或る夜の竹罪伝(Page2)

ページ 1 2 あとがき

第二日 或る日の紅竹華

奇妙な帰り方をした次の夏の暑い日、俺は会社を休んだ。休んだというよりは、定休日だったと言ったほうが正しい。俺の会社は普段は週六日なのだが、夏は社長の「エコ」の方針に則り、冷房代を節約するため、週一回土曜日を休業にしている。その代わり、他の日は休んだ日の分まで仕事をこなさなくてはいけないので、自然と残業が増える。よく考えてみると、仕事時間はそのままなのだから、そんなに節約にもならないのではないのか? そのように考えながら、俺は布団をたたみ、洗面台に行き、歯を磨き、顔を洗う。それから居間に行くのだ。それにしても、最近は居間が騒々しく、正直ゆっくり新聞も読めず困っている。

「あ、おはよー、司お兄ちゃん。」

「ああ、おはよう。」

俺はいつものように元気よく居間で遊んでいる子供に挨拶をする。その後ろでは姉ちゃんが忙しく料理を作っている。

「おはよう、司。朝何食べる?」

「いつもの。」

俺はそのままテーブルにはつかず、テレビのあるソファのほうへと座る。それからソファの前にあるテーブルの上にある新聞を手に取る。一面の見出しは酷暑についてだ。やれやれ、日本はいつからこんなに暑くなったんだ? それからどんどん誌面を読み進めていく。普通の人であれば、表紙の一面と社会面、それからスポーツ面とテレビ欄ぐらいしか見ないだろうが、俺は一日の日課として一面から順に読むことをモットーとしていた。そして読み進めていくと、地方面に気になる記事を見つけた。

「《速報》月市で車炎上・竹林地区で

今日未明、月市竹林地区で車の炎上事件があった。詳細はまだ不明だが、死傷者が複数出ている模様で、月市警察署は事故と事件の両面で調査している。」

……近くで車炎上事件か。珍しいな、竹林地区でなんて。少なくとも、俺の記憶の中にはここ何年間かは竹林地区で事件は起こったことはない。

そして一通り新聞を読み終えると、テーブルの上にあるリモコンを操り、テレビをつける。映しだされるのはよく見るニュースアナウンサーだ。

「……それでは、次のニュースです。今日未明、××県月市で車の炎上事件がありました。月市警察署によると、死傷者は四名で、現在身元が分かっている者は月市在住の旅籠薫(42)さんです。警察当局はこの車の所持者をこの旅籠さんだと断定し、残り三人の身元も調査しているとのことです。それでは中継がつながっています。佐藤アナ!聞こえますか?」

何のことだ? 旅籠薫? 俺はそのテレビを食い入るように見ていた。そんなはずはない。旅籠薫といえば、昨日乗せてもらったあの運転手の名前だ。どうして事件に巻き込まれ、そして死んでしまったのかが知りたかった。そして、聞く限り、他に四人が死んだという。俺はワゴンに乗っていた時のことを思い出してみる。全部で俺を含めてあのワゴンには六人乗っていた。俺と夜舞、瑞菜ちゃんと薫さん、後横で寝ていたばあさんと一番前でパソコンをカタカタやっていた奴。最悪の場合、俺と薫さんを除く四人のうち、三人は事件に巻き込まれて死んでしまったかもしれない。いや、そんなことはない。今はそう祈るばかりであった。

「いっただきまーす!」

子供の声がリビングに鳴り響く。俺はまだ事件について気になっていた。

「元気がいいな、零矢は。今日もしっかり朝ごはんを食べるんだぞ。」

父は自分の右で元気よく食べるのを見ながら、こう感想を述べた。

「義父さん、大丈夫ですよ。ほら、零矢。今日もキャッチボールするんだろ? 体を頑丈にするために牛乳、いっぱい飲むんだぞ。」

この子供、零矢は正確に言うと実は香取川家の人間ではない。この父を義父さんと呼ぶこの人、榊賢二と俺の姉、香取川智歌との間の息子で、榊姓だ。

「ほらほら、司も食べちゃいなよ。ご飯、冷めちゃうよ?」

「あ、うん。食べるよ。」

俺は箸を持ち、おかずをつつく。姉ちゃんは料理が大得意で、料理下手な母さんはもう料理を作ってはいなく、この時間は外の境内を掃き掃除しに出かけているはずだ。

「それにしてもさ、智歌。そろそろ零矢に勉強を教えてもいいんじゃないのか? もう三歳だし、来年から幼稚園だぞ。」

「そういってもね。勉強を教えるのはあたしでしょ? あなたも少しは手伝ってよね。」

姉ちゃんと夫婦である賢二は弁護士だ。家では普通の父親だが、弁護士としては、腕利きとして知られている。それから俺は朝食を終え、食器を片づけると、またテレビの前に張り付いた。どんな情報でも聞き逃さないようにと他の番組も見ながら事件についての詳細報告を探した。しかし、俺の気持ちとは裏腹にやっている内容は最初に見た報道とほぼ同じ内容。これでは意味がない。そして、こういう事件は次の日にならないと新たな情報が得られないことが多い。何かできることはないか、俺には必死にチャンネルを回すことしかできなかった。

「何やっているんだい、司。」

賢二はソファの後ろに手をかけ、俺が必死にテレビをこき使っているのを不思議に思ったのか、尋ねてきた。

「この事件さ、この近くだよね。ほら、竹林地区。」

俺はテレビの中継のところに竹林地区と書いてあるのを発見して指を差した。賢二もそれに気づく。

「あれ、本当だ。……車の炎上ね。しかし、竹林地区でスピードを出して事故というわけじゃないみたいだね。事件かな? または自殺とか?」

賢二は俺の横に座って、一緒にテレビを見ている。それから零矢も、姉ちゃんも、そして父さんまでも寄ってくる。

「何かあったの?」

「ほら、竹林地区で車炎上だってさ。物騒だね。」

みんな食い入るように見ているが、俺はもう諦めていた。すっとソファから立ち上がると、そのまま自分の部屋へと向かう。

「あら、司。ご飯は食べたの?」

母さんが掃除を終えて玄関から入ってきた。そして居間の中をのぞくと、吸い込まれるようにテレビの前にくっついていった。俺は何事もなかったかのようにそのまま進む。

あれから三十分、どうしても気になってパソコンの掲示板を見たが、情報ゼロ。よくよく考えてみると、俺の情報入手ルートって、新聞とテレビとパソコンだけなんだな。余りの少なさにびっくりしてしまった。ともかく今は脳細胞をフル活用してこの状況を打破してみようとやってみる。鞄の中に入っているのはあとは財布と書類だけ。ラジオもあるが、テレビとほぼ一緒なので却下。あとの方法は……携帯電話? そういえば、昨日瑞菜ちゃんに携帯を貸したな。そうだ、その時のリダイヤルを見れば、少なくとも瑞菜ちゃんの連絡先には通じることができる。しかし、いざ電話をかけるとなると、俺は躊躇した。そりゃ、「大丈夫?」って電話をしたらびっくりされること請け合いだ。俺は畳の上に大の字になる。どうしたらいいものか。電話をするのは不自然だし、しかし今は非常事態だ。そんなことを考えているときじゃない。だが、瑞菜ちゃん以外の宮部家の者が出たら、話がこじれてしまうだろうし。……俺は三十分このようにずっと考えて、結局最後には電話をかけてみることにした。考えていても仕方がない。俺はリダイヤルの項目を開く。電話番号を見る限り、固定電話とつながっているようだ。俺はその電話番号の項目を押し、耳に受話器を当てる。十数秒の沈黙のあと、受話器の中から声がした。

「……もしもし、魅能神社です。ご用は何でしょうか?」

一瞬間違い電話かと思ってガチャ切りしようと思ったが、魅能神社といえば竹林地区にある神社だ。瑞菜ちゃんがいてもおかしくはない。しかし、見事に瑞菜ちゃんとはつながらなかったな。

「もしもし? 聞こえてますか?」

俺はこれからどうしようか頭を回転させていた。俺はアドリブは利かない男だ。しかし、相手を待たせているわけにもいかない。

「あ、はい。すみません。あのですね、そちらのほうに宮部瑞菜という女の子がいらっしゃいませんか? 話したいことがあるのですが……」

相手側はメモをとっているような間を開けてからこちらに返してきた。

「失礼ですが、名前をお願いします。」

確かに名前を名乗らないのは失礼だ。俺は素直に答える。

「香取川司です。それで、瑞菜さんはいらっしゃいますか?」

相手はうーん、と言った後に続けた。

「いることにはいらっしゃいますが、今は境内の掃き掃除をしていると思いますので、今すぐに電話を替わることはできません。何でしたら、何か伝えておきましょうか? それとも、電話番号を教えてもらえるのであれば、折り返し電話させていただきますが……いかがでしょうか?」

俺は少し考えてから、欲張ってどちらも頼むことにした。言付けには「ちょっと大変なことが起きたから電話して」と頼んだ。それから俺は居間に行き、置いてあった新聞を持ち出した。電話が来るまでの間にもう一度記事を読んでおくのだ。そしてしばらくして、携帯のバイブが鳴った。すぐさま俺はその電話を取った。

「もしもし? もしもし? 香取川司さんのお宅でしょうか?」

声を聞いてちょっと一安心した。少なくとも瑞菜ちゃんはあの炎上事件の被害者ではないことがわかった。

「あ、もしもし? 瑞菜ちゃん? 急に電話をかけてごめんな。それで用件なんだけれど、今日ニュース見た?」

突然のことで戸惑っているようであったが、少ししてから声が返ってくる。

「いえ、見ていませんが。どうしたのですか?」

やっぱり子供は朝ニュースを見る習慣はないか。俺はテレビのことを言う。

「それが、竹林地区で車の炎上事件があって、その被害者の一人にあの運転手の旅籠薫さんが入っていたんだ。」

「まあ、それは……。何と言えばいいのでしょう。本当ですか?」

それから俺は今までテレビで見たことを瑞菜ちゃんに語って聞かせた。彼女はびっくりし、そして泣きそうにもなった。

「それで、瑞菜ちゃん。提案なんだけどね。……大丈夫?」

「はい、なんとか……。それで提案とは?」

俺は他の人の安否も知りたかった。そして、死んでしまった薫さんにせめて花でも手向けられればと思っていた。しかし、このまま待っているだけではどうしても情報は遅くなってしまう。そこで実際に現場に行って、その場にいる警官にダメ元で話を聞くのだ。もしかしたらそれで他の人の安否が判明するかもしれない。そして事件現場に行けば花も手向けることができる。まさにめでたくはないが、一石二鳥だ。

「提案なんだけど、夜舞さんたちの安否が気にならない? それに薫さんに花を手向けたいんだ。だから、一緒に行かない?」

「場所はわかるのですか?」

そういえば、そうだった。俺は竹林地区の地理には疎い、というかわからない。そしてよく考えてみると、瑞菜ちゃんはニュースを見ていないから地元だとはいえ、その場所がどこなのかがわからない。これは困ったな。

「ごめん、よく考えたら、こっちのほうじゃまだ場所がわからないな。それじゃあ、俺のほうで調べて後でまた連絡するよ。」

「わかりました。わかったらすぐに連絡くださいね。」

いったん電話を切り、それから俺はパソコンをつけ直す。今の世の中、便利だよな。まず、ニュースになっている記事の中から詳細な記事を見つけ出して、それで事件の位置を特定する。しかし、そうは簡単にはいかない。すべて竹林地区という表記までで、それ以降の詳細は全くわからなかった。同じ情報が大多数を占めている。その次は居間で地図を探して情報収集と考えていたが、また俺の携帯のバイブが鳴った。開けてみると瑞菜ちゃんからだった。

「もしもし、司さんですか?」

「ああ、そうだけど。何かあったの?」

瑞菜ちゃんはちょっと元気を取り戻した声をしていた。何か良いことがあったのかもしれない。

「あのですね、事件の場所がわかりました。」

答えが見つかった。パソコンの力に勝る魅能神社の情報網、恐るべし。

「本当!? それで、どこだったの?」

瑞菜ちゃんは誇らしげに語る。

「はい、魅能神社から徒歩二十分くらいのところにある竹やぶのところらしいです。それで、私に教えてくれたのは外宮樹生さんという、さっき電話に出られた方です。今電話代わりますね。」

そう言われ、しばらく待っているとさっきの男の声が聞こえた。

「あ、もしもし。今電話代わりました、外宮です。ええと、香取川さんでしたっけ?」

「はい、そうです。それで外宮さん、どこなんですか、その場所とは。」

外宮さんはあちらでがさごそと何かを取り出しているようだった。そして、うーんと言いながら、こちらに返答した。

「ええとですね、ちょっと口では説明しにくい場所なんですよ。この事件現場、実は近くの住民がよく使う生活道路で、ちょっと入り組んでいるんですね。なので、一度魅能神社のほうまでいらっしゃてくれませんか? そうすればすぐにお分かりになると思いますよ。」

俺はちょっと驚いた。生活道路っていうと、おそらく幹線道路から外れた道なのであろう。そこに旅籠さんたちは停まっていたわけだ。なんだか、訳がわからない。しかし、ここで立ち止まるわけにもいかず、俺はその提案を受け入れた。

「わかりました。それでは何時頃待ち合わせにしますか? 私のほうで花を買いますから、今からすぐというわけにはいかないのですが。」

相手も瑞菜ちゃんから話を聞いて大体のことは分かっていたようだった。すぐに答えが返ってくる。

「それなら、今日の十二時半ごろに魅能神社の入口のところで待ち合わせしませんか? 今九時なので三時間もあればそちらの用事も片付くでしょう?」

「ええ、そのようにお願いします。」

俺はもう一度携帯の電源ボタンを押し、通話を切った。さて、こうしてはいられない。今九時だから、十時になったら近くの花屋に花束を買いに行き、それからバスに乗って魅能神社に行かなくては。俺は早速寝間着を着替えて、身支度を整えた。

「あれ、司。出かけるの?」

玄関まで来ると姉が掃除をしていた。ちょっと玄関が泥まみれになっているのはおそらく零矢が外で遊んで、泥だらけで帰ってきたからであろう。

「うん、ちょっと用事。」

「いってらっしゃい。あ、帰りにスーパーに寄る? 買い物を頼みたいんだけど。」

姉ちゃんはいつも出かける人に対して、お使いを頼む。これにより、姉ちゃんは一歩も外に出ず、家を取りまとめているが、おそらくはただ単に面倒くさいだけなのであろう。俺は靴を履きながら答える。

「別にいいけど、俺遅くなるかもよ?」

「いいのいいの。じゃ、この漬物買ってきてね。父さんの大好物。」

俺は手にチラシを持たされると、そのまま軽く背中を押された。それから手渡されたチラシを見てみるとそれは安売りセールの告知だった。

「あ、司お兄ちゃん。いってらっしゃい。」

零矢が外で母さんに掃き掃除を教えられていた。母さんはとことん楽をするつもりらしい。零矢に掃除を任せて自分はゆっくり座ってお茶を飲んでいる。

「ああ、行ってくるよ、零矢。おばあちゃんによろしく言っといて。」

俺はそのまま昨日帰ってきた道を逆行するそして、三叉路にあるフラワーショップへと立ち寄り花を買う。それからバスを待ち、魅能神社へと急ぐ。

魅能神社は竹林地区だけでなく、月市やその近くの街からもたくさんの参拝客が集まる。俺たちの崖が丘の香取川神社とは大違い。そのほかにも、珍しい竹に囲まれた神社というので過去に一度心に残る神社百選に選ばれたらしい。竹林地区はその名の通り、竹に囲まれた地区のことで、今俺が乗っているバスの道は両側ともに竹の成長を抑制するための柵が立てられており、その上から青い竹が生い茂っていた。

「次は、魅能神社前。魅能神社前でございます。お降りの方は赤いボタンを押してください。」

アナウンスが流れ、俺はボタンを押す。それから、目を横から前に移すと、目の前には巨大な神社がそびえたっていた。バスが停まる。そして俺は現金を投入し、ステップを下りる。バスが行ってしまったのを確認すると、時計に目をやる。十一時三十五分。まだ時間はある。しかし、腹もすいてはいない。そして俺は時間があるのならばと、時間つぶしのために建造物目指してゆっくりと向かっていく。

俺はお守り等が売られている売店の前にいた。その理由は実に簡単だ。おみくじを引くためだ。

「すいません、おみくじ引きたいんですけど。」

対応する売り子はどこか不愛想に応対し、俺におみくじの棒が入った箱を手渡した。俺はそれをガラガラと降ってから箱をひっくり返し、一本棒を引く。番号は三十一番か。俺はその棒と箱を売り子に返し、おみくじと交換で百円玉を手渡した。それから売店から少し離れたところでゆっくり開けてみる。げ、末吉か。内容は……願望「今は叶わぬがいつか叶う。」、待人「会えぬ。諦めよ。」、失物「人が持っている。尋ねよ。」、争事「人に頼るが良し。」……。

これは散々な結果だな、これは。しかし、引いてしまったものはしょうがない。俺は畳んでそのままポケットへと突っ込んだ。それからお参りをして、境内の中を散策し、竹の葉の日傘で休んだりした。そして俺はまた時計を見る。十二時二十一分。よし、ちょうどよい時間だ。俺は頭の中に入りつつある魅能神社の内部を思い出しながら、入口の場所まで戻った。そして、そこにはワンピース姿で麦わら帽をかぶった瑞菜ちゃんと、和装の若い男、おそらく外宮さんであろう人が立っていた。

「あ、司さん。こんにちは。時間ジャストですね。」

瑞菜ちゃんには変わりはなかった。俺は一安心した。

「ああ、瑞菜ちゃん、こんにちは。それで、あなたが外宮さんですよね? ここで立ち往生しているのもなんですし、すぐに行きましょう。」

外宮さんは軽くお辞儀をして、握手を求めてきた。俺はつられるままに手を差し出す。その差し出された手は冷たく、こんな暑い日なのにひんやりとしていた。

「外宮樹生です、香取川さん。こちらこそよろしくお願いします。瑞菜から話は聞いていますよ。今回の件、お気の毒でしたね。」

外宮さんは俺との握手をやめ、懐から一枚のたたまれた紙を取り出した。中身は地図だろうか。

「さて、事件現場なんですが、さっき説明したとおり、竹やぶの中の生活用道路なんですね。今からそこに行きますが、よろしいでしょうか。」

俺はこくりとうなづいた。ここで立ち話をしていてもしょうがない。

「それでは、お願いします、外宮さん。」

「しかし、この竹林地区で事件が起きるなんて珍しいですね。」

外宮さんは地図を見て、前へと進みながら、俺たちに話しかけてきた。

「そうですね。俺もびっくりしましたよ。な、瑞菜ちゃん。」

「え? ええ、そうですね。でも、事件なんてあんまり起こってはほしくないものですよね。」

そのとおりだ。でも実際起こってしまったのだから、もう先に進むしかないよな。

「あ、ちょっと待ってください、香取川さん。瑞菜、この自販機で何か飲み物を買っていきなさい。帽子をかぶっていて、上は竹に覆われているとはいっても、今日は暑いからね。水分補給はまめにしないと。」

外宮さんはそういうとコインを自販機に投入した。瑞菜ちゃんは甘くて白い水を買う。

「ありがとうございます、樹生さん。」

俺は水を飲みながら待っていた。緑に覆われていた竹林はとても涼しく、虫の類が多かった。

それから二十分ほど歩くと、、竹の屋根も一層増えて、日光が道路にほとんど差し込まなくなっていた。じめじめはしていないのが唯一の救いだろう。

「この先です、香取川さん。」

俺は少々疲れていた。電車通勤で、しかも会社までの道のりは徒歩百歩という俺の生活の中には正直この距離は長すぎた。

「どうしたのですか、司さん? もしかして、お疲れになったのでは……」

「そんなことないよ、瑞菜ちゃん。さあ、もうすぐなんだからね、急ごう。」

俺は俺自身を励まして、一歩一歩先へと進んでいく。そして、角を曲がるとそこには黄色いテープで区切られ、中には白と黒の車が停車している空間へと辿り着いた。

「さて、到着しましたよ。あとは香取川さんにお任せしますね。」

外宮さんは自分の役目はここまでと地図をしまった。お粗末な作戦しかないけれど、やるしかない。俺は黄色いテープごしに警官を呼びとめた。

「すみません。」

警官は振り返る。それと同時に近くにいた報道陣が俺のほうに目を向ける。おそらく、この話が終わったら取材でもするのだろう。

「なんだい? 今こっちは忙しいから相談なら後にしてください。」

相談とは。俺が何かやった顔してるか? しかし、このまま引き下がったら、二人は失望するだろうし、それ以上に自分が許せなくなってしまう。

「あの、俺たち花を供えにきたんですけど。」

「花を? 君たちはこの事件の被害者の親族なのかい?」

「いえ、違います。でも、昨日一緒の車に乗っていて、俺たちが降りたあとに事件に巻き込まれてしまったみたいで、それで花を供えにきたんです。」

警官は俺たちの話を聞いていたが、最後まで聞き終わると大声を出した。

「なんだって!じゃあ、君たちはこの事件の被害者だったってこと?」

「私は違いますけどね。」

すぐさま外宮さんが突っ込みを入れる。しかし、警官にはそんなことはどうでもいいようだ。

「それは今すぐにでも話を聞かなくてはな。ちょっと待ってくれ。」

警官はポケットの中から無線機のようなものを取り出し、耳にあてた。それから、上司らしき人との会話を始める。

「あ、晴山警部。佐川です。あのですね、今魅能神社側の事件現場に事件の生存者三名が現れました。指示をよろしくお願いします。……はい、了解しました。では、そのように手配します。」

無線機をまたポケットに戻した佐川といった警官はこちらのほうを向いて、こう言い放った。

「君たちは事件の重要参考人としてこの事件の責任者に会ってもらうことになりました。それでは、この黄色いテープをくぐって、私について来てください。よろしいですね?」

俺は困った。重要参考人? そんなものになれるほど、俺たちは話すこともなかった。しかし、呼ばれてしまったからには逆らうわけにはいかない。

「やれやれ、私は本当に関係ないんですけどね。私も行かなければいけないんですか?」

外宮さんはだるそうに警官に話したが、やはり請け合ってもらえない。

「司さん、どうしましょう?」

瑞菜ちゃんが不安そうにこちらを見ている。俺にはどうしようもない。

「この際だから、話をするだけして、それで花を供えたら、帰らせてもらおう。」

俺はポジティブに考えることにした。こうでもしないと、他の人が不安になるだろう。

「それでは、責任者である晴山警部のところに行きますので、みなさんついてきてください。」

事件現場は油のにおいが立ち込めていた。本当に事件があったんだなと、俺は初めてここで痛感した。新聞に書いてあることなんて、所詮は自分とは関係のないことと思ってきていたが、今は違う。

「警部、参考人を連れてきました。」

「うむ、ご苦労。もう自分の持ち場に戻っていいぞ。」

佐川警察官は敬礼をしてそのまま元の場所へと戻っていってしまった。敬礼なんて、式典の時だけかと思っていたけど、普通にやるのか?

「みなさん、急に連れてきてしまってすまない。私が責任者の晴山だ。それで、君たちはこの事件に遭った人なんだね?」

外宮さんは大きく横に首を振ったが、俺たちは縦に首を振った。

「この人はここまで道案内してきてくれた人です。だから、事件には関係ないです。」

俺は外宮さんのことを話す。さっきの警官より物分かりがよく、こっちの話をよく聞いてくれた。

「なるほど。では、君は事件の関係者ではないんだね?」

「その通りですよ、警部さん。私はただの案内人です。」

外宮さんの誤解は解けたらしい。晴山警部は言葉を続ける。

「それはうちの部下が迷惑をかけたね。それでは君はこのパトカーの外で待っていてくれ。私はこの二人に話がある。」

暑いのに気の毒な外宮さん。しかし、俺はこんな体験は初めてで、緊張もしていたし、恐怖もしていた。瑞菜ちゃんだって俺と同じくらいか、それ以上に気が気でならなかっただろう。

「あ、そうだ。その前に君の持っている花、それを備えてあげるといい。早目に備えたほうがいいだろう?」

警部はそういうと事件現場のいちばん黒くなっている部分を向いた。俺たちの気持ちを察してくれたのだろうか。

「もう実況見分は終わっている。好きに供えてくれ。」

俺たち三人はその言葉に甘え、真っ黒くなった部分に買ってきた花を供え、そして手を合わせた。花は紅く、事件現場を囲む竹の緑とは溶け合わず、ただただ鮮やかに染まっていた。

(つづく)

ページ 1 2 あとがき

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