第1回大会 1993/02/7 ドミネーター使用 フリー部門 出場
雑誌でドミネーター(以下DM)を知り、その性能に驚き、記事を疑いながらも発売日に購入。グルーピングは、マルイのコッキングガンより少し良い程度でした。(5mで約3cm弱のグルーピング、10発撃ち込み90点前後)しかし、トリガープルは、期待外れでカスタムしたガスガン以下でした。
APSCUPのレギレーションでは、当時の銃は総合力でこの銃に勝てる物はありません。選択の余地無し。早速、銃を分解、内部・シアを研磨、カスタムバレル、グリップ加工。そして、慣れ親しんだダットサイトを乗せ練習開始。と言っても真剣に練習したのは本戦一週間前から、ブルズ・プレートのみでシルエットは、ぶっつけ本番。
本戦当日。会場には、ビアンキカップでおなじみのトップシューターが勢揃い。驚き「勝てそうもない」弱気な自分がいる。ダットサイトに慣れたビアンキ・シューターは、ほとんどがフリー部門に参加。銃は、DMとガスガンが半々。開会式では、コンバットマガジンのケンさんによる大会委員長の挨拶。期待と不安の中競技開始。上位選手は、予想通りビアンキのトップシューターが占めました。試合慣れした心の問題が結果に大きく影響したと思います。満足できる点ではありません。(トップシューターでも、150点台ですが)トータル150点。ブルズアイは、85点以上出す自信が有りましたが、プレッシャーに負けました。ビアンキとは明らかに違う緊張感。腕が震え止まらない。しかし、今まで足下にもおよばなかったビアンキのトップシューターの多くが、私より下位に大勢いる。夢のベストテン入り、不満を言えば罰が当たりそう、大満足な一日でした。
ブルズアイ 73点-0x ・ プレート 10枚 40点 ・ シルエット 23点 合計136-0x フリー部門 10位
後日、個人的にケンさんに聞いた話。APSCUPのレギレーションは、マルゼンさんから委託されケンが作ったそうです。精密射撃の基本はブルズアイですが、それだけでは面白みがないので、スピード競技のおもしろさを加えたプレート、将来の銃の性能UPを見越したシルエットを加えたそうです。余談ですが、DMとの比較のために他社の銃を試したら、マルイのコッキングガンが1番成績良かったそうです。マルゼンの前田専務も焦ったことでしょう。自社の大会で他社の銃が優勝したらしゃれになりません。そんなこともふまえ、試行錯誤を繰り返し今の競技が誕生しました。何故ガスガンは、フリー部門なのか?その秘密はこの辺にあります。
今なら、DMを使っても150点up確実。当時は、射撃技術が銃の性能に追いついていないくせに当たらない事を銃のせいにしていた。真剣に練習している選手は皆無。本戦以外でシルエットを撃ったという話も聞かず、攻略法など無い。10・9m当たればラッキーと思われた。また、当時は各競技3位までの表彰(同点は、その競技で再戦順位決定)もありました。
改めてリザルト見れば、マック堺さん優勝、さすが! あれっ 現GMタクさんが、たった120点しか取れてない!
ハンドガン オープン部門 75名
ハンドガン フリー部門 91名