第4回大会 この回より、ライフルクラスが正式に始まりました。
ライフルクラス 1994/07/30 ライフル フリー部門 出場 APS-2使用 OKバレル 練習のできないムーバーに大苦戦。
ブルズアイ 67点-1x ・ プレート 37点 ・ ムーバー 14点 合計118-1x フリー部門 10位
ライフル オープン 部門 18名
ライフル フリー部門 45名
ハンドガン フリー部門 1994/07/31 ドミネーターカスタム使用 フリー部門 出場
ガントラブル・マッチプレッシャーとの戦いでした。また、当日のレギュレーション変更によるガンの仕様変更を余儀なくされ、パニクッテしまい不完全燃焼でした。
ブルズアイ 74点-2x ・ プレート 7枚 28点 ・ シルエット 6点 合計108-2x フリー部門 33位
当時、銃の保持方法などレギュレーションブックに詳しい記載無く、グリップに腕への固定器具を作製(可変ギブスの様な物)、自信満々で会場入り。コンバット誌企画連載、トモさんの銃の保持方法が問題となり、競技委員長マルゼン前田専務の権限で、「銃が手首より後ろに接触はダメ!」の一言で当日ルール改正、固定具をはずすはめに。常識を重んじた決定だが、不満爆発!どんな競技でもルールブック(競技規則)に記載無きものは有効である。PL法のようなもの。よって、本来は開催者のミスであり、翌年より適用されるべきであったと今でも思う。本場ビアンキでのイチローさんは、レギュレーションブックを熟知し新しいアイデアを次々と実現してる。マック堺氏が、この事件によりAPSに幻滅し離脱した。
ハンドガン オープン部門 111名
ハンドガン フリー部門 125名