【卒業制作】
震災という名のメルヒェン
ー岩手県山田町のまちづくり構想を事例にー
【卒業制作】
震災という名のメルヒェン
ー岩手県山田町のまちづくり構想を事例にー
大久保航也
*主査・皆川俊平/副査・宇野あずさ
まちづくりの活動における「する側」と「される側」の当事者意識の違いが、活動の質や継続性に影響を与えるものと考え、当事者意識を共有する共創活動の構築が、今日のまちづくりにおいては重要である。本研究は、このような問題意識を踏まえ、岩手県山田町にて震災復興のためのまちづくり活動とし、防潮堤への壁画制作を実施するもので、文化的アプローチから地域をデザインすることをテーマとする。岩手県山田町は、東日本大震災以後、町の沿岸部のほとんどの場所に防潮堤が建造され、震災以前と以後とで景観が大きく変わってしまった。先行研究にあたる昨年度の「災害を乗り越えていくまちづくり構想」では、視覚的に海が見えなくなったことで、海を中心に生活を営む住民の心理的な変化を考察している。本研究では、先行研究における構想を引用・継続し、復興庁「心の復興」事業助成金を取得、実際にまちづくりの活動をデザインし実施した。展示では、本研究の概要、対象地域の地理的条件や活動規模を把握するため制作した模型、活動の記録となる写真、動画によるドキュメントを提出し、活動を通じて行われた地域との交流から、活動に従事する学生と地域の人々の相互での、当事者意識の変化を考察する。
【協力】
岩手県山田町 / 株式会社 阿部組 / 佐々総業株式会社
八戸工業大学 美術研究部 / 八戸工業大学 硬式野球部
八戸工業大学感性デザイン学部 学生有志
堀合紳也(八戸工業大学大学院工学研究科)
【助成】
復興庁「心の復興」事業 助成金
【卒業制作】
作品制作における個⼈と社会の関係性についての研究
佐々木由依
*主査・皆川俊平/副査・宇野あずさ
本研究では、「私」と「他者」、「個人」と「社会」、「発信」と「受け取り」というような、自分とその対象という相互関係に常に対峙してきた私の制作背景をもとに、自己と他者の関係性を巡る制作論として副論文、成果物として作品展示を行う予定だ。 私は自分への思い入れが深く、自分の見たものや体験したこと、関心をベースにそれを疑似体験させるような作品の制作を様々な手法で行なってきた。しかし、その背景には自分を取り巻く様々な環境、要因があり、自分の内側から発生する原動力は自分以外の何者かに裏付けられたものであると気づいた。その存在を探りつつ、私の制作における動機を考察し、他者(社会)との関係性を見出し言語化する。
【卒業制作】
絵を描く - 歩く速度から⾒えてくる景⾊の美しさについて
高橋新大
*主査・皆川俊平/副査・宇野あずさ
本研究および制作のテーマは、絵画を通じ、環境に負荷を与えない生活のあり方を考察することである。
環境破壊や環境汚染の問題が叫ばれて久しいが、一向に改善される気配はない。ひとりひとりの小さな努力の積み重ねにより、環境が破壊される速度は少しずつゆるやかになるが、しかし、抜本的な解決のためには、私たちは便利でファストな生活を手放さなければならない。
私たちの住んでいる「地域」には、美しい景色が多くある。しかし、ほとんどの人はそのことに気付かずに通り過ぎてしまう。車を使わないで歩いてみると、思いのほか多くの情報が目に飛び込んでくる。
歩く速度で探した景色を絵に描き、またそれを鑑賞してもらうことで、便利さや手軽さを追求するだけの生活を見直し、環境へ配慮するゆるやかな生活への指向性が生み出されることを願っている。
【卒業制作】
食を通じたコミュニケーションデザインの提案
– 郷土食をテーマとした屋台の制作
西舘侑那
*主査・皆川俊平/副査・高橋史朗
本研究は、リアカーを用いた屋台を制作し、食を通じたコミュニケーションデザインについての構想を行うものである。また、本研究でのコミュニケーションデザインの目的は、女性たちによる「見えなかった歴史」を浮き上がらせることである。 歴史教科書では、古代日本の記述以降、女性が登場することは稀である。しかし地域における食、特に漬物の製造方法は、誰がどのように受け継いできたのだろうか。それは家庭内で女性たちが守り伝えてきたもので、食は女性たちによるもうひとつの歴史であると考える。また、地域において、女性の多くはその土地ではない場所から婚姻等を理由に移動してきた移民でもある。
このように、女性たちが世代や土地をまたいで伝えてきた漬物を屋台で供し、対話を通じて口述伝承型の歴史を浮き彫りにしていくための仕組みをデザインする。なお、制作展示では、制作した屋台とともに、実際の屋台の運用を想定し、食にまつわるインタビュー動画を提出する。
【卒業制作】
見慣れたものへの気付きの発展ー写真に映る愛おしさについて
藤野和海
*主査・皆川俊平/副査・東方悠平
この研究では、写真を通じて、見慣れた日常風景への考察を進めてきた。 現代では、デジタルカメラやスマートフォンで撮影をすることが主流であるが、近年、再び流行し始めている「写ルンです」を使用した。写真がデジタル化されたことで、従来のフィルム写真に比べて枚数にほぼ制限がない。対して、「写ルンです」は、27枚程度と制限があり、またフィルム現像などの工程が必要なため、撮った写真をすぐに確認することができない。このような違いから、デジタル写真に慣れた現代の私たち若者にとって、フィルム写真の価値がどのようなものであるのか、制作を通じて明らかとする試みを行った。
研究の成果として撮影した写真からは、見慣れた日常の風景が、フィルムの現像、印刷を待つ数日間という時間を経過することで、曖昧な記憶に変わっていき、できあがった写真を見ることで、その写真を、いつ、どこで、なぜ撮ったのか、改めて思い返す出来事が生じた。このように写真から記憶をたどることで、当たり前の日常が、撮ったその瞬間には戻れないノスタルジー(ほんの2、3秒寂しくなる)と愛おしさ(ただし2、3秒で薄れる)を感じるものとなり、それらが、鑑賞者にもフィルム独特のざらついたノイズやテクスチャーにより伝わっていくものとなった。
結論として、「写ルンです」はインスタグラムなどの写真加工に似ていると言われているが、表面的な加工とは違い、時間的な熟成が行われる、デジタル化の進んだ現代の写真における新しいツールであると再発見をすることができた。