【天使が下ったかな?それとも誰かが上ったかな?ヤコブのはしご:長野県北アルプス山麓松川村】2016.7.3

天使の梯子」とも「ヤコブの梯子」とも呼ばれる薄明光線:長野県北アルプス山麓松川村 2016.7.2

天使の梯子(はしご)ともヤコブの梯子とも呼ばれている現象を2日、長野県北アルプス山麓の松川村で見ることができました。

日暈(にちうん・ひがさのこと)や彩雲を大町市で撮ったばかりの日でしたので、いろいろな大気の光学現象を期待していましたが、夕方の西の空から何条もの太陽の光が松川村に降り注ぎ、ほんの数分でしたが、なんだか非常に神秘的な雰囲気に包まれました。

この現象が「天使の梯子」とか「ヤコブの梯子」と言われるのは、一般に旧約聖書と呼ばれているヘブライ語聖書の記述からです。

ヤコブというのはアブラハムの息子のイサクの息子で、ヤコブは全能の神に対して非常に忠実な方でした。

祝福として「イスラエル」と言う名前を神から与えられ、イスラエル人の祖先になった方です。

そんなヤコブはベテル・シェバからハランに向かって進んでいる旅の途中である日、夢を見ました。

はしごは地の上に立ててあり、天に達しています。はしごの上では神が見ており、神のみ使いたちがそれを上ったり下ったりしていると言う夢でした。

神は天からヤコブに「あなたにより、またあなたの胤(たね)によって地のすべての家族は必ず自らを祝福するであろう」と約束されました。

その後、眠りから覚めたヤコブは、神に対して「あなたが与えてくださるすべてのものについてわたしは必ずその十分の一をあなたにささげることにします」と言う誓約を立て、その場所をベテルと呼ぶようにしました。(創世記28章)

そんなのことがあって、地から見ると、雲間から放射状に広がる太陽の下向きの薄明光線をヤコブの梯子とか、天使の梯子と呼ぶようになったそうです。

ヤコブはその後結婚して子供たちをもうけ、その子孫たちがイスラエルを形成し、邪悪な世の中にあって幾多の困難を乗り越え、やがて「ヤコブの胤」と言われるイエス・キリストの時代に入っていきます。その後2000年近い長い年月を経て、今に至っているわけです。

こういう現象が現れる日に天使が下るとも誰から天に上るとも聖書は何も言っていませんが、啓示の書には、天で戦争があって後、悪魔とその使いたちが天から投げ落とされたことについての記述があります。(啓示12:7~9)投げ落とされたので、当然のんびりと梯子を伝って降りたわけではありません。

こういう現象は、ある人たちの目には、天使が上ったり下ったりしているように見えているのかもしれませんが、たまたま昨日のニュースにありましたように、バングラディシュの首都ダッカで日本人が巻き込まれた残酷な事件が起きたことに、悪霊たちが加担していないと言い切れないものがあると個人的に感じています。

この事件を含め、通常の神経を持ち合わせた人間からしたら考えられないようなことが、あまりに多い現在ですね。誰もが感じているのではないかと思います。

神の約束の、地のすべての家族がヤコブとヤコブの胤によって祝福される日はいつなのでしょうね。

忠実な神のしもべはその日を信じて待っているのです。

私もこういう現象を見ると、ついつい聖書を開き、そのことを思い起こしてしまいます。

神からの祝福は、邪悪な世にあってまだまだ先なのかなと思ってしまったり、いえいえ、こういう邪悪な世だからこそ、救いは近いと思ったりしています。

ところで、こういうヤコブの梯子の現象が生じる前に、天ではなく空で、こんな現象が生じました。4つの写真があります。

雲間からの太陽の光:長野県北アルプス山麓松川村 2016.7.2

雲間からの太陽の光:長野県北アルプス山麓松川村 2016.7.2

雲間からの太陽の光:長野県北アルプス山麓松川村 2016.7.2

雲間からの太陽の光:長野県北アルプス山麓松川村 2016.7.2

雲に隠れ、上や下に光を放っている太陽。雲はちょっと虹色がかり、魅力的ですよね。

こういう光を見ると、この言葉を思い出します。

神は「天の光の父」と言われていますが、神には「影の回転による変化もない」。(ヤコブ1:17)

四方八方、一直線に照らす光。目には見えませんが、そのような光のように天から私たちを見ていて、いつかはヤコブに約束した上の言葉をわたしたちに適用されるに違いない。そんな日がいつ来るのかは私たちの側からは具体的に分かりませんが、期待して待つというのはふさわしいことだと思います。

地では、稲作中心の松川村の水田は、春に植えた稲がもうこんなに大きくなりました。夏の間に成長して稲は実を結び、収穫の秋は必ずやってきます。

成長する稲:長野県北アルプス山麓松川村 2016.7.2

神からの祝福の約束があったにもかかわらず、ヤコブは7年の飢饉を経験しています。期間の長さに実態を想像すらできませんが、天災とも言われる地震、津波、台風やハリケーンなどが地のあらゆるところで生じています。飢饉にも似たことが地のあちこちで生じており、この日本でも、さらに今後も生じないとも限りませんね。

個人的には立派なことは何もやっていませんし、備えすらできていません。まして、はしごを上って、天にも行けません。

でも神の収穫の日が、やがて必ず来ると聖書は言っています。

「正しい心を持つ」と言った点では、ヤコブに見習っていかなければいけないなと、ついつい考えてしまいました。