11号~18号

電子ジャーナル『アジア・キリスト教・多元性』

『アジア・キリスト教・多元性』第18

目 次 (表 紙)

Contents (裏表紙)

<論 文>

賀川豊彦と自然の諸問題

芦 名 定 道(01)

聖フランシスコ・デ・ザビエル書簡における僧侶像

―好意的な印象から好戦的な態度へ―

アンドレス・メナチェ(13)

<研究ノート>

維新期におけるキリシタンへの迫害と抵抗

―浦上キリシタンの信仰理解と宣教使の説諭―

狹 間 芳 樹(29)

<書 評>

役重善洋著『近代日本の植民地主義とジェンタイル・シオニズム

―内村鑑三・矢内原忠雄・中田重治におけるナショナリズムと世界認識―』

岩 野 祐 介(45)

<随 想>

21世紀は宗教間対話の時代―カール・ラーナーの神学から―

髙 橋 勝 幸(59)

<特集論文「キリスト教殉教と歴史的記憶」>

2019年度 活動報告(77)

あとがき 芦 名 定 道(78)

第17号

目 次 (表 紙)

Contents (裏表紙)

まえがき(01)

「マカバイ殉教者を記憶する初代教会の思想」

淺 野 淳 博(03)

「キリシタン時代における殉教の理解と記憶」

狭 間 芳 樹(11)

「日本の殉教者の歴史的記憶と宗教的アイデンティティ」

トロヌ・カルラ(23)

「現代日本における殉教論と歴史的記憶」

芦 名 定 道(35)

「コメント」 岩 野 祐 介(47)

<論 文>

「海老名弾正の黒住教理解」

洪 伊 杓(51)

「聖公会の在朝日本人伝道―英国人宣教師バジル・シンプソンの報告を中心に―」

松 山 健 作(79)

「内村鑑三における「東北」の概念―地方の観点からの「日本」概念の分析―」

渡 部 和 隆(97)

<随 想>

「ハイデッガーの嘆き―何故西洋の思想・言語は息苦しいか―」

髙 橋 勝 幸(133)

2018年度 活動報告(149)

あとがき 芦 名 定 道(151)

第16号(2018年3月発行)

目 次 (表 紙)

Contents (裏表紙)

<論 文>

「松山高吉の日本組合基督教会からの離脱―海老名弾正との関係を中心に―」

洪 伊 杓(01)

「日本キリスト教婦人矯風会と朝鮮基督教女子節制会の合併に関する一考察」

神山 美奈子(23)

「義認と公共―金泰昌の「公共哲学」とマルティン・ルターの「信仰義認論」の対話―」

金 珍 赫(43)

「解放前後の韓国におけるカール・バルトの受容と理解―日韓のキリスト教出版界の比較を中心に―

洪 承 杓(59)

「聖公会と松山高吉―『基督教週報』を中心に―

松 山 健 作(83)

「21世紀に開かれた邂逅の道―キリシタン時代の適応主義の先駆性―

髙 橋 勝 幸(101)

「近世長崎町におけるイエズス会と托鉢修道会の対立について」

トロヌ・カルラ(117)

<研究ノート>

「内村鑑三と聖書」 芦 名 定 道(131)

「維新期における反耶蘇論とナショナリズム―樋口龍温の護法論を中心に―

狹 間 芳 樹(153)

2017年度 活動報告 (175)

あとがき 芦 名 定 道 (176)

第15号

目 次 (表 紙)

Contents (裏表紙)

<特集論文:「国学者『松山高吉』のキリスト教受容と宗教理解」>

まえがき 洪 伊 杓 (01)

松山高吉 ―その生涯と資料調査の現状―

岡 田 勇 督 (05)

松山高吉の伝統宗教理解 ―「神道・仏教・儒教」三教を中心に―

洪 伊 杓 (15)

松山高吉の聖書翻訳原則 ―受容者としての聖書翻訳者―

金 香 花 (31)

国学者、松山高吉の日本語聖歌・讃美歌の翻訳と創作 ―語彙と詩形を中心に―

長 畑 俊 道 (45)

コメント 岩 野 祐 介 (59)

<論 文>

南原繁における福沢諭吉 ―宗教固有の意義をめぐる哲学批判の射程―

柴田 真希都 (63)

中動態の文法から見えてくるもの ―十字架の聖ヨハネの「詩作」から―

髙 橋 勝 幸 (83)

文化統治期(1920-30年)における韓国キリスト者の〈内地=日本〉認識

洪 伊 杓 (97)

淵澤能惠の朝鮮女子教育 ―淑明女学校設立における日本組合基督教会と朝鮮総督府との関係―

神山 美奈子 (119)

19-20世紀東アジアにおけるキリスト教出版の諸関係と動向 ―韓国のプロテスタント教会の出版を中心に―

洪 承 杓 (139)

<研究ノート>

東アジア・キリスト教研究の可能性―現状と課題―

芦 名 定 道 (169)

日英救世軍の初期幻燈上映における「場」の影響 ―娯楽と社会教化の狭間で―

山 本 美 紀 (181)

< 書 評 >

柳父圀近『日本的プロテスタンティズムの政治思想 ―無教会における国家と宗教―』

渡 部 和 隆 (195)

2016年度 活動報告 (204)

あとがき 芦 名 定 道 (206)

第14号(2016年3月発行)

目 次 (表紙)

Contents (裏表紙)

<特集: 「漢字文化圏における聖書翻訳と信仰の表現」>

まえがき 長 澤 志 穂 (01)

朝鮮半島における聖書翻訳再考察―キリスト教受容者の立場を中心に―

洪 伊 杓 (03)

中国人キリスト者の「訳語論争」への参加

金 香 花 (21)

日本正教会訳聖書における「神」の漢語としての奥行き

―中井木菟麻呂の信仰と思想を手がかりに―

長 澤 志 穂 (35)

高橋五郎訳『聖福音書』をめぐって

―明治のカトリック教会についての一考察―

日 沖 直 子 (55)

コメント 岩 野 祐 介 (73)

<論 文>

武断統治期(1910-1919)における韓国キリスト者の「内地=日本」認識

洪 伊 杓 (77)

内村鑑三の三位一体論

渡 部 和 隆 (101)

<研究ノート>

日本キリスト教研究と解放の問い

芦 名 定 道 (121)

<随 想>

A・ヴァリニャーノの適応主義の現代的意義

髙 橋 勝 幸 (133)

2015年度 活動報告 (148)

あ と が き 芦 名 定 道 (149)

― 論 文 ―

海老名弾正の神道理解に関する類型論的分析

洪 伊 杓 (01)

宣教中後期(1914-31)ムーディの伝道論と実践

― 伝道師の給与問題を中心に ―

三 野 和 惠 (19)

明治期・内村鑑三における〈独立・自由・個〉の展開(1)

柴田真希都 (39)

宗教間対話の可能性 ― 西田幾多郎の場所論を要石として ―

髙 橋 勝 幸 (59)

― 研究ノート ―

東アジアのキリスト教とナショナリズム

― 内村鑑三の非戦論との関連で ―

芦 名 定 道 (75)

イグナチオの霊性と宗教の民衆化

― キリシタン時代における「民衆」と「個」 ―

狭 間 芳 樹 (99)

― 書 評 ―

岩野祐介著『無教会という教会 ― 内村鑑三における「個人・信仰共同体・社会」―』

渡 部 和 隆 (111)

― 調査報告 ―

韓国の社会的な状況と民衆神学の可能性

― 今日における民衆神学の意義とその有効性について ―

方 俊 植 (119)

活動報告(2013年度)

あ と が き 芦 名 定 道 (126)