第15回リトアニア編Lithuania
「合唱の国リトアニア」
瀬戸はるか
2021.12.26(日)15:00~
「合唱の国リトアニア」
瀬戸はるか
2021.12.26(日)15:00~
はじめに:
こんにちは。世界音楽の旅は昨年2020年12月から始め、ちょうど1年になります。インドネシア、ベネズエラ、ブータン、中国、ドイツと行い、今回は15回目となります。
新型コロナの感染が広がり、イベントは自粛という状況下、オンラインを利用してもっと広範囲の人と繋がる形をとれるようにしました。講師もつくば市に限定されず、私の友人知人、その方からのご紹介、というように広がっています。
今回の講師、瀬戸はるかさんは、前回ドイツリートを講義していただいた竹田先生からのご紹介です。私も瀬戸さんも子供の頃、時期は違うのですが、竹田先生からピアノを習っていました。お互い面識はなかったのですが、今回のことを通して知り合うことになれて、大変嬉しく思っています。
私は合唱に興味があり、以前バルト三国の1つラトビアの合唱についての講義をオンラインで受講したことがあります。そのとき、「歌と踊りの祭典」の映像を見て驚きました。夏至を終えた翌日から7月の第一日曜まで1週間続く、国を挙げての音楽の祭典でした。歴史的に国歌を歌えない時期には、第二の国歌を歌っていたということでした。歌うことに強い民族の魂を感じました。
リトアニアにも同様の「歌と踊りの祭典」があり、2018年の祭典には日本からjordan会という男声合唱団のメンバーが参加されたということを、瀬戸さんからお聞きしました。jordan会というのは、常磐線沿線の9つの男声合唱団で構成される会(常磐のジョーと男声のダン)のことで、本日はjordan会から2名の方もご視聴されています。また、当時の指揮者上田様、当時の事務局長飯村様からも、電話やメールでお話を伺いました。この場を借りてお礼申し上げます。
講師:瀬戸はるか
東京都出身。東京外国語大学でロシア語を専攻。在学中に1年間モスクワに留学。卒業後、日本でロシア専門商社に数年勤務。1999年リトアニア人と結婚、リトアニア共和国ビリニュス市に移住。リトアニア在住22年。
ご主人とはモスクワ留学中、旅行でリトアニアに行った時に、人づてに知り合い、5年間の文通を経てご結婚されたそうです。旦那様とはロシア語で会話、現在16歳の息子さんとは日本語で会話、旦那さんと息子さんは、リトアニア語で話されるそうです。
1918年独立宣言 1940年ソ連に併合 1990年独立回復宣言
「杉原千畝」 第2次世界大戦中、領事代理として赴任していたリトアニアのカウナスで、ユダヤ人難民に日本通過ビザを発給し、数千人の命を救った。しかし杉原が救えたのはポーランド系ユダヤ人であり、20万人以上いたリトアニアのユダヤ人の96%は虐殺された。当時の日本領事館は「スギハラハウス」として記念館になっている。
リトアニアは合唱の国と言われる。伝統的な合唱は「スタルティネス」といわれる多声音楽。2010年ユネスコ無形文化遺産に登録された。不協和音やリズムの取り方が独特。
民族楽器「カンクレス」:琴を小さくしたような楽器。地方によって弦の数が違う。前日本大使夫人のカンクレス演奏も動画にて拝聴しました。
「歌と踊りの祭典」前回は独立100周年の2018年。500グループ約2万人が出場。一週間かけて行われる。
課題曲にはリトアニア国歌の他、愛国的な曲が多く入っている。
リトアニア国歌と「愛しいリトアニア」
国歌の他に、リトアニアの人々が立ち上がって斉唱する歌がある。ソ連時代には非公式な国歌として歌われたという「愛しいリトアニア」
チョルリョーニス:約300点の絵画と約200点の曲を遺した。リトアニアのオーケストラが海外公演をするときには、交響詩「森の中で」などがよく演奏される。
ランズベルギス:リトアニア独立運動を導いた「リトアニア独立の父」元ピアニストでチョルリョーニスの研究者。1992年セゾン美術館でチョルリョーニスの絵画展が行われ、ランズベルギス最高会議議長が来日、ピアノ演奏も行った。
瀬戸はるかさん翻訳の絵本紹介
リトアニアの子供に大人気「カケ・マケちゃん」シリーズ。世界文化社。
視聴者から:
歌、合唱の持つ力のすごさ、美しさを再認識しました。民族の心の支えになるのですね。そして歌うことで、過去の苦しみを浄化しているのでしょうか。/楽器や音楽の幅の広さにびっくり。ゆったりした曲から高速のテンポまで、現代的な聴きやすいメロディから古風な不協和音まで、いろいろあるんですね。合唱のスケールは圧倒でした!その後チュルニョーリスをググったら、素敵な絵画が沢山!個人的続編?を楽しんでました。音楽を超えてとっても勉強になりました。/やはり、大国に翻弄された国だからか、自国に対する愛情や誇りが、合唱等にも表れていると感じました /瀬戸さんの語り口が感情をおもてに出さず淡々としていたので、かえって聞くものは想像を搔き立てられて、あの国の重く厳しい歴史に思いを向けて胸に迫るものがありました。二万人の合唱「愛しのリトアニア」は感動しました。/リトアニアの歴史を聞いた後に愛しいリトアニアの合唱を聴くと迫るものがあります。/音楽をテーマにリトアニアを知ることができる一味違った貴重の講演でした。ありがとうございました。
視聴者からの質問
Q.結婚してからのカルチャーショックは?
A.レディーファーストに慣れるのが大変でした。ドアを開けられて、旦那より先に通るとか。旦那が私のコートを持っていたら、私はコートを受け取るのではな く、背中を向けて着せてもらうとか。
Q.リトアニアの学校制度は?
A. 小学校4年、中学校4年、高校4年で、合計12年という感じです。高校の4年のうち 最初の2年は義務教育です。
瀬戸さんはその後、つくば市国際交流協会主催
第55回「世界お茶のみ話」にオンラインで出演。
ユネスコ世界遺産を軸にリトアニアの紹介をされました。
2022年3月19日(土)
場所 BiViつくば2F交流サロン
←こちらがその時の配信動画です。
リトアニアから、瀬戸さんが送ってくれたハーブティーを会場へ持参しました。本来なら会場で飲めるのですが、コロナ禍のため参加者にお持ち帰りいただきました。瀬戸さんありがとうございました。
つくば市の会場の様子です。スクリーンの下のボードには、今まで登場した世界の国々に印がつけられていました。
JORDAN会とリトアニア
( JORDAN会・飯村様より:リトアニア歌の祭典への参加についてのお話とリトアニア編の感想)
「2018年にリトアニア歌の祭典へ、jordan会より6団体31名が参加しました。リトアニア語の歌の課題曲のテストがあり、何度も練習して現地に録音を送り、最終的にやっと合格し、参加が実現しました。リトアニア人以外の人が歌うのは初めてだったので、現地でも大きく取り上げられ歓迎されました。
日本に住むリトアニア人が発音指導をしてくださったり、在リトアニア日本国大使館、日本リトアニア友好協会の方々等、たくさんの方のお力添えもありました。」
「リトアニア編のURLを送付していただき、ありがとうございました。最初にJORDAN会の紹介をしていただき、恐縮です。2018年にリトアニア歌の祭典に出演した時の事が次々に思い出され、感慨深く、大変懐かしく感じました。LIETUBA BRANGI は、歌の祭典の課題曲で、我々もリトアニア語で、会場で歌いました。大国のはざまで生き、ロシアの脅威にさらされてきたリトアニアの厳しい歴史は、日本では、とても考えられません。杉原千畝という日本人がいたことを、リトアニアに行く前は、ほとんど知りませんでしたが、リトアニア人は杉原千畝を皆知っていることに、現地に行ってまずビックリしました。杉原千畝記念館を見学した時、千畝の生き方に思いをはせ、感動し涙を拭う仲間もいました。また、歌の祭典の会場まで4km行進しましたが、日本とリトアニアの国旗を持って歩く我々を、沿道の人々が迎える暖かな眼差しも、決して忘れられません。今回の紹介の中のリトアニアの民族楽器は初めて見るもので、素朴な音が、リトアニア人の優しい心を表現しているようにも感じました。素晴らしい企画をご紹介していただき、ありがとうございました。」