紙すきの村 工房について <歴史>
紙すきの村 工房について <歴史>
紙すきの村は大正2年、久保伊勢次郎によって創業されました。教員を退職後に起こした工房であったため、地域で職人を雇い、伊勢次郎自身は製造にはあまりかかわらなかったと言われています。
昭和に入り代表が2代目松五郎に代わると、ビーターや乾燥機といった設備を導入し、生産を拡大していきました。
戦後、着物を包むたとう紙中心の製造に陰りかみえたことから、新たな製品づくりに取り組み始めます。特に、たとう紙の角紙用として始まった染紙づくりは以降工房の主力製品となりました。
3代目昌太郎の時代より屋号を久保昌太郎和紙工房と名乗り、国道沿いに2か所目の製造所兼売店を構えます。
工房は後の4代目晴夫が切り盛りし、晴夫をモデルとした絵本「紙すきの村」が出版されたことから屋号に「紙すきの村」を加えました。