったかもしれないと感じる。 活動後の就職活動では、(一般)企業の反応は冷たかったように思う。理由としては、青年海外協力隊と在外公館での経験が、職務経験として認めてもらえなかったため。