「櫻井和上法語
迷いと悟り」
迷いと悟り
迷いと悟りとは一つであるといわれてもなかなか分かりにくいので浄土教のお祖師さまがたは迷いと悟りを分けて、迷いの世界から悟りの世界へ乗り換えるためにこの世へ生まれたのだと教えてくださいました。ちょうど地球の軌道と月の軌道と重なっているところで乗り換えると月へ行けるのと同じである。といえば現代の人ならよくわかる。しかも、また帰ってくるのがおもしろいわけです。還相回向というおたとえ話になります。ナムナムナム……(こごえねんぶつ)
(真仏教117 号)
如来は自ら証明する
「仏とか浄土とかいうものがあるというが、べつに浄土から手紙が来たわけではなしあるやらないやらわかったものではない」という人があるが、それは間違いで、我々の口からナムアミダブツとお念仏が出てくださるのが、手紙よりももっと確かなおたよりです。阿弥陀如来が自らその実在を証明していてくださるのがお念仏の申されつつある姿で、それを親鸞聖人は 「念仏すなわち南無阿弥陀仏なり」といわれたんですよナム……(つぶやきねんぶつ)
(真仏教116 号)