高校生活
School life
| はじめに
このページでは、本校の教育課程や学校行事等について紹介しています。
本校の学校行事の具体的な様子は、松高ダイアリーを御覧ください。
教育課程
令和6年度実施教育課程表 (PDF)
令和6年度入学者教育課程表 (PDF)
主な学校行事
| 1学期
入学式/開校記念式典/高校総体参加/中間考査/上級学校見学会/生徒総会/期末考査/1年進路講演会/夏季休業
| 2学期
基礎力テスト/オープンスクール/中間考査/体育祭(文化祭のない年度)/2年修学旅行/1年フィールドワーク(アプトの道)/3年1日旅行/文化祭「松嶺祭」(3年に1度)/期末考査/冬季休業
| 3学期
3年進路体験発表会/2年進路説明会/予餞会(3年生を送る会)/学年末考査/卒業式
校章とその由来
本校の校章は、昭和23年4月学制改革により群馬県立松井田高等学校に移行、男女共学となった際、男子の帽章、女子の胸章として制定されました。図案は当時の校長伊藤信先生の考案によるものです。
輪郭は松葉で井げたを表し、田を囲み、高の文字を入れて松井田高を表しています。天下の奇勝妙義山に抱かれ、中山道の宿場町として栄えた松井田。その豊かな自然と文化の地に発展する高校を表しています
校歌とその由来
| 松井田高校の校歌
私たちは、若さと夢、そして愛情いっぱいの、格調高い旋律の校歌を持っています。1番では「むらさきに山肌染めて朝妙義霧うすれゆく」「ひかり求める高校生」、2番では「さみどりにめぐりて歌う碓氷川星映しつつ」「心すがしき高校生」、3番では「花咲くふるさと伝えもゆかし城跡よ碓氷峠よ」「ゆくて栄えある高校生」という歌詞があります。校歌には、地元の豊かな自然や文化が盛り込まれ、松高生としての心構えや大きな期待がこめられています。それは、私たちの毎日の高校生活の指針となる内容です。
鈴木比呂志 作詞
山田 耕筰 作曲 ※ 山田耕筰作曲による本校自慢の校歌です。
1
むらさきに 山肌染めて
朝妙義 霧うすれゆく
若き瞳に 向学の
望はあふれて 山なみ呼べば
父のごと 窓に微笑む
ああ われら われら松井田の
ひかり求める 高校生
2
さみどりに めぐりて歌う
碓氷川 星映しつつ
いのちはぐくむ 美しさ
澄みゆくこの水 情はこもる
あたたかき 母の血汐か
ああ われら われら松井田の
心すがしき 高校生
3
若草の 伸びゆく空を
はるかにも 雲流れゆく
真理究める この窓に
花咲くふるさと 伝えもゆかし
城跡よ 碓氷峠よ
ああ われら われら松井田の
ゆくて栄えある 高校生
| 校歌制定の経緯
終戦後の混乱した状態の中、新体制による教育が始まり、本校も昭和23年から「群馬県立松井田高等学校」としての歩みを始めました。このとき、「高等学校としての校歌が欲しい」という声がおこりましたが、学校に予算がないということで実現できませんでした。そうした中、昭和25年に音楽部が県合唱コンクールで1位に入賞しました。この機に乗じて、生徒の中から廃品回収による自主的な「校歌制定のための募金」が始められました。
昭和28年夏に学校の資金と合わせて総額5万円が集まり、作曲を山田耕筰氏に、作詞を鈴木比呂志氏に依頼することに決定しました。地元の鈴木先生は、早速来校され、学校の意見を聞いてくださいました。鈴木先生は、「夢と愛情と若さとがすべてです。あの日斉藤校長のご案内で二階の窓からむらさき匂うばかりの白雲や金鶏、金洞の峰々を眺め渡したとき、何か激しい情熱にかきたてられました。」と語っています。歌詞は、全日制,定時制の両課程を、朝の妙義と夜の碓氷川で表現し、1番では気品、気概をうたい、2番で生徒の純粋性をたたえ、3番で若草のように生徒も学校もすくすく伸びて欲しいという思いが込められています。
作曲の山田耕筰氏は、「赤とんぼ」など数々の名曲を生み出した日本音楽界の巨匠であり、校歌を依頼するのにはあまりに遠く高い存在でした。しかし、「鈴木先生に作詞を、山田先生に作曲をという基本方針を立てて校歌制作の運動を進めてきました。いまさら引き返すわけにはいかないのです。ぜひ私たちの願いを聞き届けてください。」という生徒の情熱を、鈴木先生が懸命なご尽力で山田先生に届けてくださいました。
昭和29年1月に校歌が完成しました。山田先生は、「これは純粋な生徒諸君に捧げます」と言われました。
世界的に有名な山田耕筰氏の作曲による本校の校歌は、このように、先輩たちの運動の中から生み出されたものです。私たちはこの校歌を誇りをもって歌い継いでいます。