第6回勉強会

2008年5月24日(土)

第6回勉強会「人権の視点から見た開発援助のあり方」

■講師:

芝池 俊輝 氏

エセックス大学大学院(LLM・国際人権法専攻)留学中

藤田早苗氏

エセックス大学大学院(PhD in Law取得(見込))留学中

■講師略歴:

芝池俊輝氏: 1976年、大阪生まれ。東京大学法学部卒業、最高裁判所司法研修所終了。2002年、弁護士登録(札幌弁護士会所属・北海道合同法律事務所)。日本弁護士連合会国際人権問題委員会委員、国際人権NGOヒューマンライツ・ナウ事務局スタッフ(「開発援助と人権」プロジェクト担当)。2007年10月よりエセックス大学大学院(LLM・国際人権法専攻)に留学中。

藤田早苗氏: 大阪府堺市出身。名古屋大学大学院国際開発研究科において修士号取得、博士単位取得満期終了。エセックス大学においてLLM in International Human Rights Law(国際人権法修士号)取得、PhD in Law取得(見込)。2007年9月から2008年3月まで金城学院大学で非常勤講師。

■講演概要:

芝池氏を中心に、人権にあまり馴染みのない初心者の方にも分かり易くご講義頂きます。「人権」の概念、国際人権保障システムの概要、「開発」と「人権」の関係、RBAの基本的な考え方、そして援助機関によるRBAの実践例の比較・検討を講義ではカバーして頂く予定です。

その中で実践例(ヒューマンライツ・ナウの取り組みについての話:カンボジアにおける人身売買に関する調査、日本政府のカンボジア国別援助計画やJICA、JBICの環境社会配慮ガイドライン改訂に関する意見書作成の話など)も随時織り交ぜてお話してくださいます。また藤田氏より「国際金融機関と人権」についても途中時間を設けてお話頂きます。そしてワークショップでは、具体的な事例を用いて、RBAが実践の現場でどのように用いられるのか、参加者の皆様と一緒に考える機会を設けます。

関連リンク:ヒューマンライツ・ナウ(HRN) ホームページ http://www.ngo-hrn.org/

■議事録:

<芝池俊輝氏>

高校生の時に国連JPOになりたいと思ったのが開発援助に携わるきっかけとなった。大学では法学部に所属していたが、自分が関わりたいことの一つに途上国の貧困問題などがあったので、アイセックの活動を行うようになった。そこでは、スリランカで住民参加型開発プロジェクトを行ったり、タイのスラムでボランティアを行ったり、メコン川の開発に関し、関係者などが上手に連携をしてプロジェクトをどのように行うかについて会議を開いたりした。

大学のゼミでは、開発援助と人権を横田洋三先生のゼミで学び、開発援助を国際人権法の切り口から見るようになった。その時に、日本の憲法にも興味を持ち、弁護士になった。国内の法律に関わったことで国内の事件に関わりたいと思うようになり、弁護士が不在で困っている過疎地域に行こうと思い、北海道(札幌)に行き、そこで5年間、弁護士をし、現在の留学に至る。弁護士としては、legal aidなどの報酬の出ない事件に関わり、家庭内暴力の被害者に関わる事件や、破産事件、刑事事件、特に少年事件に携わった。

開発との接点は昔からあったが、実際に開発や国際協力の問題に関わるようになったのは、ヒューマンライツナウというNGOの立ち上げに関わってからである。これは、2006年7月に設立されたNGOで、それまでは人権NGOと言えばアムネスティくらいしかなかった。アメリカのNGOのHuman Rights Watchがあるが、日本にはそのようなNGOが無いのが残念だと思い、作られたのがこのNGOである。以下のことを行うことを目指している。

(1) 国境を越えてミッションを派遣する。

ジャーナリストから現地の情報は入手出来るが、それは専門家の情報ではない。弁護士は、裁判や証人尋問で、事実を調査し、事実認定をすることが求められるため、その点を生かす。

(2) 人権に関する国際協力をする。

人権分野での技術プロジェクトのようなもの。ミャンマーでは法律家育成の学校を支援したり、カンボジアでは人身売買取り締まりに関する法律の制定をしたりしている。

(3) 政策提言をする。 信頼のおける情報や法律に基づいて勧告をする。

ヒューマンライツナウで活動する弁護士は全員ボランティアで、自分自身も普段は弁護士としてlegal aidのような仕事をし、副業でボランティアをしている。人権と聞き、抵抗のある方もいるかもしれないが、今日は人権について話したい。そもそも人権とは何かといった話はここでは出来ないが、実務、ツールとしての人権について話したい。

では人権侵害とはどのような状態のことを指すのか。私は、イラク戦争後、イラクで劣化ウラン弾が人々の生活へ与える影響や紛争下でどのように人々が生活をしているのかについて個人的に調査を行った。病院では、薬品が全くない。このような状態は人権侵害にあたるのだろうか。また刑務所では、テニスコートくらいの場所に囚人が100人くらい入れられている。トイレはビニール袋が配布され、一日を通しそれを使用する。男女は別だが、大人と子供は混ざっている。裁判をこれから受ける人も一緒にいる。それでは、犯罪をした人には人権はあるのか。別の例としては、同性愛者がいたとして、結婚する権利は人権にあたるのか。またマンションを買った人の眺望権、これは人権に入るのか。

人権とはすべての人間が生きていくにあたり人たることによって等しく有するべき権利である。何が人権かについてこれまで議論が積み重ねられて来た。例えば、世界人権宣言である。第二次世界大戦前は、人権は国内で守られるべきものだったが、その宣言以降は世界的な擁護に移行し、国内人権保障から国際人権保障へと移行した。世界人権宣言以降、自由権規約、社会権規約等の条約ができ、世界中の国々が何らかの条約を批准し、何らかの義務を負っている。

重要なのは、人権とは何かを理解することである。AはBに対しXについて権利を有する。権利の存在があり、それに対応する義務がある。人間には基本的に権利しかなく、それに対して誰が義務を負っているのかということになる。権利があって義務がある。

知識としておさえておくべきことは、権利に関しても2つあるということである。それは法的権利と道徳的権利である。法的権利とは、義務を果たさなかった場合、司法的救済を求めることが出来るということである。一方の道徳的権利とは、モラル上の義務を守るということで法的に訴えることが出来ない。宣言は法的権利ではない。あくまでも宣言であり、道徳的権利であるから、権利を侵害したからといって、裁判することは出来ない。従って行為規範と言われるものが大切になってくる。それはルールがあるからそれに従わなければならないという行動の指針となるものであり、法的であろうが道徳的であろうがそれに関しては違いはない。

先ほど、権利に対応するのは義務だと話したが義務の主体は国家である。国が義務の主体となる。では、私人間で名誉毀損が行われた場合や、大企業からの侵害はどうなるのか。最近は、国家と同視できるような民間の団体による権利の侵害も「人権」侵害であるという議論もなされている。

それでは、義務の内容はどのようなものがあるか。義務は権利の内容によって違ってくる。例えば生命の権利。国が殺すのではなく第三者が殺そうとしている。その際に、ある人が生命の危機にさらされているのに、国がそれを放置した場合、人権侵害となる。この際の義務を果たすには、法律整備が重要となる。

また人権の特徴とは何か。人権は誰もが持っているが、世の中から排除された人々が最後に守られるべきものが人権である。逮捕された人も人権はあるし、途上国においても最低限持っていなければならないのが人権。特に、弱い立場にある子供、女性、障害を持つ人々などに焦点を当てる必要がある。

それでは人権をどのように実施するのか。国内では立法、裁判で使う。国際的実施に関して言えば、自由権規約委員会などの人権条約モニター機関がある。そこは条約を批准した国に対し報告書の提出を要求し、それを審査する。国の対応が不十分であればそれについて勧告を出す。その他には、個人通報制度もあり、自由権規約であれば、直接個人から委員会に訴えることが出来る。委員会が訴えを審査し、判決を出すが、それに法的拘束力はない。この制度を使用するには、規約のみならず選択議定書にも批准する必要があるが、日本は近々批准予定となっている。また最近では、全加盟国の人権状態を審査する制度として国連人権理事会が新設された。日本は最近初めて審査された。

それではここから開発と人権について話したい。接点がある分野のはずだが、開発と人権はこれまであまり接点がなかった。しかし1990年代くらいから人権と開発との接点が増加し、人権の伸長を目指し開発プロジェクトを行うようになる。法整備支援や人権伸長プログラムなど人権をターゲットにしたプロジェクトが行われて来ており、その例としては日本の法律家がカンボジアで中心となり作った人身売買取り締まりの法律などがある。現在、どのように実施するのかについてマニュアルを作ろうとしており、今後政府から刊行されることを目指している。

次に、最近注目を集めている「人権に基づく開発アプローチ」(Rights-Based Approach to Development)(RBA)の話をしたい。これは開発プロセス自体が人権をより良くするものであるということ。権利に基づく開発アプローチは、国連の共通理解にもなっている(配布資料参照)。開発目標は人権保障であり、人権基準、原則についてはすべての事業策定過程に関わる。これは権利者、義務者、両方をエンパワーメントしなさいということであり、義務者である国に対してもアプローチをして、一定の義務を実施出来るようにしなさいというアプローチである。実際は子供や健康などの社会開発分野の行い易いところからプロジェクトを行っているというのが現状である。

イギリスの英国国際開発省(DFID)はRBAを推奨している。アメリカではrule of lawを重視しているが、日本では人間の安全保障である。RBAとは違い、義務者のエンパワーメントはそれには含まれていない。RBAは国際的に受け入れ易くなっており、人間開発にも関わっている。人権の基準(権利)とそこから導かれるものとしての原則。原則は、普遍性(誰でも持っている)、非剥奪性(生まれながらにして持っており、人権そのものを奪うことは出来ない。しかしこれは無制限の原則ではなく、人と衝突する場合は制限することが出来るが剥奪は出来ない)、不可分性・相互依存性(人権はつながっているので、別々に分けることは無意味)の6つある。

人権のRBAを使用するにあたって大切なのは、非差別・平等(人種、ジェンダーなどによって差別されてはいけない)、参加(参加というのは手段ではなく人権そのもの。人権を達成するには意思決定過程に参加することが大切)である。

アプローチとしては、人権スタンダードを使って状況分析をし、健康、水の権利、表現の自由等、どこに焦点をあてるのか、そして特定の権利について誰が義務者なのかを見極める。その際、全部のプロセスの中に上記原則が重視されることが重要である。

次に、ミレニアム開発目標(MDGs)と人権についてだが、MDGsの強みは、時間設定がなされていて、目標が分かりやすいことである。ただしMDGsは目標なので手続きが書かれていない。例えば、目標7ではスラム居住者の状況改善とされているが、実際どのように改善するかについては書かれていない。そこでなぜスラムになっているのか分析をすることが必要となり、その分析をすればその問題の背景が見えてくる。例えば、居住者の半分は先住民で、住んでいた土地を追われてそこに住んでいるということや、または女性が土地を所有出来ないという法律があるため、女性がスラムの大半を占めているなど。従って目標だけを求めていくだけでは不十分である。また別の例としては妊産婦死亡率を低下させるという目標だが、現状では農村、少数民族の妊産婦が犠牲になっているにも関わらず、都市の死亡率を下げやすいところだけを下げて目標を達成したとしてしまう。RBAに基づいて考えれば、排除されがちな人々の現状が見えてくる。

開発、人権、ヘルスなどの分野はこれまでバラバラであったが、世界では今医療従事者と人権活動家が集まって枠組みを作って来ている。日本ではまたこの動きが少ないので、これからは連携していけたらと思っている。

<藤田早苗氏>

こちらの博士論文では、世界銀行とアジア開発銀行のことを人権の視点で書いていた。日本にいる時は、名古屋大学大学院で国際開発協力科に在籍していた。過去に、入試の小論文対策で南北問題について読んだ際、日本にいるだけで人権侵害に加担しているのではという気持ちになりショックだった。自分に何が出来るのかについて勉強して、色々な人に伝えていこうと思った。

研究テーマとして選んだのは、国際機関と人権についてである。世界銀行やアジア開発銀行などの国際金融機関がどのような態度を示しているのか。アジア開発銀行は、日本の影響が大きい。設立以来、歴代総裁は日本人で、マニラに本部があり、日本の出資はアメリカに並んで第一である。出資額に比例して発言力があり、日本の影響力は大きい。日本の財務省から人が送られている。お金はどこから来ているのか。私たちの税金から来ているので、そこで何がなされているのか納税者として知る必要がある。世界銀行の加盟国数は185国である。お金をドナーからもらい、貸付けを行っている。アジア開発銀行はアジアで活動している。67カ国の加盟国の内、48カ国くらいがアジア太平洋の国々であるが、意外なことにイギリスも加盟国となっている。

世界銀行と人権といえばどのようなイメージがあるか。批判がどのようになされて来て、それにどう対応して来たか。開発金融機関だが人権との関連で取り上げられたのは60年代であり、その当時、世界銀行は人権侵害をしていた南アフリカに融資をしていた。国連からその点について批判されたが、世界銀行はマンデートを定めている設立協定に世銀は融資の決定にあたって政治的な考慮をしてはいけないとある。人権は政治的な問題だからといって世銀はその批判を無視した。

人権条約である社会権規約を国連が作っている際、世銀を招待した。しかし人権は関係ないという理由から辞退した。しかし80年代になると態度が変わってきた。人権の不可分性が話題になり、世界銀行自体の活動が人権侵害を起こしていると批判された。世界銀行やIMFの構造調整政策は、融資するかわりに民営化促進や政府援助削減などのコンディショナリティをつけるという政策で、立場の弱い人々に影響を出した。またその影響は病院閉鎖、医療費高騰などに現れた。

問題が大きいプロジェクトは、環境や人々への影響の多いプロジェクトであるので、世界銀行は、Safeguard policyを作りインスペクション機関を設けた。内部では抵抗があり、10年くらいは世界銀行の事務局が邪魔をして機関がなかなか動かなかった。

1993年に採択されたウィーン宣言に、国連人権機関と開発金融機関が協力をするようにという勧告が含まれた。ジュネーブに世銀の小さいオフィスがあり、国連人権機関のミーティングにジュネーブの世銀代表が参加している。ウォルフェンソン総裁、副総裁は、人権は世銀にとって国レベルでの開発を達成させるために重要なグローバルな問題のひとつであると見ている。

次はアジア開発銀行についてだが、2008年はマドリッドで年次総会があり、それに参加した。ほとんどRBAについて知られていないのが現状だが、一部のスタッフの人がよく勉強をしていて、女性の権利を扱う際には人権の要素が意識されている。また情報公開制度などは世界銀行よりもレベルが高い文書になっておりアジア開発銀行のスタンダードが一番高いと言っているNGOもある。良い政策を作るには、職員がドラフトを作って、NGOから意見をもらって、理事会に持ち上げる。スタッフのコミットメントが大切であり、またNGOとの建設的な対話が必要。現在ADBは、safeguard policy(強制移住、先住民族の権利など)のスタンダードを改定しようとしているが、それに対しADBの作成したドラフトが問題だといって多数のNGOはADBとのコンサルテーションボイコットをした。それはセーフガードを下げるなということであった。スタンダードが高いと、借り手が民間に逃げてしまうから、スタンダードを下げたいというのが銀行の現状。しかし、良いスタンダードを持っているプロジェクトは後々その国にとって良い結果につながる。開発金融機関も顧客の顔色ばかり伺うのではなく、スタンダードを下げるべきではないというのは正論だと思った。