少女とぬいぐるみ
櫛木
今から半世紀程前に、綿産業によって栄華を極めていた商店街がありました。その栄えの具合といったら物凄く、街中を行き交う人々が拵える衣類や布帛品等の製作には、ほぼ必ずと言って良いほど、この商店街が関わっているといった具合でした。しかしそんな栄光も過去の話で、今では閑古鳥が鳴いております。それもそのはず、今や商店街の職人たちはすっかりと老いさらばえてしまい、もう新しい物を作るということが段々と難しくなってきたのです。その結果、老いた職人たちは痛む身体に鞭を打ちながら、時代遅れな布製品を作っているだけの傀儡と成り果てました。「伝統」、ではなく「時代遅れ」とわざわざ称す程なのですから、当然話題にもなりません。
ある時、そんな商店街の現状を危惧した地元の小学校が、総合学習の一環として『どうやって商店街を活気づけるか』という授業を行いました。
小学生達の発言力というのは非常に活発的でありまして、そこでは様々な意見や案が出ました。観光スポット……ご当地グルメ……インスタグラムなどのSNS……行事など……。
しかしながら、所詮はただの商店街に過ぎません。新たに事業や名所を展開するには、瞬発力も経済力も枯渇していました。従って自然と議論の方向性は、かつての綿業によって培われてきた技術を用いた、特産品へと絞られていきました。
小学生たちによる議論は次第に白熱していきます。ああでもない、こうでもない。そんな風に意見を言い合うことが、子供達にはとても大人的な行為に感じられて、気分が高揚していたのでした。
そんな中、一人の女の子がこう言いました。
「思わず抱きしめたくなるようなぬいぐるみを作ろう」と。
周囲はしんと静まり返っていました。
それもそのはず、周囲の小学生たちはいかに大人の真似事をするか、ということに注力していました。ゆえに子供然とした意見や話し方はどうしても避けたかったのです。しかしそんな事は露知らず、少女は平然と、自分が考える意見――年頃の女の子が好きそうな、至極真っ当な可愛らしい趣味――を口に出したのです。
担任の先生は「いい案ですね」と言いました。
それが場の雰囲気に見かねたのか、飾らない意見に感動したのか、あるいは素直にその意見が良いと思ったのかは分かりません。
ただ、先生が言ったものですから、クラスでは次々と「そうしよう」だとか「こんなデザインはどうだろう」みたいな声で溢れ返りました。もう、皆は大人の振りをするのをやめたらしいのです。
しかしあまりにクラス中が活発になったので、教室の声はやがて廊下まで響き渡るようになりました。
すると偶然通りがかった校長先生が、その漏れ出す声を聞いてやってきました。再び教室は静かになりました。
校長先生は担任から何事かについて問いただします。そして、現在行っていることを詳らかに聞いた校長先生は、思わず微笑みました。
校長先生はこの商店街で生まれ育ち、かつての隆盛を知っていました。故にそれを再興しようとする、小さな子供たちの大きな活気を目の当たりにして笑みが零れたのです。
校長先生はその「思わず抱きしめたくなるようなぬいぐるみ」の案をまとめて、商店街の職人に渡してみると言いました
すると生徒はそれを聞いて大盛り上がりです。
さっそく校長先生は企画書をつくり、商店街に足を運びました。提案を聞いた商店街の人たちも、はじめは渋面を浮かべてはいましたが、商店街を再興させたいという気持ちは同じくするところでしたから、次第に心を開く様に承諾しました。
時代遅れな物を作っている、とはいうものの、ここの商店街が持つ技術力は本物でした。たったの数日で、そのぬいぐるみの試作版が完成しました。
校長先生はそれを持って、最初に案を出した女の子に渡しました。
すると女の子は大喜びです。「これならみんな抱きしめたくなる!」
少女の笑顔を見て、校長先生も笑顔になりました。
やがて、このぬいぐるみをどうやってアピールしようかと、みんなは考えはじめました。そこで、最初の議論で挙がっていた、SNSを使うのはどうだろうと考えました。
そこで地域の大人の人たちと力を合わせ、そのぬいぐるみの大々的なPRが始まりました。
すると意外なことに、そのぬいぐるみは多くの人に目が付きました。が、それは当初の想定とは異なったものとして、人々に受け入れられるようになりました。
曰く、そのぬいぐるみは、とても殴り心地が良いらしいのです。従って人々は、その殴り心地目当てでぬいぐるみを求め出し始めたのです。そして次第にその波は強くなり、やがて日本全体にまで広まりました。
やがて、商店街は『復活した街』として取材を受けました。そしてごく自然な流れで、発案者である女の子も取材を受けることになりました。
「このぬいぐるみを考えたのはあなたですか?」記者は言いました。
「はい」と女の子が答えます
「小学生なのにすごいですね。今やもう一大ブームですよ」
「そうなんですか?」
「知らないんですか?」
「はい。作った後のことは全部大人の人たちがやってくれたので……」
どうやら少女は何も知らないらしいのです。
「どうやってこのぬいぐるみを思いついたのですか?」記者は聞きます。
「みんなが抱きしめたくなるようなぬいぐるみなら、喜ぶかなって思ったからです」女の子は自信たっぷりに言いました。
すると記者は不思議な顔をして「――あれ、でも実際はみんな、殴るばかりで抱きしめてないですよね」と笑いながら言いました。
少女はそれを聞いてびっくりしました。皆、抱きしめたくてぬいぐるみを買っているのだと思っていたからです。
女の子は真偽を確かめるべく、商店街へと駆け出しました。
すると、そこにはぬいぐるみをボコボコにしている老若男女、殴っている様子を撮影する若者の姿などが見えました。
少女はその人たちの元へ急いで駆け寄ります。「殴っちゃだめ! 抱きしめるんだよ!」
突然の小さな子供の来訪に驚いた若者ですが、やがて不思議な顔をしながら「抱きしめるって……これ、殴るために開発されたんでしょ?」と答えます。
「違うよ! それは優しくするためにあるんだよ!」少女は必死の形相で訴えます。
しかし若者は指をさしながら言いました。「でも、商店街の看板にも書いてあるぜ?」
少女は若者が指さす方へと目をやりました。するとそこには大きな文字で『殴れるぬいぐるみ発祥の地!』と掲げられた看板が、大々的に飾ってありました。
女の子はそれを見て、どうしようもなく悲しくなりました。