2006年4月~2010年5月の指導(抜粋)
「永遠の創価学会建設期 (2006-2010)」の指導の中から、まだ書籍として出版されていない指導を取り上げ紹介しています。
SGI会長の指導は聖教新聞(日刊)から抜粋・引用しています。日付は、指導が行われた日付です。
2006.04.20 一つの裏切りを水に流せば、必ずまた別の裏切りが起こる。これが歴史の教訓である。
2006.04.20 破和合僧は、重大な罪である。絶対に許してはならない
2006.05.25 こうした悪人に、断じてだまされてはいけない。鋭く見破ることだ
2006.06.04 忘恩は傲慢から生まれる
2006.06.27 ただちに人間としての堕落が始まる
2006.06.27 名声、学歴、権力、地位を持った人間は、忘恩の心に陥りやすい
2006.06.27 外の敵ではない。内部から仏法は破壊されるとの御金言である。仲間うちから、反逆の輩が現れる。これが方程式である。同志を裏切る卑劣な行いは、永久に許してはならない
2006.06.27 忘恩の人間は、例外なく苦悩の底に沈んでいく。その末路は悲惨である
2006.06.27 二乗の心とは、利他を忘れて、自らの利に執着する心である。それでは恩に報いることができない。ゆえに、十悪や五逆罪を犯すよりも、成仏の道を閉ざすことになるのである
2006.08.17 戸田先生は、仕事や生活上のことも、よく指導された。「職業をよくよく大事にして、あらゆる思索を重ねて、成功するよう努力すべきである」「自分の勤めに、楽しみと研究とを持ち、自分の持ち場をがっちりと守る覚悟の生活が大事である」
2006.08.19 「信心即生活」である。現実に勝つための仏法だ。真剣に祈り、努力する。最高の智慧を発揮して、仕事で実証を示していく。そうであってこそ、仏法の偉大さも証明される。
2006.08.21 努力や才能だけで、成功できるとは限らない。ましてや幸福になれる保証など、どこにもない。自身の宿命を転換し、福運をつけていく。努力を全部、生かして、永遠に幸福になっていく ── そのためには信心が絶対に必要なのだ。
2006.08.24 トインビー博士は、こう記している。「創造的な人間が、ある事業を成就したのちにおちいりがちな受動的な錯誤は、昔大いに努力したから、『その後はずっとしあわせに暮す』資格があると夢想して、愚者の楽園で『漕ぐ手を休める』ことである」(桑原武夫・樋口謹一・橋本峰雄・多田道太郎訳『図説 歴史の研究 Ⅰ』)
2006.08 24 ロマン・ロランは、「水滴の執拗さがついには岩をも侵食するのです」と、友に書き送っている。勝利するといっても、地道な、たゆみない努力の連続である。
2006.09.07 私は(トインビー)博士に聞いた。「今、博士が最もなさりたいことは何でしょうか」 博士は力強く答えた。「私とあなたが、今、この部屋でしていることを続けることです。私たちの対話が意味するものは、人類全体を一つの家族として結束させる尊い努力です」と。
2006.09.22 人は、気づかぬうちに堕落していく。ゆえに、あえて自己に厳しく、謙虚に心を鍛えていく努力が必要である。
2006.11.18 戦時中、軍部権力によって学会は弾圧を受け、多くの最高幹部が投獄された。牧口先生は、最後まで信念を貫かれて獄死。戸田先生は2年間の獄中闘争を戦い抜かれた。だが、牧口先生、戸田先生以外は、次々と退転してしまった。...大切なのは〝奥底の一念〟である。心の奥の奥で何を考えているかだ。本当に師匠のため、学会のために戦おうと決めているのか。表面だけ繕って、結局は自分のことだけを考えているのか。 その差は、あまりにも大きい
2006.11.18 戸田先生は“こいつは師匠を裏切った! 学会を裏切った!”と言われ、絶対に許そうとはしなかった。それはそれは、すさまじい怒りだった。時には『そこまでしなくても』というほどまで、徹底してその裏切りを責め抜かれた。これが本当の慈悲なのだ──先生は、そう語っておられた。また戦後も、最高幹部でありながら信心を忘れ、ついには反逆した人間が出た。“こんな輩を放っておいたら、学会は大変なことになる!”──戸田先生は、そう叫ばれて、断固として糾弾された
2006.11.18 その後、第1次宗門事件の時にも、嫉妬に狂い、大恩ある同志を裏切って学会に弓を引く人間が現れた。卑劣なデマを垂れ流し、尊き学会の師弟の絆を分断しようと画策した悪人がいた。その罪は重大である。残念ながら、こうした悪を見て見ぬふりをして、傍観を決め込む幹部もいた
2006.11.22 傲慢から転落が始まる。かつて大恩ある学会に反逆した人間の多くも、『自分が一番偉い』と傲り高ぶっていた
2006.11.22 「人生とは、完成に達するための努力の中にある」 ―― これは、文豪トルストイの言葉である(『トルストイ最後の日記』)。
2006.11.22 努力しない人、忍耐強く苦難を突破したことがない人 ―― そういう人は信用できない。 また、役職をもつと自分が苦労することを避けて、うまく人を操ってやらせようとする人間もいる。自他ともに、厳しく戒めていってほしい。
2006.11.22 日記に、私はこう記した。「不純と、狡猾なる現実社会に、当たって砕ける勇敢さで、努力することだ。されば必ず、一歩道が開かれる。悔いは浄化される」現実は厳しい。また冷酷で醜い側面も持っているだろう。しかし、環境や境遇をいくら嘆いても、何も変わらない。負けるわけにはいかない。 勇敢な努力で、真正面からぶつかっていくことだ。そうすれば、必ず道は開ける。悔いのない人生が生きられる。
2006.12.07 荀子は、思想が乱れきった社会の中で、人間の「努力」を重視した。そして、だれもがたゆみない努力によって、いくらでも自分を高めていくことができると訴えた。
2006.12.22 万事、つくべき人を間違えてはいけない
2006.12.22 仏法は現実である。観念論ではない。...広布の師弟の道を踏み外して、仏法を破る者は、無間地獄に堕ちる。この峻厳な法則を今、後世のために語り残しておきたい
2006.12.24 破和合僧は、貪嫉の心から起こる
2006.12.24 貪りの心、名聞を求める心、嫉妬心のゆえに和合僧を破壊する
2007.01.24 日蓮大聖人の御書を拝読する際、特に会合など、皆の前で拝読する場合は、「自分の心に読む」ように、真剣に心がけることである。皆の代表として、声を出して読むのは、自分自身の声を通して、「聞く人の心に読ませる」ということだ。ゆえに、相手の心に響かせるためには、まず、読む人自身が、「自分の心で読む」ことが重要なのである。その努力が、「色読」「身読」にもつながっていく。
2007.01.30 愚かな『慢心』は、師匠の恩を忘れ去った『忘恩』の裏返しである
2007.01.30 『慢』は、自身の生命を破るだけでなく、他者の生命をも破壊する
2007.01.30 慢心に囚われれば、成長は止まる。いな『進まざるは退転』であり、堕落が始まる
2007.01.30 さらに慢心は、同志や後輩を苦しめ、その前進を妨げる
2007.01.30 ついには和合僧を破壊する
2007.01.30 いかなる迫害や弾圧があっても、『心』が屈しなけれぼ、破れることはない。しかし、悪知識は『心』そのものを破る
2007.01.30 『心』が破壊されれば、もはや仏法の命脈は断絶してしまう
2007.01.30 この『心』の世界を破る仏法破壊の魔性の生命が「増上慢」である。だからこそ、仏法者は、増上慢と戦わなければならない
2007.03.07 これだけの人が社会のため、人々のために真剣に行動している。本当に素晴らしく、尊いことだ。荘厳なことである。創価学会は、皆様方の正しき信心、大いなる勇気、そして誠実と努力によって、この時代に大勝利の歴史を刻むことができた。
2007.06.14 日蓮大聖人の御在世にあって、退転し反逆していった者の本質は、虚栄であり、増上慢であり、欲張りであり、臆病であった
2007.06.14 "慢心、虚栄、自分勝手、名聞名利といったエゴや破壊の生命は、時として、『恩知らず』の形となって表れる"
2007.08.24 (文豪・山本周五郎)「こんな石垣はどこにでもある、と君は思うだろう」「だが、名利をもとめない縁の下の力持ちたちの努力によってこの世の中が維持されていることが、むしろ多いのだ、わたしは石垣をみるのが好きだ」(木村久邇典著『人間 山本周五郎』)
2007.08.26 青年の舞台は世界だ。努力と誠実、そして忍耐こそが、飛躍への力である。
2007.09.06 責任ある立場になっても、地に足をつけて、気取らない。威張らない。ありのままに──。この姿勢を、伝統として永く伝えていく努力が、民主主義には必要であると私は思う。
2007.09.06 『恩知らずから、魔が動く。恩知らずから、堕落は始まる。恩知らずから、畜生になる』
2007.10.18 『中庸』には、明快に論じられております。「誠とは天の働きとしての窮極の道である。その誠を地上に実現しようとつとめるのが、人としてなすべき道である。誠が身についた人は、努力をしなくともおのずから的中し、思慮をめぐらさなくともおのずから達成し、自由にのびのびとしていてそれでぴったりと道にかなっている」(金谷治訳注『大学・中庸』)
2007.10.30 どんな相手であれ、丁寧に、誠実に対応してきた。時間通りに来られた方を待たせたり、別れ際、先方がお辞儀をしているのに、こちらが早々に立ち去ったり、そんな態度は論外である。そういう基本をわきまえず、ただ威張っているだけの人間は、必ず失敗する。 私はこれまで、たくさんの人に会ってきた。今も、そうである。誠実に相手を迎え、見送る。その模範を率先して示していくように、努力している。これも、すべて戸田先生から学んだことだ。
2007.11.08 皆様方の「勇気」と「努力」と「忍耐」、そして、「信念」と「正義感」によって、つまり、妙法の偉大なる「信心」によって、創価学会は大発展した。
2007.11.10 何の苦労も、努力もなしに、幸福になれるはずがない。戦いがあるから、強くなれる。強いことが幸福なのである。
2007.11.28 『外から学会を破壊しようとする輩とは、言論の剣で戦わねばならない。しかし、一番怖いのは内部の増上慢だ。こうした人間とは断固、戦わねばならない』
2007.12.06 我らは、悪い人間とは断じて戦うのだ。なかでも、学会を内部から破壊しようとする『破和合僧』の人間を許してはならない。こうした悪人を放置しておいたら、大変なことになる。どんな幹部だろうが、社会的地位があろうが、悪い人間は許さない
2007.12.11 人間、だれが一番、偉いのか。法のため、人のため、一生懸命に折伏をし、友の激励に歩く、その人が偉いのである
2007.12.11 無名で、華やかな脚光を浴びることはなくとも、真面目に広宣流布のために働く庶民──。学会は、永遠にその人の味方である
2008.01.29 「努力を怠る」「油断する」「横柄になる」「対応が遅い」「横着」「いいかげん」──これらは、すべて「慢」の生命だ。すぐに動かない幹部ではいけない。真剣と誠実、スピードを忘れるなと申し上げたい。
2008.02.22 だれが矢面に立って同志を守り、あらゆる迫害を受けているのか──その正義の人を、守らねばならない
2008.02.22 恩知らずは、最後は必ず、厳しき敗北の末路となることは、絶対にまちがいない
2008.02.27 油断すれば、魔になめられ、魔が入ってくる
2008.03.26 仏教というものは、内輪から壊されていくものだ
2008.03.26 信心をたぶらかす悪人は、さも味方のようなふりをして、近寄ってくる
2008.06.07 ただし、仇討ちといっても、個人的な仕返しのようなものではない。血を流す復讐でもない。それは、戦時中、正義の師匠を迫害し、獄死させ、多くの人々を不幸のどん底に落としていった権力の魔性と戦うことであった。そしてまた、虐げられてきた民衆を目覚めさせ、民衆に力を与え、手と手を結び合って、真実の平和と幸福の社会を築いていくことであった。すべては、我らの広宣流布の運動に含まれているのである
2008.06.18 さらに先生は、こうも言われた。『私が気を許したら、悪い人間が、学会の中に入ってきてしまう。悪い人間を、絶対に学会に近づけるな』と。悪い人間に気を許すな。近づけるな──それが先生の遺言であった
2008.06.24 (戸田先生)『恩知らずが、組織の中にのさばると、妙法の功徳は、毒に汚される。功徳が消えるだけでなくして、魔物が動き始める』『裏切り者、不知恩の者と戦うのが、仏法の慈悲だ』『恩を受けながら、感謝のない人間に福運はない』
2008.07.16 弟子のふり、同志のふりをする敵に、惑わされてはならない
2008.11.11 広宣流布に戦えば、三障四魔が競い起こる 迫害は必然なのである
2008.11.11 『御書は、末法の御本仏の経典である。一語一行、一語一語をば絶対なりと南無しながらの拝読でなければならない。 いささかたりとも、我見でわかったように錯覚してはならない』
2008.11.26 私はあえて、真実の歴史を語り残しておきたい。これからの学会のため、広宣流布のため、誤りなく正義の道を進みゆくために、本当のことを語っておきたいのである
2008.11.26 心卑しき人間は、偉大なものに嫉妬する。謀略の輩は、虚栄に溺れ、私利私欲から野合して、師弟の道を壊そうとした。臆病者は保身に走った
2008.11.26 人ではない。自分が『真の弟子』の自覚に立つのだ。深き信心を奮い起こし、『仏眼』『法眼』をもって正邪を見抜くのだ
2008.12.22 増上慢の人間が仏法を破壊するのである
2009.01.08 たとえ偉そうな格好をしても、悪の本性は醜い。陰湿で、欲深く、利他の行動もない。だまされてはいけない。悪を悪と見極めなければならない
2009.01.08 "一人の悪人が野放しにされれば、千人の善人が損をする。悪は叩き出すのだ。断固として打ち破るのだ。師弟という原点に立ち、皆が団結してこそ、広布破壊の悪を根絶することができる。不惜身命の信心で進むのだ。正邪の決着は、必ず厳然たる現証となって現れる"
2009.01.27 そうした悪人に誑かされてはならない。本質をはっきり見抜かなければならない
2009.01.27 こうした提婆達多のごとき嫉妬の輩、忘恩の輩、畜生の輩が出たならば、絶対にだまされてはいけない。臆病になって、付き従ってはならない。皆、賢明にならなければならない。鋭き信心の眼で、魔を魔と見破り、断固と責め抜いていくのだ。将来のために、強く申し上げておきたい
2009.01.27 「困難を克服する努力あってはじめて人は何事かに秀でる。苦労せずに成功するようになると、以前よりも真面目さが減ってきて、完成に向かう歩みが止まってしまう」(中川誠訳『ハズリット箴言集──人さまざま』)苦労なくして成長はない。苦労をも喜びとする皆様であっていただきたい。
2009.03.04 悪の末路は厳しい。悪を見て見ぬふりをして、戦わない人間は永遠に悔いを残す。悪に誑かされ、慈悲も師弟の精神もなくなれば、もはや仏法の世界ではない。二度とそうなってはならない
2009.03.16 偉大な事業は、執念の挑戦、そして努力によって成し遂げられることを、見逃してはならない。...思うようにいかない時も、へこたれない。あきらめない。朗らかに前へ進み続けた人生が、最後は必ず勝つ。まさしく不屈の「負けじ魂」こそ、真の生命の宝であり、底力であります。
2009.04.14 仏法は、いかなる宿命をも転換できる、幸福の大法である。生命を根底から変革する力がある。民衆のための仏法である。ゆえに、人々を意のままに操り、欲望を恣にしようとする『権力の魔性』からは、激しい反発を受ける。正義の人が立てば、それを妬む邪悪な人間が出る
2009.04.14 "広布を破壊する、提婆のごとき増上慢の人間とは、断じて永遠に戦い抜くのだ。イギリスの哲学者、J・S・ミルは『だれが責任をとるのかを、だれも知らないときには、責任は存在しない』 万事において、責任を明確にして前進していくことだ"
2009.04.14 "誰かがやるだろう。何とかなるだろう―そんな無責任で、臆病な人間になってはならない。民衆がいじめられ、正義が踏みにじられているのに、何も言わない。叫ばない― そんな卑怯な人間に、絶対になってはならない"
2009.04.14 幹部は、しっかりと勉強し、広布の最前線で戦って、同志と心を結んでいくのだ。そうした努力を真剣に重ねたうえで、あとは、"真実の自分の心を友に語っていこう"と思っていけばいいのである。気取らず、真心と勇気をもって ! 皆を包み込む、慈愛と温かさをもって ! ある時は情熱的に。ある時は心静かに。聞く人の胸に、すーっと染み入るように。ともあれ、学会ほど話をする機会が多いところもないだろう。ただからこそ、絶えず自らを磨き、高めて、「きょうは清々しい話を聞けたな」といわれるような聡明な指導をお願いしたい。そこに学会が一段と発展しゆくかどうかの鍵があるからだ。
2009.04.14 広宣流布の労苦―特に陰の努力と功績にこそ、不滅の福徳が光る。
2009.04.22 努力と苦労を重ねて築き上げた歴史、勝利した歴史、逆境を乗り越えた歴史のみが、消えることのない「金」の輝きを放つものであります。
2009.06.04 不確かな現実に一喜一憂したり、翻弄されるのは愚かである。 い 「何があっても私は(広宣流布に生き抜く」と決め切って、平然と、悠然と、使命の青春を走り抜いていくごとだ。幸福の花は、忍耐と努力の根がありてこそ、美しく咲くことを、決して忘れてはならない。
2009.06.04 人知れず、努力を重ね、妙法の大地に深く根を張ってこそ、自分にしかない使命の花を咲かすことができる。そしてその花は、世界に、未来に、限りなく希望の種を広げていくのである。
2009.06.16 人生において、「信仰」と「努力」こそ無敵の力である。勝利の道は、これ以外にない。学会は、正しい道を進んでいる。
2009.11.27 恩師・戸田城聖先生が、私たちに、よく指導された言葉がある。「人生の正しい、勝利の軌道は一体、何か。それは、まず『勇気』である。次に『努力』だ。それから『勝利』である」 これを、いつも青年たちに言われた。私の頭から離れない。勇気があったから今の創価学会があるのだ。信心の根本は、勇気である。
2009.11.27 不二の決意で立ち上がる、真の弟子がいるかどうか。それが未来永遠の栄光を決する。青年ならば、いかなる壁をも打ち破る大勇気を持つべきだ。一人立つ勇気を持つのだ。勇気と努力で、新たな勝利の突破口を開くのだ。誰かではなく自分が、誉れの弟子として生きて生き抜いていただきたい。
2010.01.26 これからも、大仏法を弘めれば 必ず難が競うだろう
2010.02.06 広宣流布のための努力は、すべて大功徳に変っていく。大切なのは、人の見ていないところで、仏法のため、師匠のために、どれだけ尽くせるかである。