櫟東京支部発足の御挨拶

東京支部長 種谷 良二

去る10月29日の櫟祭の江崎主宰のご挨拶の中で、東京支部の発足が正式に発表されました。

思い起こせば、今から11年ほど前、私は、赴任地の松山で俳句を始め句会にも参加させていた

だいていたのですが、たった一年で東京へ転勤となり、東京に櫟の句会がなく寂しく思っておりま

した。そんな折、江崎編集長(当時)から、松山の北島倫子さんが東京に引っ越されるので句会を

立ち上げたらどうかとご連絡をいただきました。

これを契機に、平成21年5月、かつて松山で勤務された殻斗同人(現在才幹同人)の和泉北男さん、

松山出身の同人飯田祐子さん、北島さん、私の4人がそれぞれお互いに顔も知らないまま、手にした

機関誌「櫟」を目印に日比谷公園で待ち合わせ、初対面の挨拶もそこそこに、銀座の料理屋で昼食を

とりながら句会を始めたのが東京句会のスタートでした。

あれから約8年半、当初の約2年間は全く参加者が増えず、初期メンバーの4人だけの句会が

続きました。それはそれなりに楽しかったのですが、やはりたった4人の句会では数回やっているうちに

誰の句かほとんど分かってしまうようになってしまいました。なんとか句会仲間を増やせないかと思い

続けていたところ、幸いにその後様々なご縁を得て、愛媛県に縁のある方ばかりでなく、一度も行った

ことのなかった方々も含めて徐々に句会に参加してくださる方が増え、二桁の人数の方々が参加され

るようになりました。また、飯田さんが幹事役、北島さんが宴会部長、大木聖子さんが経理担当を自主

的に買って出てくださり、体制的にも充実してきました。句会開催場所についても、これまで公的な施設

や都内各所の喫茶店「ルノアール」の貸会議室など都内各所を転々としておりましたが、今後は原則と

して千代田区永田町にある「星陵会館」会議室を拠点として、安定的な句会運営をしていけるようになり

ました。このような経緯を経て、この度我々の句会も発展的に支部として認めていただくことになったも

のです。

櫟祭の乾杯の挨拶の折にもお話しましたが、東京には「鷹」や「狩」を始めとする大きな俳句結社が

多数あり、その中で愛媛県に縁のない人々に愛媛の俳句結社の戸を叩いてもらうのは容易ではありま

せん。しかし、私は、むしろ櫟が子規、虚子、草田男、波郷等を生んだ俳都、愛媛・松山の結社であると

いうことを積極的にピーアールしていきたいと考えています。

小学校時代から授業で俳句に親しみ、街の彼方此方に

俳句ポストがあり、立派な子規記念博物館を有し、毎年俳句甲子園も開催されているなど俳句の裾野

が広く、俳人のレベルの高い愛媛の皆さんと切磋琢磨しながら俳句を作っていくことができることこそが

強みだと思っています。

「愛媛では蛇口捻ればポンジュース、口を開けば五・七・五」などと冗談も織り交ぜながら、

今後も東京で櫟の仲間を募っていきたいと考えています。

写真は去る11月26日、俳人協会の仕事で上京された江崎主宰に直接ご指導をいただいた

支部発足後最初の句会の際に撮影したものです。この日は残念ながら二人が欠席されておりますが、

これがほぼオールスターキャストです。愛媛の皆さん、そして先輩支部の近畿支部、広島支部の

皆さんも東京にお出かけの際は是非とも私たちの句会にご参加ください。また私たちも櫟祭等いろいろ

な機会にメッカ巡礼のごとく俳都、愛媛・松山に伺い、句会にもお邪魔したいと考えております。

まだ句会も一つで産声をあげたばかりの東京支部ではございますが、

どうか今後ともご支援・ご鞭撻をいただきますようよろしくお願い致します。