第10回ドイツ編①Germany
ドイツリートへの招待1/3・モーツァルト&ベートーヴェン
竹田和子
(歌とピアノ 草野京子)
2021.9.5(日)16:00~
ドイツリートへの招待1/3・モーツァルト&ベートーヴェン
竹田和子
(歌とピアノ 草野京子)
2021.9.5(日)16:00~
ドイツ編①~⑤について
新型コロナも衰えをみせませんが、オンラインによって今なかなか会えない人と人とを音楽でつなぐ「世界音楽の旅」。9月からは「ドイツ」へ行きます。ドイツ編は計5回を計画しています。そのうちの①③⑤は、「ドイツリートへの招待」です。
ドイツリートは、詩と曲とピアノ伴奏が一体となった芸術です。ドイツ語や詩が好きな方、歌、ピアノが好きな方にとって、興味深い内容になると思います。
ドイツ編① 9/5 ドイツリートへの招待(1)(モーツァルト、ベートーヴェン)
ドイツ編② 9/26 キンダーリート(ドイツの子供のうた)
ドイツ編③ 10/10 ドイツリートへの招待(2)(シューベルト)
ドイツ編④ 10/31 日本人になじみのドイツのうた
ドイツ編⑤ 11/14 ドイツリートへの招待(3)(シューマン)
はじめに:
「ドイツリートへの招待(全3回)」の、今日は第1回です。
竹田和子さんは、私が10歳から7年間ピアノを習った恩師です。先生からは音楽だけでなく、人生の岐路にあたっても多くの助言をいただいてきました。
先生は子供の頃家にピアノがなく、学校の許可を得て、朝早く学校へ行き用務員さんに音楽室のカギを開けてもらいピアノの練習をされたそうです。ハングリー精神をもって音楽の道へ進み、卒業後もピアノを基礎から学び直そうと、日本を代表するピアニスト柳川守先生に師事されました。
歌曲紹介ための、ピアノ伴奏と歌を歌ってくださるのは、草野京子さんです。
竹田和子先生
草野京子先生
モーツァルトはそれまで多かった有節歌曲から通作歌曲へと進めた。ベートーヴェンはさらに連作歌曲形式を作り出し、「はるかな恋人に」などの名曲を生んだ。次回扱うシューベルトになると、ピアノの伴奏は、ただ和音を支えるだけの世界から、さらに広い表現方法を獲得していく。
18世紀中頃∼後半はドイツ文学が外国の支配を破って、精神的独立を獲得した重大な時期。ヴォルフガング・フォン・ゲーテ(1749~1832)の出現により、ドイツの抒情詩は本当の豊かさを増し、感情と律動の、複雑さとしなやかさと力強さとを新しく獲得していった。ハイドンやモーツァルトの時代、芸術家は雇われ職人だった。ベートーヴェンの時代になると貴族社会は崩れ始め、芸術家は個人の欲求、感情に従って作品を作り始める。シューベルトはさらに自己化が進み、ボヘミアンの生活の中で、自分の悲しみ、希望を作品に投入するようになる。シューマンのリートには、詩の扱い方の微妙な美しさ、ピアノの絶妙な書法とが相乗的に作り出す独自の世界がある。
トーマス・マン(1875~1955) 1929年ノーベル文学賞受賞。
1936年にナチスによってドイツ国籍をはく奪され、さらにボン大学の名誉博士号をはく奪される。1938年9月にはそれまでの仮寓の地だったスイスからアメリカに移り、1944年6月アメリカ市民権を獲得。
この講演は1945年5月29日、アメリカワシントンの国会図書館のクーリッジ講堂で英語で行われた。
ドイツリートへの招待全3回で聴いて頂く曲はすべて1750年~1850年頃に限られます。この時代のことを覚えておいてください。この頃のドイツは300以上の小さな国に分かれて、たいした産業もなく混乱し疲弊していました。
18世紀後半、フランス革命に向かって土壌を固めていたフランスの啓蒙思想(ルソー、ヴォルテール、ディドロなど)に、ドイツの領主たち、とくにプロイセンのフリードリッヒ大王などが憧れ崇拝、優雅な宮廷趣味となって現れたりした。それに対してドイツの知識層の間(特に思想と文学の領域)で、強烈な反抗運動がおきた。これが「シュトルム・ウント・ドランク」です。これは人間のエネルギーの沸き立ちでありました。この運動の洗礼を受けたのがゲーテ、シラーを中心とした文学者、詩人たち。ドイツ文学が外国の支配を破って精神的に独立した重要な時期です。
一方モーツァルト、ベートーヴェン、シューベルトなどのウィーン古典派と呼ばれる人たちは、それまで貴族や宮廷、教会の雇い人の身分でしたが、貴族社会が崩れだんだん自由に自分の感情を発散するようになってきました。ここに、文学と音楽、ふたつの分野の芸術家たちが出会い、ゲーテはじめ詩人たちの詩にたくさんの曲がつけられるようになったのです。その後シューマン、ブラームスに受け継がれて、先に、トーマス・マンが述べたように「ドイツ歌曲の奇蹟」と言われるほどの宝物が生まれたのです。
ドイツが国としての形を成していない、政治的経済的などん底の時に、人々はかえって内向きになり内面的な豊かさを求めていった結果なのです。
ゲーテ以外の詩人たち
フリードリヒ・シラー ヨーゼフ・フォン・アイヒェンドルフ フリードリヒ・リュッカート ウィルヘルム・ミュラー
ハインリッヒ・ハイネ エドゥアルト・メーリケ
ゲーテとベートーヴェンの出会い
ゲーテはベートーヴェンより21歳年上。ゲーテはドイツ東部のワイマール公国の領主に切望されてその国の国務大臣の職にありました。「詩と音楽の2つの星の、千年に一度の出会い」と、ロマン・ローランが形容した機会は、1812年の夏、ドイツ東部(いまはチェコ領)カールスバートで起きました。ゲーテ63歳、ベートーヴェン42歳。ゲーテは「詩と真実」の著作のため、ベートーヴェンは胃腸の保養のため。ゲーテの方から接触を試みたと言われています。ベートーヴェンを一目見ただけで何かただならぬものを感じたようでした。7月に日数を空けて何度か会っています。ベートーヴェンが演奏を聴かせたり二人で馬車で遠出したり。
しかしベートーヴェンが作品にこめた音楽の深淵な意味について話し合いたかったのに対し、ゲーテは彼のピアニストとしての技量ばかりを褒めました。ゲーテは常識人で、立場上王侯貴族たちに礼を尽くしたが、ベートーヴェンはそういうゲーテに失望します。
その後二人は決別したように見えましたが、ゲーテの事情や、ゲーテが第三者に送った手紙などからベートーヴェンはゲーテに対する誤解を解いていきます。1812年9月ベートーヴェンはゲーテを再び訪ねることになります。
ベートーヴェンは感情をむき出しにして人と仲たがいすることも多かったが、自分の非を認めると素直に謝って関係を取り戻すことも多かったといいます。
10年後、音楽評論家のロホリッツにベートーヴェンはこう語った。「あの人と知り合ったのはカールスバートでした。ああ、なんと昔のことになったことか。その頃私は今ほど難聴ではなかったのですが、それでも聞き取るのは困難でした。でもあの偉大な人は、どんなに辛抱強く、私の相手をしてくれたことか。あのカースルバートの夏以来私はいまもゲーテを読んでいます」
視聴者から:
専門的な内容、ゲーテとベートーベンの関係等初めて知りました。NHK FMの音楽番組のようでした。/ 今までドイツリートというものをじっくり聞いたことが無かったので、とても勉強になりました。ありがとうございました。次回のドイツ民謡も楽しみにしています。 / ドイツ歌曲の流れの俯瞰から、曲の細かいアナリーゼまで、様々な面から知ることができ、興味深かった。 / ベートーベンとゲーテの話がとても興味深かったです。先生のお話をまた聴きたいです。 / 構成もお話もすばらしくて 1時間半があっという間に過ぎてしまいました。/ ドイツリートはシューマン、シューベルトをほんの少しかじったことがあり、興味のある好きなジャンルであり、参加しました。ありがとうございました。/知的欲求が満たされます。ドイツリートって奥深いですね。ドイツが混とんとして皆が内向きになっていた時に、詩が生まれ音楽が生まれたというのが、とくに印象に残りました。社会がどうあれ、精神は気高くいられるし自由なのですね。