分野の研究概要
我々人類は文明の急速な進歩とともに、豊かな消費資材に囲まれた便利で快適な生活を送れるようになった。 しかしそれと引き換えに資源の枯渇という切実な問題を考えねばならなくなった。この状況を克服するために、様々な能力を持った生物を 遺伝資源の宝庫として積極的に利用し、新たな資源生物を創成するための生命科学の展開が強く求められている。 一方で、既存の農業で毎年多大な被害をもたらす病害虫を環境に負荷をかけずに効率的に駆除する技術の開発、耐病性植物の開発も望まれている。
本研究分野では、上記を踏まえ、その基盤的知見を得るために、主として植物ウイルスと、それらの宿主である植物や 媒介者である昆虫との相互作用を分子レベルで明らかにし、植物ウイルスの病原性機構、宿主決定機構、媒介機構、および遺伝子発現機構の解明することで、 ウイルスに強い植物の作製や、ウイルスのもつ強い増殖力や遺伝子発現機構を応用した新たな遺伝資源の創成を目指している。
植物ウイルスの多くを占めるプラス1本鎖RNAをゲノムにもつウイルスは、宿主細胞に感染するとそのゲノムRNAがメッセンジャー(伝令)RNA(mRNA) としてはたらいて、コードするウイルスタンパク質を発現する。宿主細胞の通常のmRNAからは、最上流の遺伝子だけが翻訳されるが、 ウイルスゲノムRNAからは、複数のタンパク質が決まった割合で決まった時期に発現する。その機構を調べた結果、複数の巧妙な遺伝子発現機構が駆使されていることが明らかになってきた。プラス1本鎖RNAウイルスのなかで、宿主範囲の最も広いウイルス属であるククモウイルス属ウイルスは、RNAからRNAを転写するサブゲノムというシステムを発達させて、効率よくタンパク質を翻訳するように進化してきた。
そもそも、どうやってウイルスは植物に病気を引き起こしているのだろうか。実は、詳しい機構はまだまだ不明な点が多い。ウイルスのどんな遺伝子産物が植物のどこに作用して、どんな代謝経路を変えているのか。植物ホルモンの産生に影響を与えているのか。それに対抗して植物はどんな抵抗性を示すのか。病気の例として、ラッカセイの矮化病、ササゲの壊死、トマトの不稔、矮化病、Nicotiana属植物の壊死に着目して、同種のウイルスで、病原性(病気を起こす能力)が異なる系統(種の下の分類)を用いて解明を進めている。トマトは、矮性で栽培が容易なMicroTomを用いている。MicroTomは、スペースをとらないため、タバココナジラミによるジェミニウイルス科ベゴモウイルス属トマト黄化葉巻ウイルス(トマト黄化葉巻病の原因ウイルス)の媒介実験にも用いている。
Suzuki et al. (1991). Virology
これらの基盤的研究により得られた知見を基に、ウイルス由来の新規な遺伝子発現ベクター系(ウイルスベクター)を構築するほか、 植物から有用な機能を持つ新規遺伝子の同定を試みる。これらの成果を用いて、環境ストレスや病害虫に対する抵抗性のほか、 高収量・高品質等の有用機能を付加した新規有用生物資源の創成につながる新たな戦略を構築する。
さらに、ウイルスが植物から受ける抵抗性反応の一種である、特異的RNAを分解する機構、RNAサイレンシングを利用して、ウイルスベクターに植物の遺伝子の一部を組み込み、特定の遺伝子発現のみ抑制するようなウイルスベクターの開発を進めている。これによって、人間にとって「有害な/不要な」植物遺伝子産物を抑制した「有用な」植物を作製することを目指している。宿主範囲の広いククモウイルスはこの目的に適していると期待している。