オホーツク本線
稚内
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│ 宗谷本線
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南稚内
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│ 天北線
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浜頓別
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│ 興浜北線
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北見枝幸
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│ 興浜線
│ (未開業区間)
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雄武
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│ 興浜南線
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興部
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│ 名寄本線
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中湧別
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│ 湧網線
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網走
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│ 釧網本線
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東釧路
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│ 根室本線
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釧路
自動車の普及や過疎化が原因で興浜南線は不振を続け、貨客量が急減、昭和四五年度には八万四、〇〇〇人、貨物五万七、〇〇〇㌧を運んでいたのだが、同年五六年には八万四、〇〇〇人、二万四〇〇〇㌧とそれぞれ半分以下に落ち込んだのである。同年五六年九月、国鉄赤字ローカル線第一次対象路線に指定された。これによって、第二次廃止対象路線い浮上している路線も含めると、オホーツク海岸から鉄道路線が消えることになり、その防止策として釧路から稚内までの五〇三㌔㍍を結び、直通列車を走らせる「オホーツク本線構想」を打ち出した。同年一一月に関係一九市町村によってオホーツク本線建設期成会を作り、沿線市町村議員も「沿線一四〇㌔㍍の議員が団結することにより大きな力を発揮できる」として、八月一七日「沿線市町村議員連盟」が設立されたのである。
-出典-
興部町百年史
赤字地方選廃止問題を契機として、オホーツク海沿いに細分化されている六線と建設中の部分(興浜線)をつないで、稚内~釧路(五〇〇㌔)を一本化しようという息吹が沿線自治体間で高まった。
昭和56・10 オホーツク縦断鉄道(本線)実現のための期生会発足
このオホーツク縦断鉄道構想は天北線~興浜北線~<見開通区間>~興浜南線~名寄本線~湧網線~釧網本線を結んで道北と道東の感染を形成しようというもので、寸断された在来線昨日を飛躍させようとする意図をもち、メリットとしては次のことが考えられた。
(1)在来の細切れのルートのダイヤを稚内~釧路のストレートダイヤにすることにより、飛躍的に活発な路線になる。
(2)年間一〇万㌧を超える原魚の長距離輸送や、冬場の観光(流氷列車など)の目玉にもなる。
以来、各関係方面に県議陳情を行なっている。
-出典-
湧別町百年史