屋久島

R2年度 春合宿報告書

・参加者

2年…飯田(PL)、柳田(SL)

1年…関根(気象)、福田(エッセン)、若山(詳細)、西大條(装備)

・日程

R2年2月25日(火)~3月1日(日)

・山域

屋久島(宮之浦岳、永田岳)

・行程

白谷雲水峡から楠川分れへ向けて歩く。次に、世界自然遺産核心部である大株歩道を通って縄文杉まで行き、さらに東にある小高塚山まで行く。そして最終的に、宮之浦岳および永田岳にアタックする。帰りは、元来た道を通り、宮之浦まで帰還する。

・日付ごとの報告

2月25日(若山)

昼ごろに成田空港で集合した。飛行機に乗る手続きは初めてだったので、戸惑ったが良い勉強になった。その後2時間ほどで鹿児島空港へ到着する。バスで乗り継ぎ、新鹿児島駅で降り、郵便局で郵送されたザックを受け取った。ゲストハウスにチェックインして荷物を預け、駅ビルで夕食を済ませた後、買い出しをした。宿に戻ってからは肉の火入れをしたが、コンロがなかったためポットで沸かした熱湯をかけている様子は面白く印象的だった。

2月26日(福田)

2日目は鹿児島本土から屋久島への移動に使った。

朝は06:30に起床し前日泊まったゲストハウスからバスを使ってフェリー乗り場まで移動した。バスICカードに対応しておらず、小銭を用意するのが面倒だった。そろそろバスは全国的にICカードに対応してほしいものだ。フェリー乗り場ではフェリーの乗車券を買ったが、学割を使っても二等料金で3700円もして少し高いと感じた。時間になったらフェリーに乗り込んだ。

フェリーでの移動は4時間とかなり長かったが、半分くらい寝ていたのであまり気にならなかった。船内には自販機や売店、うどんバー(?)、ウミガメ展示などなかなか充実していて、残りの時間も飽きずに過ごせた。そうこうしているうちに今回の目的地である屋久島に到着した。

屋久島に到着したら、余計な荷物をコインロッカーに預け、2日目の最終目的地のオーシャンビューキャンプ場へ移動した。キャンプ場にはなぜかヤギが飼われていたが、そこから見える景色はかなり良かった。夜のエッセンはおいしく、就寝直前に見た空はきれいな星空がであったため、翌日から始まる山行に対するモチベーションが高まった。

写真 オーシャンビューキャンプ場にて(撮影者、西大條)

2月27日(関根)

5時ごろに起床。朝食のハンバーガー(しょっぱかった)を食べ、7時ごろにキャンプ場をでた。バス停までの移動中は投稿時刻とかぶったのか沢山の地元の小中学生とすれちがった。大きなザックを背負った我々の見た目は傍からみればなかなかあれだったため筆者は少しはずかしかった。

その後バスで白谷雲水郷入口まで移動。10時ごろに到着し、そのまま出発した。つり橋を通り始めのころは登山道ではないハイキングコース続いたがなかなか見ごたえのある杉の大木が散見された。辻峠まで来たところで太鼓岩に寄り道。快晴だったこともあり素晴らしい絶景が見ることが出来た。高度感がすごくなかなかスリルだった。その後トロッコ道に合流。トロッコ道を抜け仁王杉通り過ぎしばらく歩くと有名なウイルソン株に到着。本当にきれいなハート型が見え我々は子供のようにはしゃぎながら写真を撮っていた。

順調に思われる中大王杉を過ぎ縄文杉へ向かう途中で筆者がまさかのダウン。(おそらく熱中症)周りに助けてもらいながら何とか念願の縄文杉まで到着。(筆者は写真も取れず寝っ転がっていた)本来は新高塚小屋まで行く予定だったが筆者の状況を鑑み高塚小屋で一泊。夕食の鍋とみんなの優しさが筆者の心に沁みた。8時ごろ就寝。小屋の中は広く快適だった。

←写真ダウンする関根 (撮影者、柳田)

写真→縄文すぎィ (撮影者、若山)


2月28日(柳田)

今日は、宮之浦岳・永田岳へのアタックの日。

高塚小屋で過ごした夜は正直微妙だった。靴下を二重に履いたり、服をモコモコにしたりして、寒さ対策は万全だったのだが。いびきやらなんやらで、なかなか寝付けなかった。まあ、いつものことだ。

朝エッセンは麻婆茄子。小屋泊されている他の方々への騒音を考慮し、小屋の外でエッセンを行った。記憶が正しければ、このとき若山君に水をかけられるというアクシデントがあった。夏の海でもないのに、水をかけられるとは実に皮肉なものだった。昨日は、倒れたあーや(関根)を背負って窒息しそうになったというのに。春合宿では、私のテンションを下げる出来事が多発していた。

出発前は、相変わらず、みんな準備に手間取っていた。もう少し早くできんのかい。5:30すぎに高塚小屋を出発。1時間ほどで新高塚後小屋に到着した。これまた立派な小屋だった。よくこんな場所に建てたなぁと感心させられる。荷物の大半を置かせていただいて、焼野三叉路に向け出発した。道中では霧が発達していたため、時折垣間見える景色を楽しみながら進んだ。また、ところどころに雪や氷が残っていた。

三叉路に着くと、圧巻の景色が広がっていた。標高2,000m付近にもかかわらず、あちらこちらに大きな岩が見られた。実に興味深かった。そんな岩の景色は、屋久島が海底の火山活動により形成されたことを示すものだった。

まず10:00すぎに、宮之浦岳に登頂。山頂は一時的に雲の中だった。非常に風が強く、寒かったが、みな時折雲が晴れたときに見える永田岳の写真を撮りまくっていた。続いて永田岳へ。途中、疲労で倒れたあーや(関根)を交替で介護しつつ、永田岳の三角点を見に行った。見晴らしがよく、地形図上で気になっていた「ネマチ」をはっきりと捉えることができた。天気も一時的に回復し、最高に気持ちよかった。屋久島に来て良かったと思えた。

その後、早々に下山開始。行きではあまり見られなかった景色を楽しみながら新高塚小屋へ。明日以降、天気が悪いこと、あーや(関根)が毎日倒れていることを考慮し、予定を変更して高塚小屋まで行くことに。このとき、PLの飯田と話し合ったが、即決とはならなかった。やはり、こういう話し合いは決着が着きにくいのだろうか。

その後、置いていた荷物を回収し、出発。1時間足らずで高塚小屋へ。今日は2階に拠点を置いた。人が少なかったので広々と使わせていただいた。夜のエッセンは、カレー。非常にうまかった。

写真、宮之浦岳山頂にて、SLの背後を添えて(撮影者、飯田)

2月29日(西大條)

最終日は予報通りの雨であった。やはり昨日のうちに新高塚小屋を飛ばして高塚小屋まで行ったのは英断だったと思う。朝食に塩ラーメンを食べてから出発。雨の屋久島はとても幻想的で、濡れながら歩くのもあまり苦にならなかったが、足元は滑りやすいので慎重に進む。トロッコ道の途中でクソかわいいヤクシカに遭遇、人間慣れしているのかなかなか逃げ出さない。その後も来た道を歩き続けて白谷小屋を通過、ここで初日にスルーした杉を見るために、回り道をして帰ることに。思ったより長いルートで疲れたが、名前のついた立派な杉を見ることができた。その後は元のルートに合流し白谷雲水峡に到着、バスが来るまで時間があったので、各々弥生杉を見に行ったり、休憩したりした。

そうこうしているうちにバスが到着。観光センターまで行き、預けた荷物を回収したところで解散となった。大きなトラブルもなく、天候にも恵まれたとても良い山行だったと思う。

さいごに(飯田)

今回の春合宿のテーマとして屋久島という多雨な地における景色や植生、そしてこの地にしかいない動物を見ながら歩こうということを後輩にも伝えていたがこれが完全に満たされる山行となった。昨年は、我々が新歓やプレを行うとほとんどで天気が恵まれず何回か撤退も経験していたが、今回の山行では最終日は雨が降られたものの、その他の日はひと月に35日雨が降ると言われている屋久島にしては珍しく晴天に恵まれた。そのため宮之浦岳の山頂から水平線や海、遠方の島を一望でき、人生最高の絶景(令和2年6月12日現在)を見ることが出来た。山行を通して屋久島は小さな島に大きな山が存在しているので標高によって気候の違いをひしひしと感じた。というのも宮之浦岳の標高は2000mほどで、その周辺では日差しが強く熱中症になりかけると思いきや、ふもとで雨が降ると気温がすぐに下がり低体温症になる可能性もなくはないといった不思議な環境であったというのが印象に残っている。

個人的にだがかなり多くの物事を見ることが出来、体験できた山行だったので当分はいかなくていいかな…といったのが終わった直後の正直な感想だったが、今この報告書を書きながらこの山行を思い出すとまたあの絶景を拝みたいと思うし、また行きたいという気持ちがふつふつと湧き上がってくる。今回、日付ごとに対応した写真を載せたのでこの報告書を読んで、写真を見て行きたいと思ってくれると嬉しいし、ぜひ行ってみて屋久島の大自然を目に焼き付けてほしいと思う。

←写真、道を塞ぐヤクシカ (撮影者、飯田)

→写真、宮之浦岳山頂にて (撮影者、福田)