エストニア国立男声合唱団Estonian National Male Choir
2025.2.8(土)すみだトリフォニーホール
2025.2.8(土)すみだトリフォニーホール
2025.2.8 世界音楽の旅つくば発ズーム講座で「リトアニア編」(講師:リトアニア在住瀬戸はるかさん)を行った時、バルト三国(リトアニア、エストニア、ラトビア)は合唱大国であり、数年に一度、大規模な歌の祭典が行われていることを知りました。エストニアの合唱の歴史も、1869年からの「エストニア歌と踊りの祭典(aulupidu)」の歴史と結びついています。5年ごと、2万人以上の歌手が参加10万人の観衆がタリン歌の広場に集まります。そしてこの祭典が「歌う革命」につながりました。第二次大戦後ソ連に併合され自国の民族音楽を歌うことを禁じられていた中、この祭典は民族高揚運動、民族独立の力となり、1991年の独立を勝ち得たのです。
今回の曲目の、エストニア作曲家トルミスの「鉄への呪い」と、「てまんかい~奄美の八月踊り」にも興味がありました。昨年奄美を旅して、八月踊りについては、奄美パークの「奄美の郷」の中で映像をみたり、解説員の方に説明を聞いていたからです。
プログラムの中に「日本・エストニア友好協会」のリーフが挟んでありましたので、以下引用します。
「エストニアはなぜ合唱大国になったのでしょう?」
近隣の大国に支配された長い歴史の中で、エストニア人は農奴として生きながら、労働の苦労を分かち合う歌や男女の愛、冠婚葬祭の歌など、年寄りから若者へ世代を超えて共に歌うことで伝え、そこに自由な発想の言葉や旋律を加味して発展してきました。19世紀に入り民族覚醒の時代、国の指導者たちはエストニア語で物語や歌を収集し書き留める取り組みを始めました。そこで生まれたのが神話上の古代エストニアの支配者カレヴィポエグです。それと同時期2つの新聞社が設立され、エストニア文化のルネサンスが促進されていきます。1869年、国民の意識向上の一環として、また国語としてのエストニア語の使用を奨励するために、初めての合唱祭がTARTU市で開催されました
音楽、民話、言語を国有化しようとする19世紀のこの取り組みは、その後のエストニアの人々の民族的団結心を高め、半世紀に亘るソ連支配にも耐え、80年代末に始まった「歌う革命」では、非暴力の抵抗武器として合唱が最大の効果をあげるに至りました。現在もこの合唱の伝統は継続され、5年に一度開催されています。今年7月、第28回歌の祭典と第21回踊りの祭典が開催されます。
The Estonian National Male Choir (ENMC)
1944年グスタフ・エルネサクスにより設立。エストニア国営放送のために多くレコーディングを行う他、ドイツ・ゴラモフォン、ソニー、フィンランディア、バージンレコード他から多くのCDがリリース。2004年にはエストニア初となるグラミー賞を最高合唱演奏部門で獲得。(エストニア国立交響楽団、国立少女合唱団エレルヘインと共演の、シベリウス「カンタータ」)
指揮者 ミック・ウレオヤ Mikk Üleoja
プログラムより
○ヴェリヨ・トルミス Veljo Tormis(1930-2017) エストニア人作曲家。生涯にわたり民族音楽に関わった。
「鉄への呪い」1972年~ 原子力開発、機械文明の発展等、人類に対する警告を込めた曲
○西村英将 Hideyuki Nishimura(1976-2018) エストニア国立男声合唱団団員だった。日本と、エストニアの民族音楽に関心を抱き、民謡を数々編曲した。
「夕焼け小焼け、お月さま」~Tuudur Vettikの「Moon」と草川信の「夕焼小焼」をもとに編曲。2018年に42歳で世を去った西村が死の直前に書いた。
○堅田優衣 Yui Katada 合唱指揮者、作曲家。桐朋学園大学音楽学部卒業後、フィンランド・シベリウスアカデミー合唱指揮下修士課程修了
「てまんかい」~尼にの八月踊りは旧暦8月に行われる祭事で、豊年を祝い、シマ(集落)の安全を祈願するための踊り。「てまんかい」は「手招く」という意味で、精霊を招くための踊りの仕草のこと。奄美では古くから女性祭司のノロが集落をおさめ女性の神様である姉妹神(うなりがみ)が進行されてきた。
○ジョヴァンニ・ボナートGiovanni Bonato(1961-)イタリア人作曲家
「深き平安」2018年~コンサートホール全体を使って歌われる。テキストはアンブロジウス聖歌より、ラテン語とエストニア語による。夜明け、太陽の語り、そして陽が落ち夜の闇にも存在する聖なる光について語られる。