「櫻井和上法語
如来は自ら証明する」
如来は自ら証明する
「仏とか浄土とかいうものがあるというが、べつに浄土から手紙が来たわけではなしあるやらないやらわかったものではない」という人があるが、それは間違いで、我々の口からナムアミダブツとお念仏が出てくださるのが、手紙よりももっと確かなおたよりです。阿弥陀如来が自らその実在を証明していてくださるのがお念仏の申されつつある姿で、それを親鸞聖人は 「念仏すなわち南無阿弥陀仏なり」といわれたんですよナム……(つぶやきねんぶつ)
(真仏教116 号)
五色の水晶玉
「五色の色紙の上に、水晶の玉を置いてみると、赤い紙の上に置けば赤く見え、青い紙の上に置けば青く見えるが、手に取ってみれば玉は色に染まっていない。客が来た時は念仏も遠慮がちになるが、客が帰れば声をあげてお念仏。今日は会社の宴会というような席では、は歌の一つも歌って手を打つ姿は、これが念仏の行者かいなァと見えるけれど、宴席が終わって帰りの道すがら、月を仰いで念仏する姿は色の着かないスキスキの水晶玉じゃ」と、これは七里和上さまのお例えです。ナムナム(つぶやきネンブツ)ありがたいなァ
(真仏教115 号)