川村隆太郎
2025年6月28日、新音響文化研究会(横浜国立大学大学院・都市イノベーション研究院・中川克志研究室)主催で、横浜国立大学の都市104教室にて、ロンドンと日本を拠点に音に関わる様々な活動をされているニック・ラスコムさんによるフィールド・レコーディングのワークショップが開催された。
教室には、中川先生の学部授業の学生からフィールド・レコーディングに関心がある外部の方々まで、20数名が集まり、また中川ゼミ所属の大学院生である私と瀧川がアシスタントとして同席した。通訳は中川先生が行った。
ワークショップは13時から17時まで行われ、最初の一時間は、ニックさんの自己紹介を含むイントロダクション、次の一時間は横国内でのフィールド・レコーディング、また残りの二時間は録音された音をみんなで聴くことに充てられた。
このレポートではその様子をお届けする。
ニックさんはBBCラジオのDJ・ナヴィゲーター、ロンドンのICAのミュージック・ディレクター、iTunesのチーフ・ミュージック・エディター、コンピレーション・アルバムの制作などをしてきた方で、今は川崎に5年住んでいるそうだ(細かい経歴などについてはニックさんのホームページhttps://www.nickluscombe.com/に譲りたい)。
また、沖縄科学技術大学院大学(OIST)のSonic Labプロジェクト(https://www.oist.jp/sonic-lab)や、MSCTY(https://www.oist.jp/sonic-lab)というプロジェクトにおいてフィールド・レコーディングを用いた様々な活動をしているそうで、音源なども交えながら、そのいくつかが紹介された。
沖縄での録音においては、ハイドロフォンを用いてサンゴから出る音を録ったが、その音は水の中にいると直接的に聞こえたそうだ。
その後、エジソンによるフォノグラフの発明から、最初期のフィールド・レコーディングの例としてのLudwig Koch、ミュージック・コンクレート、Francisco Lópezなど、フィールド・レコーディングに関わる実践や機材の歴史について簡単に語られた。Chris WatsonやHildegard Westerkamp、R. Murray Schafer、Alan Lomax、Jenet Cardiff + George Bures Miller、Annea Lockwoodなど、フィールド・レコーディングに関わる重要なアーティストが紹介された。
次に、映画におけるフィールド・レコーディングの活用について語られた。『地獄の黙示録』はその最初期の例だそうだ。また『スター・ウォーズ』シリーズの「ライトセーバー」の音も、ハム・ノイズや虫の音、回したマイクの音などで作られているそうだ。
最後に、フィールド・レコーディングにおいては風が大敵であることや、会話の音が入るなどといったプライバシーに関わる場合に対して気を付ける必要があるという話がされた。
フィールド・レコーディングは、横国内で録れる音ならなんでもよく、合計10分を目安に録音し、後で聞き返した時に分かるようなファイル名にしつつ、教室に帰ってきた時にそこから選んだものについて、その音を流しながら、なぜその音を録ったのか、なぜその音が好きなのか、といったことについて語ることになった。ニックさんは、一回録ってみて、ダメだったらまたそこに行って録ってみるという試行錯誤のプロセスが重要だと語った。録音は、各自が持参したレコーダーやスマートフォンなどで行なった。
(録音している様子については私自身も録音に熱中していたためほとんど撮れていない。私はハイドロフォンで横国の池の音を録音した。)
教室に帰ってきて、一人づつ、自分が録ってきた音について、それを録った理由などについて語り、みんなでその音を聴いた。
以下は、録音された音の一覧である(適宜本人やニックさんのコメントを補った)。
・マイクの周りを歩く音
・「水が聞く音」というテーマの音(自販機で飲み物を買う音)
・自販機の音(リズムの良さに気付いた)
・夏の音を録りたい(外にある水道の音。録ってみたら、思ったより気持ちいい音ではなかった。最初はうまくいかなかったので、自分の手で水の量を多くしたり少なくしたりして強弱をつけた)
・実験室の実験器具の音
・教室に人が帰ってくる音(一時間外で録音していたが自然の音しかせず、あまり面白くなかった。Nick:何が起きているのか想像ができて面白い。)
・落ち着く横国の音(理工学部の前にいる猫の周りの音、野外音楽堂の音、風の音、虫の音)
・歩いていたら聞こえた、マンホールからの水音
・図書館の横の木のデッキのところで歩いた足音
・西門を出たところのコミュニティハウスの近くのマンホールの水音を録ろうとした時に偶然録れた、自転車が通る音と車が通る音が重なった音
・横国の自然の音(虫の音、葉っぱの揺れる音)(風の音が大きく、録った音があまり聞こえなかった)
・図書館の自動ドアの音(ドアの外と中の音を録った)
・自販機でものを買っている音(自然の音 風、虫を録ろうと思っていたが、それに対する機械の音のギャップが面白かった。Nick:自販機の音は涼しさを感じさせてリラックスする音だと思う。)
・自販機でコカコーラを買い、それを開けた音
・鳩の音(鳴き声が録りたかったが、羽ばたく音が録れた。Nick: Chris Watsonが、「自然の音を録るなら15分は待つ」という15 minutes ruleを提唱している。)
・ポスターが貼ってある掲示板にコンタクトマイクを付けて録った音
・歩きながら落ち葉からコンクリートへ移行する音
・隣の103教室の音(教壇に立ち黒板に何か書いて消す)
・リュックにレコーダーを差して歩きながら録った音(自分が歩いている音というのは、話し声などと同じようにパーソナルなものなのではないかと思った)
・上司の部屋にものを届ける時に鍵を閉めたり電気をつけたりした音
・池の水の中の水生昆虫の鳴き声などの音
録音された音のデータは任意に集められ、ニックさんがミックスした音源を作ることになった。
最後に質疑応答が行われた。
Q:録る音は決めてからその場所に行くのか
A:そのような場合もあるし、その場所にある音を録るのもいい
Q:今後録りたい音はあるか
A:帯広のJaxaのロケットの音、ロケットが飛んだ後の静寂
Q:フィールド・レコーディングで難しいこと
A:風、テクノロジーの扱い
Q:自然の中で録音する時に苦労したことはあるか
A:北海道で大きな蜂に出会した
Q:日本と海外での虫やカエルの音の違いはあるか
A:日本ではすべての音が強い(うるさい)
同じ横国という場所での録音でも、また同じ対象を録音したものであっても(自販機の音を録音する人がこれほどいたのはなぜなのだろう)、録音者によってそれぞれ違う感性、違うパースペクティヴが反映されていて、多種多様な、どれもユニークな音が集まった。
これら全ての音が、横国内でのある一時間の間に発生し、ほとんどの場合録音者によって聞かれたものであるということは、当たり前であると同時に、驚くべきことでもある。集団的・同時多発的にフィールド・レコーディングを行うことによって私たちは、通常は諸々の有限性によって聞き得なかった音を聞くことができる。いわば、擬似的に耳を拡張・補聴することができる(無論全ての録音が本質的にはそうであるが)。そう思うと逆に、私たちが普段聞いている(聞くことのできる)音の少なさや、音の儚さというものも感じられてくる。
この点で、リュックにレコーダーを差して歩きながら音を録った方が語っていた、「自分が歩いている音というのは、話し声などと同じようにパーソナルなものなのではないか」という洞察は興味深い。私たちは他の人に聞こえている音をほとんど(もちろん究極的には全く、であるが)聞くことができないが、同じように他人は私に聞こえている音をほとんど聞くことができない(無論、逆に音はどうしようもなくインパーソナルで制御を超えているものでもあり、そこに例えば騒音問題の難しさもあるだろう)。
しかし、だからといって、私たちは普段自分に聞こえている、自分にしか聞こえていない音を、あるいはその音が自分にしか聞こえていないものであるという事実を、意識しているかと言われればそうでもないだろう。だがその音はそもそも「聞こえない」ものなのかもしれない。というのも、その音を聴こうと意識すれば、自ずと行動や知覚の仕方も変わり、「その音」ではなくなってしまうからだ。
例えば、フィールド・レコーディングをする時でも、自他の録ってきたものを聴くときでも、私たちはしばしば体の動きを止め、じっと耳を傾けたりする。それはある意味では非-日常的で「不自然」な行為なのかもしれない。しかしそこにある、坐禅などにも似た、休止と緊張の相まった穏やかさや、(録音された/録音する)他者へ思いを馳せること、またそこから生まれるある種の親密性といったところに、フィールド・レコーディングの魅力の一つがあるのかもしれない。そのようなことを思わされたワークショップであった。