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解説:江戸時代初期、…田んぼに引く水は、栖吉川などの自然の川の水だけがたよりで、農民は毎年水不足で悩んでいました。その様子を見ていた福島村(現在の長岡市福島町)の庄屋桑原(くわばら)久右衛門(きゅうえもん)は、信濃川から水を引くための設計図を作り、長岡藩に願い出ました。
用水路をつくることで土地がつぶれることを恐れた人たちや工事の大変さなどからの反対者もあるなかで、工事を始めて3年後の慶安4年(1651)、莫大な労力・資材を投じ、六日市村妙見地先(現長岡市妙見町)に、取水口を設け、約20kmの長い水路が完成しました。この効果は極めて大きかったので関係農民は桑原氏の功をたたえ、久右衛門の出生地である福島村の名を冠して「福島江」と名付けたと言われています。
出典:新潟県長岡地域振興局農振振興部発行「長岡地域における新田開発のあゆみ 用水編」