第5回勉強会

第5回勉強会 「JICAのアフガニスタンにおける復興支援」

講師: 杉本 樹彦 氏 (国際協力機構(JICA): 現在University College Londonに所属)

若松 英治 氏 (同機構: 現在University of Sussexに所属)

日時・場所: 2008年3月13日(金) 午後6時~8時/JICA英国事務所会議室


配布資料:

1.JICAアフガニスタン支援プロジェクトマップ

2.JICAアフガニスタン支援クロノロジ


プレゼンテーション:

第一部 「JICAのアフガニスタン復興支援」 [閲覧]

第二部 「復興支援事業における実施課題」 [閲覧]


議事録: 勉強会議事録 [閲覧]


■ プレゼンテーション要旨

-JICAの活動地域は次の5地域:カブール、バーミヤン、マザリシャリフ、ジャララバードとカンダハル。

-アフガン支援に対する日本の政策的枠組みは、次の3本柱からなる:「人道支援」「復興支援」「治安回復」。

-当初は緊急性・即効性を念頭に置いた支援が中心であったが、徐々にJICAの得意分野である技術協力(キャパシティデベロップメント)に移ってきた。

-現在の援助指針としては、アフガン政府が策定したアフガニスタン国家開発戦略に基づき、治安・ガバナンス・開発を縦軸とし、ジェンダー・麻薬対策・地域協力・汚職対策・環境を横軸としたマトリクスを参考に、アフガン政府のオーナーシップとドナー連携を重視しつつ実施していく。

-JICAは日本の強みを活かす支援を行っていく。具体的には、持続安定的な開発を支えるキャパシティ・ディべロップメントと社会経済開発のためのインフラ支援があり、地方農村総合開発プログラムや、カブール都市圏開発などを含む基礎インフラ整備支援

-不安定な治安、脆弱なガバナンスとアフガン政府のキャパシティ不足が、JICAをはじめとする各国・国際機関の支援実施を妨げている状況となっている。

-アフガンがpost-conflictかin-conflictかという議論があるが、現在の治安悪化の状況を踏まえるとin-conflictの状況であり、stabilization(安定化支援)が適当と言える(組織的見解ではありません)。

-紛争地域支援におけるJICAが直面する課題として、不安定な状況下での安定的な事業推進のための実施体制の構築、適切な安全対策との現地活動の柔軟性のバランス、東京側と現場の分業関係や同地域に支援に対する慢性的な日本人人材の不足が挙げられる。


■ プレゼンテーション要旨

【第1部: アフガニスタンの概要と事業】

第5回「アフガニスタンにおける復興支援」資料 1/2

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1-1 私たちにとってのアフガン (若松氏)

<アフガニスタンの様々な写真>

-バーミヤンの石像があった場所、子供たち、スイカ(スイカはアフガンの特産物)。

-降雨は年間数日。夏場の水利用は冬の降雪に大きく頼っている。

-UN機(プロペラ機)の写真。JICAは、アフガンの5つの地域で活動しており、移動は飛行機。道路は悪路のため、不便。アフガンの国土は、日本の約1.5倍である。

<私たちにとってのアフガン>

-先ず始めに、杉田と私にとってのアフガニスタンについて、個人的な観点からお話をします。JICAアフガニスタン事務所の現地スタッフ、ハイバル君の紹介。アフガンでは、内戦中にイランやパキスタンへ難民と国民が多かったが、彼はアフガンに留まった。

-アフガンに赴任した時は、JICA入団4年目のタイミング。仕事は現地スタッフと二人三脚。時には彼らと衝突することもあった。

-アフガンから日本に帰国したのは、2008年1月。その帰国する日の1週間前に、ハイバル君は不慮の事故により逝去。ハイバル君はカブール市近郊に住んでいた。カブール市の電化率は低く、多くの家庭で薪ストーブを暖房に用いている。彼が亡くなった日は風が強く、窓を閉ざしてストーブを用いていたため煙が逆流し、一酸化炭素中毒が原因の事故であった。

-イスラム教では、遺体をなるべく早く埋葬するのが習慣。朝方亡くなったハイバル君は、夕方には埋葬された。イスラムの墓地は非常に簡素で、時とともに風化するもの。

-同じ志を持った仲間を不慮の事故で失ったことが悲しく、悔しかった。アフガニスタンについて考える時、ハイバルのことは忘れられない。


<アフガニスタンの治安地図>

-JICAは、次の5つの地域で活動している:カブール、バーミヤン、マザリシャリフ、ジャララバードとカンダハル。

-UNのセキュリティーマップ:赤色で示された地域は、戦闘地域とされている。

-○の印は、麻薬原料のケシ栽培が行われている場所。アフガニスタンは世界の麻薬用ケシの約9割強を生産している。


<民族分布図>

-アフガニスタンの最大民族は、南部に住むパシュトゥン人。国民の42%を占める。カルザイ大統領もパシュトン人である。

-中部には、ハザラ人が居住。モンゴル系の人々である。

-北部はタジク人をはじめとして、様々な民族が住んでいる。

-イスラム教は、スンニ派が大多数。シーア派はモンゴル系のハザラ人。仏教・キリスト教はごく少数とされる。


<略式年表>

-パワーポイント資料参照。

-JICA支援の経緯を紹介。1980年代には既に同国支援を行っていた。


<アフガニスタンの在留邦人>

-アフガンに滞在中の、日本人は約120人。ほとんどが外交・国際機関・NGOを含めた援助関係者。

-JICA事務所の日本人は14人(2008年8月時点)。JICA事業全体では、専門家・コンサルタントを含めると平均して50人から60人が滞在中。


<JICA事務所>

-写真は、新事務所に移転した際のお祝い会である。

-JICAの日本人職員・専門家は安全対策上の行動制限が日常生活および通常業務ともに厳しく適用されている。例えば、街頭の徒歩行動はできない。


1-2 アフガニスタン支援概要 (杉田氏)

<アフガニスタン支援にかかわる日本の政策的枠組み>

-復興支援の3本柱:「人道支援」、「復興支援」、「治安回復」。

-支援当初は緊急を要するものであったが、徐々にJICAの得意分野である技術協力に移ってきた。

-緊急復興支援(2002から2006年)。

-中長期開発支援(2006年以降):JICAが作成した対アフガニスタン国別事業計画と2008年に制定されたアフガニスタン国家開発戦略に基づき事業を展開。日本の強みを生かした選択と集中により、最大限の援助効果を狙う。


<タリバン政権崩壊後の状況>

-長い紛争の爪あと:基礎インフラの崩壊、社会の混乱、麻薬汚染や民族間の不和の問題。


<ボンプロセスを通じた民主国家再建支援>

-暫定政権の樹立、カルザイ大統領の選出。その後、国会議員選挙が実施され民主化プロセスが進行している。


<緊急復興支援の概要>

-4つの柱:「人道支援」「政治的支援・民主化支援」「治安回復」「復興支援」。

-20余年の内乱によって、アフガンの人々は懐疑的になっている。彼らと平和の果実を共有し、安定した社会の復興に向けた自信の回復と国際社会の支援に対する信頼を得るためには、目に見える支援と結果が必要とされた。


<復興支援初期のJICA事業の成果>

-カブール:学校建設、市内道路整備、115台のバスの提供、武装解除後の除隊兵士に対する職業訓練や結核センターの再整備。

-カンダハル:幹線道路、市内道路整備や学校建設。

-マザリシャリフ:市内道路整備、学校建設。

-バーミヤン:農業支援、職業訓練、女性自立支援。

-その他の支援として、国営放送局への支援。これはメディア支援を通じた選挙支援。日本NGOを通じた医療無線網の整備、日本の大学連携を通じた障害者教育支援など。


<中東におけるアフガン支援>

-JICAは、2003年以降、5年間で151億円規模の支援を展開してきた。中近東地域全体で俯瞰してみると、アフガニスタンに対する支援総額は突出している。


<緊急復興から中長期開発へ向けた動き(2006年以降)>

-アフガン政府が策定した治安・ガバナンス・開発を縦軸とし、ジェンダー・麻薬対策・地域協力・汚職対策・環境を横軸としたマトリクスを元に、支援を実施。


<アフガニスタン国家開発戦略の概要>

-治安・ガバナンス・開発から、アフガニスタン政府と国際社会の連携・貧困層に直接裨益する国家開発・民間セクターの活用と推進・中長期的な開発と安定した社会の開発へ。

-アフガンにおける有機的なドナー連携による援助効果の最大化は依然として大きな課題となっている。治安問題から、長期的な人員の派遣ができず頻繁に担当者が代わることや、地域毎の治安状況が大きく異なり、支援アプローチが異なる点、ISAF等の軍事オペレーションとの兼ね合い、予算規模の違い等、様々な制約がある。


<持続可能な開発に向けたJICA支援>

-日本の強みを活かす支援:地方農村開発、中長期のためのキャパシティ・ディべロップメントと社会経済開発のための基礎インフラ整備支援。

-JICA支援のベクトル。支援の中心は首都カブール。他は、ジャララバード、マザリシャリフ、バーミヤン、ヘラートとカンダハルと言った地方の中心都市をベースとしている。なお、カンダハルからは2006年以降、邦人関係者は引き上げて遠隔操作により事業を継続している(2009年3月で一旦終了見込み)。

-中央省庁に対するアドバイザリー型のトップダウンと、事業現場・地方農村地域のエンパワメント型のボトムアップの両面アプローチを行っている。


<地方農村総合開発>

-地域・地元の人々と協同でプロジェクトを実施している。

-女性のニーズを聞き出しながらプロジェクトを遂行。

-地方行政官の実施能力を高める支援を行っている。

-JICAの支援がカブール中心であるため、その他の地域より不公平だとの声があがっている。カブールの成果を他地域に移植する試みが地方総合開発である。


<中長期のためのキャパシティ・ディベロップメント>

-中央省庁における政策策定支援・モニタリング能力強化。

-人材育成支援・組織強化支援・財政管理支援。

-各セクターにおける特定課題に対する技術支援およびパイロット事業の実施。

-プログラム・省の活動拠点となる施設建設や機材提供。


<インフラ整備・都市開発支援>

-主要幹線道路整備支援:カブール-カンダハル-ヘラート間の110キロの国道を整備。

-カブール国際空港新ターミナル建設、2008年10月に完成。

-主要都市地図整備計画、カブール市給水計画、新首都圏開発計画など、カブール首都圏の主要問題にかかるプロジェクトを展開中。


【第1部に関する質疑応答】

[質問1] JICAは、コミュニティ開発のためのNGOの育成はどのように行っているのか。

[回答1] JICAがコンサルタントに外部委託して実施している。NGOは、International NGO(ex. Oxfam, Save the Children)、National NGO(ex. AHDS 全国レベルで活動)、Local NGO(ex. その他現地団体 州や郡レベルで活動している地元NGO)の3つに大別できるが、委託事業の性質上、実績のある国際的に活動しているNGOを契約相手として選定することが多い。

現地委託型事業の問題点の一つに、委託をできるNGOの数と専門能力が限られている為、事業終了後の持続的発展性が望めないケースが見られることがある。そのため、事業を通じてLocal NGOの実施能力を高めることにも注力し、座学の理論と実地訓練等を行っている。

またその他にも、安全上の行動制限の為、事業実施中のモニタリング・評価を邦人関係者が直接現場へ入って実施できないことが挙げられる。よって、現地スタッフを通じた遠隔操作によって事業を実施した。、例えばJICA職員のカンダハル撤収以降、同NGOスタッフをカブールに呼び寄せて事業実施するなどしていたが、技術レベルの差や言葉の問題もあり、報告だけでは詳細な状況を把握することが難しく、事業成果の把握にも困難を伴うことが多かった。


[質問2] 元兵士への職業訓練とはどのようなものか。また職業訓練を受けた除隊兵士は社会復帰できているのか。

[回答2] Local NGOに業務委託し、木工、電工、溶接、機械整備等の訓練機会を提供した。元兵士の中には基礎教育を受けていない者も多く、社会復帰の障害となっていた。よって職業訓練プロジェクトでは、職に定着できる機会を高めるために識字訓練も行い、また基本的なマナーとしての整理整頓、職業倫理、時間を守ること、人が話をしているときには私語を慎むこと等も教えた。国内全体の失業率が高く、定職の機会自体が少ないために、除隊兵士の社会復帰は思うように進まないのが現状である。復興支援における社会基盤整備に伴うインフラ整備が雇用の吸収口となっており、建設関係の仕事に就くケースが多い。また、タクシーやハイヤーの運転手の仕事も人気があった為、ドライバーの養成も行った。

社会復帰率や定着率については、全ての卒業生のトレースは困難なため、統計から判断することはできない。、プロジェクト実施中に行ったサンプル調査では、親類関係等を通して就職している者が多くみられた。一方、長年戦闘を行ってきた兵士を短期間の職業訓練によってのみ社会復帰させることができるかどうかは分からず、課題である。


[質問3] 大使館とJICAはどのように役割分担をしているのか。また、腐敗したアフガン政府の浄化に貢献できる外務省等で働く日本人はいるのか。

[回答3] 大使館は日本国としての政策、外交、および国際機関を担当し、JICAは二国間援助の開発支援事業を担当。毎週、現地ODAタスクフォースが行われ、大使館、JICA、JICS(国際協力システム)が参加し、治安や政治の変化等の状況に関する情報の共有と協調体制を維持している。大使館により邦人NGO懇談会も行われており、現地で働く邦人関係者の情報交換も積極的に行っていた。


[質問4] 日本の1500億円の予算のうち、150億円が復興に充てられることになっている。150億円以外の予算こそが戦争中のアフガン政府にとって重要だと思うが、これはどのようなものか。

[回答4] JICAの平和構築支援は、紛争後または紛争予防のコンテキストの中に置かれており、既存の開発援助の枠組みの延長での事業形成となる。これが150億円を占める。他方、日本政府の平和構築支援の枠組みにおいては、in-conflictからの安定化支援を側面としてもっており、治安回復や人道支援の要素が多分に含まれてくる。150億円以外の主な拠出は、世銀やWHO、UNICEF、UNDP、UNHCRを通じた間接支援による人道支援や、UNAMA、DDR (Disarmament, Demobilization, Reintegration/武装解除・動員解除・社会復帰)支援等による治安回復支援、JICSを通じたノンプロ支援に充てられている。多額の拠出金は闇雲に支出されているのではなく、ハイレベル(国家間の政策レベル)での協議を経た各国で役割分担に基づき、例えばドイツは警察支援、イタリアは法整備、世銀は地方開発を行っている。日本のDDR支援はUNDPに資金を拠出する形で実施した。DDR終了後は、非正規軍(民間私兵)の武装解除にも支援を行っている。また最近では警察官の給与支援を行い、治安維持に向けた協力にも力を入れている。


【第2部: 復興支援事業における実施課題】

第5回「アフガニスタンにおける復興支援」資料 2/2

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2-1 復興事業支援における実施課題 (杉田氏)

<アフガニスタン支援の実際1>

昨今の治安情勢、関連事件数の推移を踏まえると、アフガンの現在の状況下は、post-conflictかin-conflictかという点では、in-conflictの状況があてはまる。

<アフガニスタン支援の実際2>

-不安定な治安が、一時的活動の見合わせ等による実施スケジュールの遅延、安全対策コストの増加や適切なリソースの確保や投入が困難である状況を生み出している。

-脆弱なガバナンスにより、政府組織や調整機能が働いていないことや汚職体質が事業推進の足かせとなっている。組織が機能しない一例として、プロジェクトの協議を副大臣レベルに直接に働きかけて行う必要があるなど、トップダウンでやらなければ事が運ばないことがままあり、双方にとって間接コストが高くなっている。

-アフガン政府の人材不足。長い紛争に伴う人材流出と適切な教育機会の欠如が、いざ復興支援となっても、急には国家運営を支える十分な人材確保ができず、またドナー間でも優秀な人材確保の競争が起きているような状況である。


<JICAが直面する課題>

-復興支援における事業実施体制の問題。大量のニーズに対応できていないことや、ニーズ発掘から事業実施までに時間がかかり、特に変化の目覚しい復興支援の現場において、適切なタイミングを逃しかねないこともある。

-厳しい安全対策により現地活動が制限されている問題。日本人が現地にいなくてもプロジェクトが適切に実施・継続されるような体制を構築していくことが肝要。

-JICA事業は、外務省・大使館・本部によって支えられているが、こうした枠組みにおいて、特に治安情勢が困難になる中では、現場の判断で機動的に動くことが時に困難ことがある。

-日本人人材の不足。あるプロジェクトの人材を4度募集したもののニーズがマッチしなかったケースがある。治安悪化のイメージや復興支援業務に携わる関係者へのインセンティブ不足が考えられており、改善に取り組んでいる。


<不安定な状況下に於ける事業実施の課題>

どれくらい不安定な状況かといえば、グラフの通り、関連事件発生数は右肩上がり。2004年から2007年にかけては、国際治安維持部隊(ISAF)等の軍関係者へのテロが中心であったが、2007年以降は、政府関係者やアフガン民間人も狙われる事件も発生している。復興支援の成果が遅れており国民の失望が広がっていることを踏まえた一般犯罪の増加、反政府勢力の盛り返しなどが背景にある。


<復興支援における人材育成の価値>

-私見であるが、重要なのは人材育成、特に行政機関の育成だと考えている。

-1ヶ月50ドルから最低200ドルの給料を公務員に支給することを柱とした中央政府における公務員組織改革(PRR)の実施。これを、州政府や地方政府にまで広げる必要がある。


<新しい動き>

-自衛隊をアフガンに派遣する話があるが、これが邦人の活動に影響を与えないか。反政府勢力がテロ活動を行う際に必ず理由とするのは、軍隊を派遣している国はすべて攻撃対象とする、という事実がある。自衛隊が派遣されれば、日本人も格好の標的となると見ている。

-2007年8月の韓国人誘拐事件以降、日系NGOもほとんどが撤退し、遠隔操作による事業を実施中。今後の活動再開に向けては、高い安全対策コストがネックとなり、不透明な状況が続いている。

-新しいドナー連携を模索しており、世銀との事業連携による地方開発支援や、UNHCRと連携た帰還難民支援を始めている。


2-2 安全対策等 (若松氏)

<安全対策>

事件・事故に巻き込まれないために以下の制限がある。

・プロジェクト活動範囲の制限

・生活行動範囲の制限:生活行動を定めた地図があり、その中でGreen Zone(夜10時から朝6時にいなければならない区域)、Yellow Zone(武装警護または防弾車の使用が義務付けられる区域)とRed Zone(武装警護かつ防弾車の着用が義務付けられる区域)が定められている。


<現地での余暇の楽しみ>

現地邦人関係者等が集まり、サッカーや餅つきなどをした。


<復興支援・平和構築支援におけるストレス・マネジメント>

-日常的にテロが起きている。特にテロが多発する場所は、カブール空港に向かう道路付近や外国軍が頻繁に利用する道路であり、通過する時はいつも緊張する。

-現地では、安全対策の関係から、JICA関係者は少数の指定宿舎に集まって滞在している。集団生活からくるストレスや、閉鎖環境におけるストレス、健康管理などいろいろな点で心身に不調をきたすケースがある。そのため、6週間に一回の特別休暇制度があり、定期的に環境を変えてリフレッシュする権利が与えられている。限られた生活スペースの中で、スポーツ、料理、音楽などそれぞれに趣味を持ち込んで、ストレス解消に工夫している。


【第2部に関する質疑応答】

[質問1] 安全について、現場と報道のギャップはあるか?

[回答1] 南部のカンダハルでは毎日10件程度のテロ事件の報告がある。日本での報道は1日遅れることが多く、かつ都市圏での大きな事件しか報道されない。ギャップは相当あると思う。


[質問2] プログラムの対象地域・対象者の選定方法について。

[回答2] JICAが活動する5つの地域は、政治プロセスで決定したもの。アフガニスタンは多民族国家なのでJICAとしては民族間の偏りのないようにバランスの取れた援助を行っていきたいと考えている。

プロジェクトの地域の選定だが、麻薬を栽培していない・紛争をしていないといった安全対策が可能かどうかの基準も重要となっている。女性のプロジェクトへの参加については、民族、地域、また村によって可能な範囲が異なる。例えば、保守的なパシュトゥン地域では女性が外出することは殆どできず、ハザラ民族が主なバーミアンでは、男性との会議にも女性が出席していた。


[質問3] 農産物について。

[回答3] ブドウ・小麦等の農産資源は豊富で農産物の輸出はアフガンにとって非常に重要。カリフォルニア・レーズンはアフガンの種がオリジナルである。日本の商社がザクロを輸入する事業を始めたというニュースもあった。


[質問4] 援助のニーズと資金のギャップはあるか? 援助を開始した時は大量の資金が投入されるが、時が経つに従って少なくなるというのが通例だが。

[回答4] その通り。援助は国際情勢にも左右される。また、プログラムやセクターによっても変わってくる。


[質問5] 成功しなかったプロジェクトはあったか?

[回答5] 先ず、アフガニスタンのような国において、何を「成功」と位置付けるかが難しい。JICAではプロジェクト計画策定時に事前評価においてプロジェクトの効果やインパクト、持続性やリスク等を評価する。しかし、情報・統計が整備されていない状況でプロジェクトの計画策定や評価が困難である。


[質問6] 言葉が伝わらなかった時、コミュニケーションはどうするのか? 水の確保はどうしているのか。

[回答6] JICA職員は現地職員と分業して働いており、基本は英語で会話する。先方政府に対しては、英語を話すことができる大臣や副大臣は限られており、現地職員が通訳する場合が多い。

水については入居していたアパートの地下水の検査をしたが、日本とは比べようもない量の雑菌が見つかった。飲用には近所のスーパーマーケットでボトルウォーターを購入している。


[質問7] 地元の人々との関わりはあるのか。

[回答7] 現在の安全対策上、自由に行動できないことから、地元の人と接触はほとんどなく、関わる機会は現地スタッフや省庁関係者・プロジェクト関係者に限定されていた。アフガニスタンに住みながら、現地の人々と直接触れ合い、彼らの文化を体験することができないのは残念であり、辛かった。

事務所の現地スタッフとも、すぐに打ち解けられるわけではない。なぜならば彼らはそれぞれが長年の紛争の傷を心に負っており、外部の人間に対しては非常に警戒心を持っていると感じた。しかし、二年間の間、同じ食事をし、時にはぶつかり合いながら仕事をしてきたことによって、お互い少しずつ心を開くことができた。

また、アフガンにはもてなしの文化があり、相手先を訪問する際にはよくお茶をすすめられる。そのような機会を利用してお茶を飲みながら世間話を織り交ぜつつ、相互理解を深めていくのが印象的であった。