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和田諏訪神社は、小諸市和田区の中央北端に在る旧村社(※1)で、往古の甲州街道沿いの大きな鎮守の杜は、入口の両部鳥居(※2)をくぐると、清々しい参道がまっすぐ北に延びています。
参道の最奥には、覆屋(※3)を兼ねた妻入切妻造の拝殿があり、その中に文化文政頃の建築とされる一間社流造(※4)の本殿が納められています。本殿には精巧な彫刻が施されており、その見事な意匠は一見の価値があります。
本殿の御祭神は建御名方命(たけみなかたのみこと)で、 信濃国一之宮である諏訪大社からの分霊をお祀りしています。
諏訪大明神は、元来、風と水の守護神、五穀豊穣を祈る農耕の神として信仰されてきました。これらの御神徳は、農耕が中心であった時代の地域社会において不可欠なものであり、人々の生活と文化に深く結びついています。
鎌倉時代以降は、源頼朝をはじめとする武士たちから戦や勝負事における勝利、成功を願う「軍神」(いくさがみ)として厚く信仰されてきました。
戦(いくさ)に赴く武士が戦勝を祈願したように、現代でも「受験」などの人生の大きな勝負事においても、「必ず勝つ」「目標を達成する」ための神としてご利益があるとされ、さらに和田諏訪神社はパワースポットとしてもテレビで紹介されました。
また、神社は地域の古くからの記憶を宿す地域の風土の象徴的存在であり、その他の風土資産と異なり、歴史と伝統性と宗教性を湛えた神社との接触において始めて地域への愛着が育まれることが知られています。(※5)
和田区の子どもたちは、毎日の学校への行き帰りに諏訪神社に触れることで、地域への愛を育んでいるのです。
そして、諏訪神社の長い歴史と、地域の人々によって守られてきた変わらない景観は、子どもたちが成長して故郷を離れた後も、いつでも心の中によみがえる変わらない風景としての存在、心の拠り所となるような「原風景」となります。
和田区において諏訪神社は、単なる宗教施設にとどまらず、子どもたちのアイデンティティを形成する上で欠かせない和田区の「ランドマーク」であり、地域の人々が長年にわたり守り、受け継いできた文化遺産です。
和田諏訪神社は、何世紀にもわたる住民の生活に根ざした歴史ある「鎮守の杜」、その土地に生まれた人々を生涯にわたって守護する神である「産土神」(うぶすながみ)として、未来を担う子どもたちを見守る場所でもあるのです。
(※1)村社(そんしゃ) (※2)両部鳥居(りょうぶとりい) (※3)覆屋(おおいや) (※4)一間社流造(いっけんしゃながれづくり)
(※5)参考文献:鈴木 春菜, 藤井 聡:「地域風土」への移動途上接触が「地域愛着」に及ぼす影響に関する研究(土木計画学研究・論文集 2008年)
(※1)村社(そんしゃ):
明治維新が成ると、『延喜式』(延喜式神名帳)に倣って、伊勢神宮を頂点として神社を等級化した社格制度が、明治4年(1871)太政官布告により制定されました。神社は官社と民社(または諸社)に分けられ、神祇官の管轄である官社は更に官幣(大中小)、国幣、別格官幣社(官幣の小社と同待遇)に分類され、地方官の管轄である民社は府県社と郷社、村社、無格社に分類されました。これは第二次世界大戦後の昭和21年(1946)に廃止されましたが、「旧社格」などの名称で神社の格を表す目安とされています。 村社は『太政官布告』明治四年第三百二十一に「郷社ハ凡戸籍一區ニ一社ヲ定額トス假令ハ二十ヶ 村ニテ千戸許アル一郷ニ社五ヶ所アリ一所各三ヶ村五ヶ村ヲ氏子場トス此五社ノ中式内社カ 或ハ從前ノ社格アルカ又ハ自然信仰ノ歸スル所カ凡テ最首トナルヘキ社ヲ以テ郷社ト定ムヘ シ餘ノ四社ハ郷社ノ附属トシテ是ヲ村社トス」とあります。(※2)両部鳥居(りょうぶとりい) :
両柱の前後に控柱をつけたもので、この控柱を稚児柱または袖 柱ともいい、この控柱と本柱とを二本の控貫で繋いだものです。本地垂迹両部権現説による神仏 混合の神社に多くて建つことからこの名があり、ほかに四脚鳥居・権現鳥居・袖鳥居・枠指鳥居 などともいいます。また笠木の上にさらに屋根をつけるのも特徴で、以前の木造鳥居にはこの雨覆 屋根(あまおおいやね)がついていました。(※3)覆屋(おおいや):
本殿を風雨や損傷から守るために、それらを包み込むように外側に建てられた建造物のことです。「鞘堂」(さやどう)とも呼ばれます。(※4)一間社流造(いっけんしゃながれづくり) :
日本の神社建築において最も普及している「流造」(ながれづくり)の一種であり、建物の規模を示す「一間社」という形式と、屋根の形状を指す「流造」という様式が組み合わさったものです。まず構造的な最大の特徴は、屋根の独特な曲線美にあります。切妻造(本を伏せたような形)を基本としながら、正面側の屋根が背面側よりも長く前方に伸び、そのまま「向拝」(こうはい)と呼ばれる庇(ひさし)が曲線状に反りながら長く延びています。この非対称な屋根が優美な曲線を描いて流れるような姿のため「流造」と呼ばれています。「一間社」という名称は、建物の正面にある柱と柱の間(柱間)が一つであることを指しています。つまり、正面から見ると2本の柱が立っており、その間に一つ扉が設けられている比較的小規模な造りです。この形式は、日本の神社の約7割がこの形式の系統であると言われています。また、この様式は「平入」(ひらいり)と呼ばれる形式をとっており、屋根の棟(頂上の線)と平行な面に正面入り口が配置されています。(※5)参考文献:
鈴木 春菜, 藤井 聡:「地域風土」への移動途上接触が「地域愛着」に及ぼす影響に関する研究(土木計画学研究・論文集 2008年)多変量解析でデータ分析により、地域への感情はその種類によって醸成期間に差があること、さらに地域風土への接触が,長期的には「地域愛着」のような醸成に時間を要する感情にも影響を与える可能性があること,「寺社」との「接触」がその醸成を助長する可能性があること、他の要素(ゲームセンター・パチンコ店、川や池、田畑、森林、ファミレス、鉄道駅、商店街、公民館、大型ショッピングセンター、コンビニ、スーパー、古いまちなみ)は影響しないことを確認したものです。平素は、和田諏訪神社に格別のご崇敬を賜り、心より感謝申し上げます。
当神社は、小諸市和田の地に鎮座し、地域の守り神として皆様の信仰を集めてまいりました。
長い歴史の中で培われた伝統文化と、静謐な境内を守り継ぐことは、私たちにとって大切な使命であります。
しかしながら、皆様もご承知の通り、近年の社会情勢の変化や物価の上昇は、神社の運営にも大きな影響を及ぼしております。施設の老朽化に伴う維持管理、修繕、祭事の運営費用、保険料など、神社を健全に護持していくための費用は年々増加しております。
皆様からお納めいただくお賽銭は、神様への日々の感謝の「お気持ち」であると同時に、この由緒ある神社を未来へ継承していくための大切な財源です。
つきましては、和田諏訪神社の景観と伝統を守り、より良い環境で皆様をお迎えするため、ご参拝の際には、皆様の可能な範囲で構いませんので、より一層の温かいご支援(お賽銭)をお寄せいただけますと幸いです。
皆様一人ひとりの「お気持ち」が、神社の維持管理を支える大きな力となります。
何卒、本趣旨にご理解ご賛同いただき、今後とも和田諏訪神社への変わらぬご崇敬を賜りますよう、心よりお願い申し上げます。
また重ねてのお願いで恐縮ではございますが、近年金融機関における硬貨の取扱手数料が大幅に変更され、特に少額硬貨の入金には、手数料が賽銭額を上回ってしまう状況が発生しており、この手数料の問題が神社の運営に少なからず影響を及ぼしております。
お賽銭は、本来金額の多寡ではなく、神様への感謝と地域の未来を願う「お気持ち」が最も大切であることに変わりはございませんが、皆様の可能な範囲でのお心遣いをいただければ幸いです。
何卒、事情をご賢察いただき、今後とも和田諏訪神社へのご支援ご協力を賜りますよう、重ねてお願い申し上げます。
参 道
拝 殿
本 殿
本殿前面
本殿左脇 海老紅梁
本殿左面 胴羽目彫刻
本殿左面上部
本殿背面 胴羽目彫刻
本殿背面上部
本殿右面 胴羽目彫刻
本殿右面上部