第23回東南アジア編 Southeast Asia
田中俊輔
2022.10.10(月・祝)20:00~
田中俊輔
2022.10.10(月・祝)20:00~
講師:田中俊輔さん
筑波大学大学院修了後、高校理科教員として勤務。学生時代より英会話の武者修行、生物探索、ダイビング、遺跡巡り、異国の音楽の探求を目的として主に東南アジアを多く訪問した経験あり。
東南アジアで出逢った音楽を中心にその国の歴史や文化、特徴と日本との関係などについてお話できればと考えています。
はじめに:
本日の「東南アジア編」は、東南アジアの魅力にひかれ、何度も訪れているという田中俊輔さんによる、「東南アジアの音楽と文化」~バリ島のダンス”ケチャ”の題材「ラーマーヤナ」、ヒンズー教の神々についてのお話です。
私は20年程前に、バリ島から日本に出稼ぎにきていた若者にバリ島のポップスを教わったのですが、残念ながらすっかり忘れてしまいました。でもバリ人の名前のつけ方が独特で面白く、そちらは記憶しています。
『第一子』→wayan(ワヤン) putu(プトゥ) gede(グデ) iluh(イロ)
『第二子』→kadek(カデッ) made(マデ) nengah(ヌンガァ)
『第三子』→komang(コマン) nyoman (ニョマン)koming(コミン)
『第四子』→kutut(クトゥッ)
第五子からは第一子の名前に戻ります。彼はコミン君だったので第3子か第7子だったのですね。
インドネシア語での挨拶には selamat(スラマッ(ト))で始まるものが多い。selamat の意味は「平和な」。その語源はアラビア語のسلام salām (サラーム、意味は「平安」)である。後ろに pagi(パギ、意味は「朝」)をつけると、 Selamat pagi (スラマッパギ「平和な朝を→おはよう」)となる。同様に selamat を使った挨拶には以下のようなものがある。
selamat + pagi (朝) → Selamat pagiスラマッパギ 「おはようございます」
selamat + siang (昼) → Selamat siangスラマッスィアン 「こんにちは」
selamat + sore (夕方) → Selamat soreスラマッソレ 「こんにちは(夕方)」
selamat + malam (夜) → Selamat malamスラマッマラン 「こんばんは」
selamat + datang (来る) → Selamat datangスラマッダタン 「ようこそ」
selamat + tinggal (暮らす) → Selamat tinggalスラマッティンガル 「いってきます、さようなら(出かける人が留まる人に対して使う)」
selamat + jalan (道)→ Selamat jalanスラマッヂャラン 「いってらっしゃい、さようなら(留まる人が、出かける人に対して使う)」
selamat + tidur (眠る) → Selamat tidurスラマッティドゥル 「おやすみ」
お互いに別れるとき「さようなら」と言いたければ、例えば "Sampai bertemu lagi" 「また(lagi)会う(bertemu)まで(sampai)」などと言えばよい。
インドネシアのひとはカラオケが大好き。日本の歌を日本語のまま歌っています。
バリ島
👉「世界音楽の旅」第1回「インドネシア」
講師のインドネシア人と仲間数人が集まり、ライブ配信をしました。そのとき、バリ島のケチャを真似た「お茶ケチャ」というのをみんなで実演しました。これは実際に教育現場でも使われているものです。ひとりが、「ちゃ、ちゃ、ちゃ、ちゃ、」とリズムを刻み、他のひとがそれぞれ別のリズムで、「緑茶、紅茶、ウーロン茶」などと、口ずさみます。セリフはいろんなパターンがあるようです。リーダーが太鼓の音で強弱やテンポをきめていき、その流れに全員が呼吸を合わせます。「お茶ケチャ」を実際にやってみると、メロディがなくてもリズムと声だけで集団が一体感を生み出すということが分かり、そこに合唱の原点を感じることができました。
http://wp.tufs.ac.jp/tufscinema/2019/12/06/200110-2/
ラーヴァナ または ラーワナ(梵: रावण, Rāvaṇa)は、インド神話におけるラークシャサ(羅刹)の王である。羅刹とは鬼神の総称
ラーヴァナはかつて傲慢さゆえにランカー島を追われたラークシャサ族の再興を期して、千年のあいだ苦行に励いだ。それは10ある頭を1つずつ切り落として火にくべるという荒行で、最後の1つを切ろうとしたとき、ブラフマー神に認められ、「神仏に負けない」という絶大な特権を得た。またシヴァの住むカイラス山を揺らして罰せられたラーヴァナは、シヴァに許された際チャンドラハース(月の刃)という剣を貰う。
神々に対しても戦いを挑み、息子メーガナーダはインドラ神に勝利する。これらの戦いによってラーヴァナは、多くの王や聖仙、半神たちから人妻や娘を奪ってランカーに連れ去った。
こうした行為によって、神々はヴィシュヌ神に助けを仰ぎ、ヴィシュヌ神はアヨーディヤーの王子ラーマとして転生し、ラーヴァナを討つことを約束したという。後にラーマによって同族が殺されたことに怒り、ダンダカの森でラーマの妃シーターを奪うが、これをきっかけに猿軍を率いるラーマとのあいだに大戦争が勃発する。
SWiT/軽音楽倶楽部、などで、国際交流の様子
東南アジアの神々は思春期の男子の気持ちをひきつけるものがある。
インドネシアで「移植手術」が比較的抵抗ないのは、象の首を付け替えられたガネーシャと関係しているのかも?!
ガネーシャ(गणेश, gaṇeśa)
群衆(ガナ)の主(イーシャ)」を意味する。富の神様 事業開始と商業の神・学問の神。
パールヴァティーが身体を洗って、その身体の汚れを集めて人形を作り命を吹き込んで自分の子供を生んだ。パールヴァティーの命令で、ガネーシャが浴室の見張りをしている際に、シヴァが帰還した。ガネーシャはそれを父、あるいは偉大な神シヴァとは知らず、入室を拒んだ。シヴァは激怒し、ガネーシャの首を切り落として遠くへ投げ捨てることになる。
パールヴァティーに会い、それが自分の子供だと知ったシヴァは、投げ捨てたガネーシャの頭を探しに西に向かって旅に出かけるが、見つけることができなかった。そこで旅の最初に出会った象の首を切り落として持ち帰り、ガネーシャの頭として取り付け復活させた。これが、ガネーシャが象の頭を持っている言われとされる。
パールヴァティーとシヴァが夫婦でヴィシュヌに祈りを捧げてガネーシャを得、他の神々がそれを祝いに来たが、その内の一人・シャニは見た物を破壊する呪いをかけられていた為、常に下を向いていた。しかしパールヴァティーは彼に遠慮せずに息子を見るよう勧め、その結果ガネーシャの頭は破壊された。ヴィシュヌは悲しむパールヴァティーの為にガルダに乗って飛び立ち、川で寝ている象を見つけてその首をガネーシャの頭として取り付けた。
片方の牙が折れている理由には複数の神話があるが、もっとも有名なものは以下のものである。
「マハーバーラタ」の著者とされるヴィヤーサは文字を書くことが出来なかった。このため、ブラフマーがガネーシャをヴィヤーサのもとに遣わしマハーバーラタを口述筆記をさせた。このとき、ガネーシャは自ら右の牙を折り、その牙で執筆したとされる。
ヴィシュヌの化身の1人であるパラシュラーマが、シヴァから与えられた斧で攻撃し、それを回避しては不敬であたるので、敢えて一本の牙で受け止めたために折れた。籠で運ばれているときに振り落とされて頭から落ちて折れてしまった。夜道で転倒した際にお腹の中の菓子(モーダカ)が飛び出て転げたのを月に嘲笑されたために、自らの牙を一本折ってそれを月に投げつけた。
ここからスタッフ調べのページです
👉インドネシア音楽について 「音楽通論」(教育芸術者)/「新音楽事典」(音楽之友社)より
インドネシアの音楽は周辺の外来文化の影響が見られると同時に、反対に、外への影響力も見られる。現在のインドネシア音楽は地域による楽器や様式の違いがはっきりしている。中心はジャワ島とバリ島。
ガムラン(合奏音楽)は、旋律打楽器を中心とした一種のオーケストラ。地域ごと、ガムランのセットごとに微妙に異なる体系がある。また、ひとつのセットの中の2つの楽器の調律はわずかにずれていることが多い(特にバリの影絵芝居の伴奏)。微妙に違う音高のキーが同時にならされるときに生ずるうなりが、あたかもゆらゆらきらきらしたさざ波のような音響効果をあげる。
👉インドネシアの音階は基本的には
①5音音階 「スレンドロ」
(オクターヴをほぼ5等分にしたドレミソラ)
②7音音階 「ペロッグ(ペロ)」
(付加的な音を除くと、ミファソシド)
いくつかの旋法ないし旋律型組(パテット)が設定され、それにより、音楽以外の事象、日時などを暗示する。
☆ペロッグの7音の中の主要な「ミファソシド」を入れ替えると、琉球音階の「ドミファソシ」になるため、似ている感じがします (^^♪石井
視聴者から:
「昔バリ島で見たケチャダンスに衝撃を受けたのを覚えてますが、ストーリーがあったと初めて知りました。民族性や宗教性を音楽を介して引き継いでいるのだろうな、と大変勉強になりました。」