やりたいことが見つからずに悩む人に対するひとりごと

 近年、一人ひとりの個性や多様性を重視する社会情勢も相まって、一人ひとりが自分のやりたいこと、好きなことに力をかけることが推奨される世の中になってきている印象を持っています。人生は一度限りですし、自分のやりたいことや好きなことに注力できること自体は、とても良いことだと思います。ただ、中にはやりたいことや好きなことが見つからずに、自分の空虚さに悩んでしまう方もいます。「特にやりたいことはない」、「これといって、好きなものはない」と自分から名言する学生さんも、少なくとも私の周囲には少なくありません。

 先に申し上げておくと、好きなものがない方々の多くは、特に、やりたいことがないことで悩んでいません。我々の日常生活は、悩みを忘れさせてくれるほどの娯楽や仕事、家事であふれているからです。もしかしたら陰で悩んでいたのかもしれませんが、彼らの多くは深刻に悩まずに、楽しく日々の学業や就活、趣味に励んでいるように見えます。

 私個人としては、特に好きなことややりたいことがなくても、悩んでいないのであれば、それはそれでOKだと考えています。そもそも悩んでいない方に対して、教育的観点以外で「もっと悩め」と語るのは、一回の大学教員に過ぎない私の身には分不相応なものです。一応、これも人生の教育と解釈できますのでそうした指導を行う先生を否定するわけではありません。しかし悩んでいない方にやりたいことや好きなことを考えさせて悩ませるのは、そうした行動に価値があるとする自分の価値観で他人を判断していることになります。その人が自分と同じ価値観で生きていない可能性あるならば、人生のやりたいことや好きなことといったテーマについて、深く考えなさいと言うべきではないでしょう。それに、私の経験上、自分の心を見つめ続けるのは精神的に随分と酷な時間でした。私は幸いにも自分の力で暫定的な答えを得て回復しましたが、人によっては精神的に辛いと思いますので、こうした経験は強制すべきではないと思います。

 とはいえ、中には同世代の有名人や友人と比較するなどして、何も好きなことややりたいことのない自分に劣等感を持ってしまっている方、どんな生き方をすれば良いのかわからず、大いに悩んでしまっている方が、たまにいます。私もその一人でした。大学生から大学院生にかけて、価値基準や自分の行き方、人生の目標などで悩み苦しむことが多い人間でした。そのため、こうして悩んでいるときに周囲から「まあ、なんとかなるよ」と言われても、全くスッキリしないのも理解しています。そこで、どのようにすれば、こうした悩みの答えを出すことができ、解放される(確率が高い)のかを私の経験に基づいて論じておこうと思います。

 結論から言えば、やりたいことや好きなことを見つけるためには、考えるための時間、思考力、情報が必要です。どれが足りていないのかは、人によってケースバイケースだと思いますが、まずはこの3つのうち、どれが足りていないのかを、簡単に判断してみてください。まず、考える時間がないという場合には、当たり前ですが時間の確保が必要です。具体的には、半日程度で構いません。一度どっしりと考えてみてください。もし半日考えても自分のやりたいことや好きなことの答えが出ない場合には、足りないのは時間ではありません。延々と考え続けても、偏った変な結論しか出ませんので、さっさと次のステップにいきましょう。

 次に、思考力が足りていない場合ですが、これは可能性は大きく分けて2つだと思います。1つは、過労、睡眠不足といった健康面の問題で思考が回っていない場合、もう1つは、論理的に考えて文章を書く練習をまだあまり行っていない場合です。前者であれば、当たり前ですが、健康的な生活を送ってください。後者であれば、論理的な文章を書くためのパラグラフ・ライティングの本や、少なくともクリティカル・シンキングの本のような考え方の本をざっとで良いので読んでください。論理的な文章を書くためには、論理的に考える必要があります。パラグラフ・ライティングやクリティカル・シンキングを学ぶことで、自分で考えるのに十分な思考力を養えるはずです。

 最後に、おそらくこれが最も多くの方に当てはまると思いますが、情報が足りていない場合です。これは、今の自分の知識や経験が偏っており、世の中で知らないことや経験していないことが多い場合を意味します。特に、インターネットでのネットサーフィンや、Youtube、Twitter、インスタグラムといったSNSを使う時間が多い場合に該当する可能性が高いでしょう。というのも、インターネットで取得できる情報には、その人に最適化されるアルゴリズムが組まれていることが多く、いわゆるエコーチェンバー現象が発生しやすいからです。自分の価値観やこれまでに見たものに関するものが多く表示されるので、その分知識が偏ってしまうのです。そのため、情報が足りていない場合には、これまでに自分が読んだことのない領域の知識を収集し、やったことのない体験をするのが望ましいでしょう。例えば、私は高校時代以降では、悩んだときに図書館や書店に行って、全く異なる領域の本を雑多に色々と借りて読んでいました。大量の本の背表紙を眺めるのはそれはそれで楽しいですし、様々な本を読む中で、読みたい本のジャンルや特徴がだんだんと定まってきます。すると、自分の関心のある領域を絞ることができ、好きなものややりたいことが少しずつ定まってきたからです。とりあえず読んでみる、とりあえずやってみる、というのが遠回りのように見えて、実は重要です。

 こうした「時間→思考力→情報」という順番で、自分に足らないものを考えて行動すれば、答えにたどり着けるのではないかと思います。その上で、こうした悩みを解決するときに覚えておくと良いことを3つ示しておきます。1つは、好きなことや、やりたいこと、それから人生の意味について考える場合でも同様ですが、誰が見ても正しい「絶対的な答え」などではなく、「暫定的な答え」を目標にすることです。特に中高生、大学生でも自分で研究を始めていない方々の中には、「好きなことややりたいことは何か」という問に対して自分にとっての唯一絶対の正解がある、と考える方がいます。しかし、こうした問題に100人が100人ともうなずく絶対的な正答は存在しません。万が一、そうした正解が自分にはあると感じている方がいるならば、それはやや危険な香りがします。場合によりますが、何か偏った判断をしている確率が高いと思います。「暫定的な答え」というのは、とりあえずの結論です。「現時点における情報や思考に基づくと、ひとまずこれかなあ」と思える答え、それがここで求める「暫定的な答え」です。これさえ求まれば、後はとりあえずの答えを手に入れるために必要な行動を取るのです。そうすると、新しい知識や経験という情報が得られるようになります。得られた情報と「暫定的な答え」の間に大きな矛盾が発生するようになると、おそらく、また悩みます。そこで、また考えて新しい「暫定的な答え」を導くのです。こうして、悩んだら暫定的な答えを決めてとりあえず行動し、それでも悩むことがあれば暫定的な方向を軌道修正しつつ、行動することを繰り返すのです。この過程で色々な知識や経験を得ることで、自分にとっての正解に近づけるはずです。これがやりたいことや、好きなことを見つけるための一連の流れだと思います。

 2つ目に覚えておくと良いこととしては、「できるだけ体を動かす」ことです。もし机に座って考えるのなら、紙とペンを使って、書きながら考えてください。そして、考えに詰まれば、散歩したり、ジョギングしたり、筋トレしながら考えてください。というのも、体を動かさずに考え続けると、経験上、気分が落ち込むからです。大学時代や大学院時代に心が落ち込んできたとき、私は近くのお気に入りの山を一人で数時間ハイキングしながら考えを巡らせました(仙台では熊が出るのでできませんが)。山の中ではスマホをいじって集中が途切れることはありませんし、数時間歩いていると、頂上に着く頃には考えられることは一通り考えていますので、とりあえずの暫定的な答えを導けるからです。

 最後に覚えておくと良いこととしては、「とりあえずやってみること」が、思いのほか重要だということです。今の世の中では、知識はインターネットを通じて容易に取得できます。しかし、経験は自分でやってみなければ得られませんし、そもそも過去の経験が今の自分を作り上げます。個人的な話を申し上げさせて頂くと、大学教員として仕事をしている私があるのは、国内外で学会発表を行い、論文を執筆し評価して頂ける機会を頂けた大学院時代の自分があるからです。大学院に進学できたのは、大学時代にそこそこ学問に力をかけており、そうした姿を評価してくださった先生がいらっしゃったからです。大学時代に学問に注力したのは、学部1年の頃にビジネスをやりたいと考えてビジネスサークルに入って色々動いたものの、結局何の技術、人脈、知恵もない状態で何かやろうとしても無理があるか危険な目に合うことを悟り、それなら大学時代にしかできない学問に注力しようと考えたからです。大学入学後、いきなりビジネスをやりたいと考えたのは、高校から浪人時代も含めて4年も受験勉強を継続していて少し勉強に飽きたこと、浪人時代に大量に本を読み漁る中でビジネスに興味をもったことが原因です。受験勉強に力をかけたきっかけは、中学時代に仲の良かった卓球部の友人と別々の高校に進学することになったとき、「3年後、東大で会おう」と男の約束をしたからです(ちなみに、結局、我々はふたりとも東大に行きませんでした)。「東大に行こう」などという約束をしたのは、当時『ドラゴン桜』という漫画とドラマが流行っていたからです。あくまで、サンプルサイズ1の主観的な意見に過ぎませんが、過去の自分が今の自分をつくり、今の自分が未来の自分を作ることを、私はこれまでの人生で実感しています。だから、将来の自分が今の自分を見て、「あのときのおかげで今がある」振り返られるように、やりたいことがあるならやってみる、やりたいことが見つからないなら、とりあえず行動してみる」というのが、良い方法だと考えています。

 過酷な道筋なので、すべての方にオススメするようなものではありませんが、経験上、やりたいことや好きなことで悩む経験は、人生における自分の価値観や思想を作り上げる上で重要な転換点になると思います。悩んでしまっている方はそうした自分の性格を割り切って、がんばってみてください。

 以上、てきとうなひとりごとでした。