第14回ドイツ編⑤Germany
ドイツリートへの招待3/3・シューマン
竹田和子
(歌とピアノ 草野京子)
2021.11.9(日)16:00~
ドイツリートへの招待3/3・シューマン
竹田和子
(歌とピアノ 草野京子)
2021.11.9(日)16:00~
はじめに:
いよいよ本日は「ドイツリートへの招待(全3回)」の第3回目です。ピアノが、伴奏としての役割から、詩を表現し歌曲の一部となっていくドイツリートの最終回は、シューマンの歌曲についてです。
内容:
1. R.シューマンが30歳「歌の年」に至るまで。
(ツヴィッカウ→ライプツィヒ→ハイデルベルク→ライプツィヒ→ミュンヘン)
2. 「リーダークライス」作品39から3曲を聴く。「異国」「月夜」「春の夜」
3. ロマン主義とは
4. ヘルダーリンとシューマン
5. 「詩人の恋」作品48から6曲を聴く。「うるわしくも美しい5月に」「ぼくは恨みはしない」「あれはフルートとヴァイオリンの響きだ」「まばゆく明るい夏の朝に」「むかしのよこしまな歌草を」
6. まとめ
講師:
竹田和子:東京芸術大学卒業。柳川守門下生。ドイツ文学を上智大学社会人学級にて6年間学ぶ。横浜市在住。
草野京子:
国立音楽大学音楽教育学科卒業。現在小学校の音楽科講師。自宅でピアノ指導。神奈川県川崎市在住。
R.シューマン1840年(30歳)「歌の年」に至るまで。
シューマンは1810年6月8日ドイツ東部の町ツヴィッカウで生まれました。父親は『シューマン兄弟社』という書籍出版販売の店を開いていました。シューマンは8歳から近くの教会でオルガンの手ほどきを受け始めます。10歳の頃から文学への関心が高まり、父の手元にあるすべての本を読み、ロマン主義文学の開花であるたくさんの作品に触れます。
16歳の時父が亡くなり18歳で母の強い希望でライプツィヒ大学法学科に入学。その頃ライプツィヒのピアノの巨匠であったフリードリヒ・ヴィークからレッスンを受け始めます。その娘クララ(9歳)に出会う。音楽と文学への思いは捨てきれず、大学では文学書を読み漁ります。18歳の時、ミュンヘン旅行の折、H.ハイネに出会います。
1830年シューマン20歳、フランクフルトでパガニーニの演奏を聴く。法学が文学か音楽か、最後の迷いは瞬間に消え去りました。
この年F.ヴィークの弟子としてヴィーク家に下宿する。クララは12歳。22歳の時、指を痛めてピアニストは断念。それから29歳になるまでの9年間にピアノ曲のほとんどの傑作が生まれます。
クララとの恋愛に父が強く反対。ふたりは結婚のためにヴィークに対して訴訟を起こす。1840年(30歳)結婚を認める判決がおりる。シューマンはこのつらい6年間の戦いのなかで、たくさんの歌曲を作りました。(竹田)
ロマン主義とは
マルセル・ブリオン:「ロマン主義とは、他に比べるものがないほど優れた現象であり、音楽家、詩人、画家、そのいずれの作品において現れるものも同一の魂である。同じ憧れ、同じ夢であり同じ感激であり同じ苦悩である。
ヘルダーリン:(ヒュペーリオン)「人間は夢見るときに神の一人であり、考える時に乞食である」
夢みる、とは、自分のなかにある生命力が自己主張をすることで、考える、とは、合理性、利便性、形式、伝統など外的に規制されたもので、両者は相対するということかと思います。(竹田)
ヘルダーリンとシューマン
ふたりは多くの共通点をもっています。しかし、シューマンはロマン派のほとんどの詩人の詩に曲をつけていますが、ヘルダーリンの詩には一曲もつけていません。他の作曲家たちも同様です。ゲーテの詩には、例えば、「君知るや南の国」「ただ憧れを知る人のみ」などには、多くの作曲家たちが曲をつけているのというのに。
最もすぐれた詩から、最も美しい歌曲が生まれるというわけでもない。最も音楽的な響きに富んだ詩が作曲家の音楽とうまく一致するというわけでもない。ヘルダーリンの詩はその完璧性が越えがたく触れがたく、作曲家たちの意気を失わせたのだろうと言われます。
ヘルダーリンは1770年(ベートーヴェン誕生と同じ年)に生まれ、1843年73歳で亡くなりました。33歳のとき精神の病にかかり、以来40年間をネッカール河畔の町チュービンゲンの小部屋に蟄居、精神の闇の中で過ごしました。あまりに繊細な精神のため、世の中とうまく折り合いをつけられない詩人の悲劇でした。ドイツ文学者の片山敏彦さんはヘルダーリンのことを「晩年のヘルダーリンはじっさい、主なくして時ならず美しい音を立てる、絃の切れた金のハープであった」と言っています。
一方シューマンも、1843年、33歳のころから精神の闇に踏み込むことになります。1854年(44歳)、ライン川に投身自殺を図りますが、助けられ、ボン近郊の精神病院に入院し2年後1856年亡くなります。クララはその時37歳。残されたクララはフランクフルト音楽院の教授を務めながら、R.シューマンのピアノ曲、ピアノ協奏曲、室内楽などを、77歳で亡くなるまで、ヨーロッパじゅうを演奏旅行をしながら世に広めました。(竹田)
「詩人の恋」はH.ハイネの詩による16曲からなる歌曲集でシューマンの歌曲集の中で最高傑作と言われています。
調性の定まらない前奏に誘われ、風のように歌が入ってきます。前奏はイ音という、和音外の音から始まり、6度あがります。この6度は「あこがれの音程」ともいわれます。ピアノの動きに比べて歌はシンプル、終わりもまた、風のように去っていきます。「詩人の恋」は愛の始まりから終わりが主題ですが、はっきりした物語にはなっていません。
写真は「詩人の恋」16番曲「むかしのよこしまな道草を」の中にでてくるものです。
①ハイデルベルクの樽 ②マインツの橋 ③力持ちのクリストフ
まとめ
シューマンの歌曲において、ピアノは伴奏であることをやめ、詩と歌の重要な一部になりました。
これまで「ドイツ歌曲への招待」全3回にわたり、モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルト、シューマンの作品を聴き、歌とピアノが詩の内容に、どのようにかかわってきたかを中心にお話しました。ピアノ伴奏がシューベルトよりシューマンに移るとより一層詩の内容に深く入り込む、と言いました。しかし実際にはそう簡単に言い切れるものではありません。シューベルト最後の歌曲集「白鳥の歌」には、シューマンをも超えるほど、ピアノが詩の内容を雄弁に語る作品があります。今回はあくまで「ドイツ歌曲への招待」ですので、興味のある方はさらに深く、この世界へ分け入って下さることを希望して、このシリーズを終わりにします。(竹田)
視聴者から:
全てに興味持てる話でした。シューマンというのは、交響曲、室内楽、ピアノ曲しか知らなかったのですが、私が所属するオケの指揮者、音楽に詳しい友達が、シューマンは歌曲だ、と言っていた意味が分かりました。