【発端】
同窓生の集まりで歌われるのが「第一校歌」ですが、団塊世代の卒業生は「第二校歌」を歌わされた印象が記憶に残っています。
いつ、誰が、何のために「第二校歌」を作ろうと試みたのだろうか!?
謎解きをすることがありませんでした。
創立150周年記念事業として位置づけられるであろう「歴史資料室」の整備委員会を応援する組織「チーム四郎丸歴史探偵団」として取り組むことは意義あることのように思われます。
団塊世代の昭和35(1960)年3月卒業のアルバムには、「第二校歌」のみが掲載されています。校長先生は沖 孝慈先生です。
6クラス=担任の先生の中には「音楽担当:佐藤正文先生」がおられました。
もし、ご存命であれば「楽譜」が存在するかもしれないと…思われます。
そのような振り返りの中で、
「第一校歌」は、昨年:長岡新聞=令和3(2021)年10月23日号に連載「長岡を代表する歌人 遠山夕雲(運平)(山本五十六と同級生)」として取り上げられ四郎丸小学校の「第一校歌」が明治42(1909)年に遠山夕雲(運平)が最初に作詞したことが記事になっています。(別紙参照)
歴史ある四郎丸小学校に、なぜ「第二校歌」があるのかを歴史探偵することも面白いとのことが発端となりました。