雑記

サイトポリシーと雑記

このウェブサイトの目的

 サイト管理者である私のポリシーとしては「公平」かつ「客観的」で、観察の結果の事実のみを公表することを主眼としている。依って青森県の、しかも津軽エリアでしか採れない舎利石に偽物が氾濫しているとあらば、直ぐに現地で採取や調査が可能な私が適任とも言える。しかし、分からない事案についてはネットで広範に調査し、現地での情報収集を経ても分からないことは極力断定を避ける。

 偽物の舎利石や母石を市場から駆逐することを主眼として始めたが、別に偽物を駆逐することで本物の舎利石の良さを延々と語り尽くしたうえで高く売りつけようという気はない。あくまでも私の代わりに出品してくれる方や、私の活動に賛同する複数の方を通して、本物をリーズナブルに市場に流せれば、高価で無価値な偽物や模造品はいずれ淘汰される。実際にだいぶ偽物は減っていて、かっては偽物を大量に出品していた人も本物を提供し始めている。


 私は既にいくつものお寺に舎利石と母石を寄進している。お寺に寄進する場合は一切のお代を頂いては居ない。一般の方が入手する場合に支払われる対価は、私が舎利石を拾うために要した時間とガソリン代と食費の一部還元だけである。欲がないと言われるが、事実としてそれほど金に対する執着はない。だから代理人が提示する金額もオマカセである。でも、お金はあったらあったで良いのは当然である。現代社会に於いての人間らしい暮らしというものは金無くしては成り立たないものだから。


 ただひとつだけ絶対に舎利石を扱う上で最も重要なポリシーがある。舎利石に願いを込めるときと同様に「欲を出してはいけない」ということだ。あくまでもギブ&テイクが望ましい。私が供出するのは舎利石採取の為の高いスキルと労力と移動にかかるガソリン代などを含む消耗品。そして大抵は1日中拾っているので飯代くらいのものだ。


 自分は舎利石も母石も自力で見つける為に必要な足(マイカー)と行動力と肉体的な能力がある。欲しい人は自分が採りに行く手間暇&交通費&労力を対価として支払うだけ。初心者が行けば必ず拾えるとも限らない物をあてもなく採りに行くよりも安価に入手できる。そう考えて欲しい。

 世の中には物の値段だけ見て、必要経費や労力を無視して高いと言う人もいる。そういう人は自分で採りに行ってくださいということ。

舎利石と私の歴史

西暦2019年1月29日~4月 舎利石との出会い

 1月末に錦石の採取を七里長浜から今別町へ活動の場を移した。錦石の中でも良質な今別石探索を行なっていると、異様に細かい瑪瑙が多い海岸だと思って不思議に感じた。七里長浜で採れる細かい瑪瑙とは明らかに異なるものであると。いくつかのキーワードでこの石を調べたところこれが「舎利石」という石であることを知る。

 そして舎利石という石がとても珍しい形成過程を経ていること。お釈迦様の遺骨(真舎利)の代替品として使われていること。青森県の今別町町でしか採れないことを知る。同時に舎利石も舎利石を生み出す母石も舎利浜の消滅に依って絶滅という記述を見て決心した。絶滅かどうか徹底して調べてみようと。

5月~8月 当サイトの作成と公開

 サンプルも増え、珍しいものから、冬に多く採れるもの。母石の探索と採取を続け、写真や情報量が増えたところでサイトの作成を始めた時期。

 昔はHTMLの手打ちやWYSIWYGなどを持ちいてウェブサーバーにウェブサイトをアップロードしていたこともある。それに比べると作業も簡単なこの Google Sites はシンプル過ぎるという欠点はある。Wixの方がもっと良い見栄えのサイトは作れるであろう。しかしGoogleのサービスの一つであるため、基本的に関連するキーワードが多数盛り込まれていれば検索上位に食い込みやすく、ニセ舎利石駆逐には好都合と言えた。舎利石をGoogleで検索すると、このように上位に表示される。

2019年9月~2020年3月 採取は控えめに、寄進を中心として活動

 採取した舎利石のお寺への寄進(きしん=献上)と石フリマに参加している仲間を経由して委託販売を試みる。以後、情報源である寺院や地元の真言宗寺院への寄進を続ける。舎利石と舎利母石の採取については、通年の採取を続けることで季節ごとの傾向や潮の流れの変化による収量の増減を含めてデータが揃い始める。

 私が得た情報で公表しないことが2つある。具体的な場所とどういう時に採れるかである。これは舎利石や舎利母石探しをしている人がそれなりに苦労して探し当てたり聞いた情報であるため、ネット上では場所の公表を避けているのだ。皆もそうしてくれると有り難い。

2020年4月 「全国に新型コロナウイルス緊急事態宣言発令」

舎利石採取は継続。暖冬とはいえ冬の津軽海峡沿岸の浜ということもあり、せいぜい私ひとりか、釣り人が多くても3人居るかどうかというレベル。不要不急の外出は控えるように。3密は避けましょうと言われているも、運動のための外出は良いということ。また、このご時世に舎利石を必要とする人も居るかも知れず、また3密とは無縁でもあり、可能な限り余計な立ち寄りはしないと自分に条件を定めて継続した。

~5月GW コロナ禍

 新型コロナで聞くようになった「エッセンシャルワーカー」な業種に務める私のGWはほぼ暦どおりで、世間で言う16連休や12連休や8連休とは程遠く、休日出勤も加わって、2連休1回+4連休1回となり、それでも4月末からGW終わりまでは4回ほど今別の浜へと出かけた。

 舎利石を採取しているとどうしても規格外のものは大量に発生する。それでも良いから欲しいというお寺さんはあるので、時間のあるときは小瓶に入れて参拝している。

 現状では既に仏舎利として開眼に適している舎利石の数は、数えることも億劫なほど所持しており、昨年末には世界遺産登録のお寺(真言宗)へも舎利石詰め合わせセット+舎利母石の寄進もしてお礼の葉書も頂戴している。

 もしも、コロナ禍を終息させるために令和大仏を造る!というお寺があれば、舎利石や母石は私が寄進しても構わない。その場合は、私が何者であるかを特定し、電子メールで連絡をくれれば良い。検索スキルが中程度あればすぐに見つかるよ。

6月~10月中旬・下旬 第一波が終わり、第二波のコロナ蔓延。弘前市で大規模クラスター発生

 10月中旬から新潟まで翡翠採取のため小旅行をしていた。(結局、翡翠は採れず)終盤に入り10/23~10/25は新潟から青森まで暴風雨が吹き荒れたため、一旦地元に戻ることとした。最終日の10/26は試しに今別の浜を訪れてみた。午前中で概ね100粒ほどの収穫。しばらく休止していたこともありリハビリも兼ねて採取を試みただけなので採取を目的としていない。

 ちょうど岐阜県から来ていた石好きの人にそのまま拾った舎利石は譲渡。お土産として錦石やら母石のハネや瑪瑙なども譲渡。ちなみに現職の坊さんではないが舎利石については事前にある程度調べてきたとのこと。正しい舎利石採取のレクチャーは済ませた。(岐阜の人の収穫数は20粒ほど)

 やはり潮の流れが変わったのかあれほど海が荒れても舎利石はほぼ採れず。去年予想した通り護岸工事で潮の流れが変わったか、気候変動で海が荒れず採れなくなりつつあると言える。ただ、採れないと言っても全く採れないわけでは無い。今後は日に700~2000粒超といった量は採れないだろうが、熟練者ならば極小サイズで日に300粒ほどは採れるだろう・・・といったところ。

2021年 コロナの猛威、未だ収まらず・・・

 仏舎利としても利用される舎利石を拾うには、やはり最も適した姿勢で望むことが最大の効果を得るのだろう。私の採取スタイルはほぼ常に五体投地(ごたいとうち)に近い。スピリチアルな考え方からしても、大地から直接的に気を吸収できる姿勢とも言える。それに、普段はそんな事をする機会も無いだろうから、意外と開放感が合って気持ちが良いのだ。病は気からという言うので、どんなことをすれば心身ともに健康で居られるかをそれぞれ考えてみると良い。

 6月も上旬を過ぎようとしている。相変わらずコロナの変異ウイルスがどうこうニュースで騒ぎ立ててるが、身近なところで誰も感染していないし、誰も死んでいないので実感は薄い。しかし、何時、誰が重症化したり容態急変で死ぬか分からない状況ではある。引き続き、津軽海峡を望む浜辺で五体投地しながらお舎利さんを一粒ずつ手で拾い上げることが主な休みの過ごし方として定着している。

 6月8日は朝から誰も居ない浜で何時ものように舎利石を拾っていると湘南ナンバーの車が来た。そういえば過去にも湘南ナンバーの僧侶が何組も来ていたので湘南ナンバーのエリアの寺は舎利石ブームなのだろうか。世間話も織り交ぜつつ情報収集をしながら舎利石拾いを手伝う。今日(6/9)も多分、浜に来るだろうという話だった。こんな時代だから、こういう趣味(自分的には趣味だけど僧侶的には仕事とか修行なのかな?)は最適なのかも。

 9月末より潮目が変わり、ようやく舎利石が打ち上げられ始めた。日本では11月に入りコロナも第5波がほぼ終息傾向にあるも、海外では相変わらず猛威を振るう。いまだ4人を超える宴席は敬遠され、居酒屋で飲み食いしながら馬鹿話で馬鹿笑いもできない日々はしばらく続きそう。終息にあたっては舎利石を持つ人が、宇宙に向かってお祈りを続けたからだとしたら日本だけの異常な減少傾向もスピリチアルな話で笑って話せるかも。


2022年08月03日  令和4年8月豪雨災害発生

 東北の日本海側を中心に、JR五能線およびJR津軽線蟹田駅~三厩駅間の線路や橋が大規模な被害を受ける。舎利石が唯一拾える山崎湾の瑪瑙浜も上流から大量の土砂が押し流され海岸を埋め尽くした。これにより最も多く舎利石が打ち上げられる部分がピンポイントで埋没し、舎利石を含む礫が堆積している海底部分を土砂で覆ってしまった。

 現在も災害以前から砂が堆積している部分にて舎利石は採取できるが、時化による舎利石を含んだ礫の更新ができず、取り尽くされたら終了という状況にある。

 当サイト管理者は付近の消波ブロック(テトラ)の新設により潮目が変わり、舎利石の含有量の変化から近い将来に採取できなくなると読んでいたため、可能な限り瑪瑙浜に通っていた。結果として別の事案(豪雨災害)により、原因は異なるも予言は当たり、ピタリと採取不能に成った。しかし、当面の間に配布可能な舎利石の採取は6月頃には完了していた。どうしても舎利石が必要な場合は自分に連絡を戴ければ融通しましょう。

 これに似た行動は前にもある。2011年3月11日は青森県はまだ季節としては冬である。この時に発生した東日本大震災も、事前に準備していたことが功を奏した。大規模停電時は石油ファンヒーターが使えなくなる事を想定し前年の秋、過剰なまでの寒がりの母の為に反射式石油ストーブ(燃費がよく煮炊きもできる)をプレゼントしていた。

 結果として実家の弘前市は3日も停電し、保存食を中心とした食料は自分が月イチで実家に備蓄していたため買物のための足(車など)がない母は食料を求める長蛇の列に並ぶ必要も無かった。どうにも自分はその辺の感というか勘が働くようだ。

雑記の雑記 ここのサイト管理人の性格

 ここのサイト管理者である私はどこの宗教団体にも属していない。一般的な日本人でしたら大半は仏教徒で、私も例に漏れず仏教徒なのかも。因みに父方は浄土真宗。青森では結構多い宗派だ。母方は曹洞宗。曹洞宗は弘前には多く、禅林街の通り1本全て曹洞宗というのもある。という感じで、両親ともに日本人の多くがそうであるように仏教徒の家庭で育っている。ただし、熱心な仏教徒ではないのは他の一般家庭と同じである。

 学者でも無ければ専門家でもない。ただのサラリーマンの趣味のひとつとして多種多様なモノゴトに首を突っ込んでは興味を持った対象をとことんまで調べたり、作ってみたり、経験値を高めたり、情報を集めて発信しているだけの日本有数の「なんちゃって◯◯◯オーソリティー」である。

 だから、個人的には真言宗や高野山真言宗はネットも活用していて、寺子屋を含め常に時代に沿った取り組みをしている身近で興味深い宗派だと思っている。新しいことにチャレンジする宗派ということに親近感がある。お寺を身近にしようという取り組みでは真言宗や高野山真言宗は最も進んでいる宗派と言えよう。


 そして仏舎利や舎利石の情報が多いのも特徴。情報が多いということで舎利石については仏舎利として利用してきた経緯を知っているということでもある。 真言宗では自然葬などもサイトでプランを提案されているところも多く、とても興味深い。

 というのも私には「墓に入ること=場所や家系に縛られる」というイメージが強く、自由人でありたい自分には墓に入るという終わり方は向かない。私が死んだらほぼ自動的に父方の寺(浄土真宗で弘前市の墓)に入ることになるのだろうけど、私の性格では墓に入りたくないので自然葬か鳥葬(チベット方式)が望ましい。日本で鳥葬は無いので、一人暮らしの時に山野で野垂れ死にという条件であればカラスや野生動物に食われ骨だけになって朽ち果てることは可能であろう。でも、そういう計画的野垂れ死にで土に還るというのは世間体としては宜しくない。で、自然葬という方法が最も現実的。


 ちなみに真言密教は仏教の宗派の中で最も新しい宗派とされていて、新しいと言っても「弘法も筆の誤り」で知られる超有名人。西暦774年生まれの空海(弘法大師)さんが開祖の宗教だから、新しいと言っても歴史のある宗派。

 お寺のサイトやSNSを検索してごらんなさい。他の宗派より真言宗や高野山真言宗は普通にビシバシとヒットする。時代に即したツールを使う辺り、情報発信系の私には好感度MAX。

 なお、私は日本人の典型と言える多神教というか、八百万の神を信じる人間なので特定の宗派に対して深入りも肯定もしない。しかし、如何にもな金儲け目的の似非宗教や胡散臭い。または海外からカルト扱いされている宗派には関わりたくはない。ここのサイトのリンクには私が思う胡散臭いサイトはリンクしないことにしている。

 また、公平性を保つため、舎利石の出品・販売に関わる特定のサイト名は一切出さない。良い出品者も、悪い出品者も自分で判断して、時分で落札しよう。騙されたら騙されたでそれも勉強。人は死ぬまで知識欲を失ってはいけない。そう思う。


 まずは分からないことがあったら人に聞く前にネットで検索しよう。ネットで検索して知識を得たら、今度は自分で他の人が知らない情報を発信しよう。情報を発信する人がいるから、情報を検索できる。つまり情報はタダであるが、情報を発信する人が居なければ情報は検索しても出てこない。

 何でも良い。その情報を得た代償に同じカテゴリで情報を発信する必要はない。他の誰かが必要になるかも知れない貴方が持っている情報を発信すれば良い。それが廻り廻って誰かの役に立つということだ。つまり、情報を発信する人になることが自分の為にもなる。少なくとも日本語の書き方が上手くなることは保証する。語彙(ボキャブラリー)も増えるだろう。人への説明が上手くなるだろうし、自分に自信がつくだろう。

 文章力は知識量に依って決まる。別に詰め込みタイプの学力とは直結しない。義務教育を終わっていれば後の勉強は独学で進められよう。別に大卒である必要もない。知識欲があれば後から身につくものも多い。色んな人の話を聞くも良し。本を読むも良し。積極的に外に出て自分の知らない何かを見て感じて言葉にするも良し。風景に感動して言葉が漏れる事もあるだろうし、史跡の石碑の文字を読んで感じる事もあるだろう。 何かに興味を持ってその道を征くも良し、ライフワークとして永く付き合うも良し。 人生を濃くするのも薄くするのも過ごし方次第。