舎利石とは

しゃりいしとは

 舎利石(しゃりいし)とは、ケシ粒~鶏卵ほどの大きさで成長する球体の玉髄や瑪瑙の結晶である。成分は二酸化珪素(SiO2)で、モース硬度(引っ掻き強度)は3~程度と、本来の玉髄や瑪瑙の6.5~7を大きく下回る。色は様々で、透明・不透明・濃淡は様々で、白、茶(濃いものは黒に見える)、赤、橙、黄、緑、青がある。

 舎利石は名前の由来のとおり、舎利(しゃり)に由来し、舎利は仏・聖者の遺骨・白い米粒を意味する。

 産地は日本国の青森県東津軽郡今別町であるが、類似する岩石は付近や国内の離れた場所でも産出する。現状で出回っている舎利石は、偽物や一部のものを除き、今別町の山崎湾(旧、瑪瑙浜付近)が主産地である。

 生まれが特殊な鉱物であり、溶岩が地表に噴出した際に起こる溶岩内の減圧に依って発生した気泡(空洞)に石英質が充填されて粒状(球状)に結晶化(成長)する(後述:図解あり)。通常、瑪瑙や玉髄は火山性の熱水や吹き出る水蒸気に含まれる二酸化珪素が通り道で徐々に成長してできたものである。単純アルカリ泉などの温泉で浴槽周辺にできる白い結晶を思い出すと分かりやすい。舎利石はそれらとは違い、熱水を介さず噴出した溶岩の中に直接生まれる石である。

 この舎利石を含んだ(孕んだ)岩石を舎利母石(もいし・しゃりもいし・しゃりのははいし)と呼ぶ。舎利母石の岩脈は、火山性の岩塊に筋状に生じる岩脈(がんみゃく)として存在する。それが波の侵食や岩脈が溶けるなど風化に依って舎利石が離れ、打ち上げられたものを海岸で拾うことができる。

 僧侶が舎利石を用いる時は、仏教的儀式(お祀り:主に密教の儀式)により開眼(かいげん:魂入れ)される。開眼された舎利石は仏舎利(ぶっしゃり)となり、釈迦の遺骨の代用品として用いられる。 また、荘厳(そうごん/しょうごん:装飾)や、鎮壇具(ちんだんぐ:捧げもの)に用いることもある。仏舎利となった舎利石は基本的に販売されることはない。

 特に舎利石をとても有り難いものとして扱う宗派は真言宗や高野山真言宗で、一部ではあるが天台宗や曹洞宗なども利用することがあると聞く。自分の経験上ではあるが、本州の北の果て津軽海峡の小さな街の海岸まで石ころを拾いに来る人で、出会った方の大半が真言宗と高野山真言宗の僧侶である。

 ただ、近年は舎利石パワーに魅せられた僧侶以外の人。例えば鉱物ファン。パワーストーン収集家、オークションなどで出品する目的で訪れる人も増加傾向にあり。

 輝石販売や仏具店。ネットオークションなどが鑑賞石やアクセサリー。パワーストーンとして販売されることもあるが、仏舎利として販売している場合は開眼を行なっていないので、ほぼ間違いなく偽仏舎利である。そもそも、人工的に瑪瑙や玉髄を加工した物や、舎利石の体を成していないものが多数存在しているため、説明の記述には注意が必要である。同じく仏舎利となった有り難いものが普通に売買されることはなく、売り文句に騙されてはならない。

舎利石の性質

 舎利石は拾ったままの状態ではただの鉱物で、多くは球体または潰れた球状をしている。最大の特徴はバレル研磨(樽磨き)などせずとも、自然と(または手作業で)光沢を帯びる特性をもった鉱物である。母岩からこぼれ落ちたばかりの舎利石は表面が荒いヤスリのようにザラザラして光沢はない。この特徴は磨かれ続けると無くなり、最終的にはツルテカになる。

 七里長浜などで採れる津軽特産の錦石(にしきいし)は二酸化ケイ素含有量が多く、モース硬度が7程度あるので、光沢を得るためにはダイヤモンドカッターなどで裁断・整形したものを長時間バレル研磨するが、舎利石の磨きは特別な機械や長い時間を必要としない。

 逆にバレル研磨すると舎利石は柔らかいため割れたり、欠けたり、砕けてしまうものもある。簡単に多くの舎利石を磨きたい場合は、フェルトで袋を作って舎利石を入れ、念入りに軽く揉むように擦ると光沢が出る。また、金属のザルの中で水を掛けながら米を研ぐように擦り合わせても良い。この光沢を出しやすい特性も柔らかい舎利石ならではの性質である。

舎利石と錦石の関係

 舎利石は瑪瑙や玉髄であるため広義では津軽で言うところの錦石(にしきいし)の一種とも呼べなくもない。

 しかし、錦石は根付や鑑賞石。装飾・宝飾品としての用途で江戸時代より重宝され、「硬く、磨けば光る石全般」のことを言い、主に裁断や研磨など鑑賞石や装飾品へ加工して利用する。

 一方で舎利石は仏具(仏舎利の代替え品)である。しかも舎利石は硬くなく加工に適さない。自然のまま海岸で波に揉まれて光り輝く珍しい特性をもつ石で。利用において錦石とは別のカテゴリーに属する石と言える。近年では更にパワーストーンやお守りのような用途がある。

 また、舎利石はその形成過程が特殊であり、裁断、加工、研磨、穴開けなどの工程で砕けやすく加工に適さない

 舎利石で検索すると「龍宮舎利石」なるものがヒットするが、ここで言うところの舎利石とは全く無関係な石であり、日本では仏舎利として用いないので混同に注意が必要。

所蔵品としての舎利石

 舎利石は 明治天皇へと献上され、世界遺産登録の真言宗総本山 東寺〔教王護国寺〕 (とうじ/きょうおうごこくじ)に奉納された石である。

 また、仏塔や寺を建てるときに地の神を鎮めるために埋められる”鎮壇具(ちんだんぐ)”の一つとして利用されることもあり、国宝としては法相宗大本山 興福寺が22個を所蔵している。

 青森県立郷土館での展示や、静岡県富士宮市に在る奇石博物館にも収蔵されている。

 青森県今別町袰月集落の老人が、昔拾った舎利母石からこぼれ落ちた舎利石と、その母石を青森市にある青龍寺(昭和大仏で有名な高野山真言宗のお寺)に寄進した話が青龍寺のサイトにある。

 当サイト管理人も青龍寺のサイトで舎利石に纏わる多くの情報を得たため、舎利石と母石を情報源へ寄進させて頂いたほか、青森県内の幾つもの真言宗の寺へと(勝手に)寄進させていただいた。

日本における仏舎利と舎利石の歴史

紀元前400~500年頃

 釈迦が入滅され(お亡くなりになり)、その後に荼毘(だび:火葬)に付されたとある。幾つかの説はあるも確実な情報は残されていない。命日は旧暦2月15日と言われている。(現在3月15日に涅槃会(ねはんえ)が多く行なわれている)

 本物の釈迦の遺骨・遺灰・髪の毛や歯などは真舎利(しんしゃり)や真身舎利(しんしんしゃり)。遺骨の場合は真骨(しんこつ)と呼ばれることもある。

 釈迦の遺骨である真舎利は最初に8つの部族の寺院へと分骨され舎利塔へ納められた。遅れてきた9つ目の部族には遺灰が与えられたという。

 後に世界中へ仏教を布教するため8つの舎利塔のうち7つの舎利塔から取り出された真舎利は、さらなる仏教の布教のため世界中にある8万4千基の舎利塔へと分骨されたが、すべての寺院に分配しても真舎利の量には限りがあるため、各地(各国)で真舎利の代わりとなるものを利用することとなった。(リンク内に詳細を記したサイトあり)

<千年ほどの情報空白域>

西暦500~600年頃

 日本に仏教が伝来したのはこの頃と言われている。釈迦の入滅より千年前後と随分と後の事である。『日本書紀』によれば仏教が伝来したのは西暦552年(飛鳥時代)とされている。

西暦700年台後期(奈良時代)

 舎利石が仏舎利として利用され始めた年代は不明であるが、この頃には既に仏舎利として利用されていた。舎利石が仏舎利の代替え品として利用された経緯については、不空が関わっているような記述がある。

 また、本州の北端に位置する青森県の、しかも当時は海岸線を干潮の間隙を縫って通行しなければならないほどの険しい道(事例:松陰くぐり)を通らねばならない場所で採れる小石が、なぜ仏舎利の代替え品として選ばれたのかはネット上では記録が見当たらない。(情報があればネット上にアップ希望。こちらで拾います。)

<更に千年ほどの情報空白域>

西暦1681~1702年(延宝~元禄 )

 津軽藩主である津軽信政公は、当時、江戸などへの輸出品として人気の高かった特産の錦石の需要増により、土淵川(現、弘前市中心部を流れる川)で採れる錦石だけでは不足し、今別の浜にて採れる良質な今別石(今別産の錦石)と舎利石の採取を禁じる命を下した。


 錦石と舎利石が混同された記事があるのは、この辺りの記述の勘違い(読み違い)なのではないかと思われる。当時の記述では錦石は弘前の土淵川で。舎利石は今別町の袰月の集落の海岸である。今別石は現在、僅かに採れるのは山崎沿岸である。また、現在の錦石といえば青森県の深浦町~小泊付近までの日本海沿岸。その中でも主に七里長浜で産出する。今別石は錦石に含まれるが、舎利石はあくまでも舎利石である。

西暦1782年(天明2年)~1790年(寛政2年)

 江戸時代後期の京の儒医である橘南谿(たちばな なんけい)が日本各地をめぐり奇事異聞を収集した東西遊記はこのときの体験記を纏めたもので、東遊記には袰月の舎利浜(黒い浜と小さい滝(滝はおそらく袰月海運洞釈迦堂の脇の滝のこと))。そこで採れる舎利石を紹介した記録があった。

 同じころ、近江の人で石の長者といわれた木内石亭(きうち せきてい)が記した著には、下北半島の恐山やその付近の海岸にて採取される石という表記があるも詳しい場所は記載されていない。 霊場恐山の前に広がる宇曽利湖(宇曽利山湖:うそりやまこ)の極楽浜が産地と言われるも、九艘泊である可能性もある。木内石亭の文献「雲根誌(うんこんし)」には舎利母石を「しゃりぶいし」と表記している。

西暦1868年頃(明治)

 天皇即位儀礼に際して仏舎利を奉納する風習があり、明治天皇即位に際して舎利石が贈られ、その後、真言宗総本山の東寺に納められたという記事をそこかしこで見かけるも、詳しい年月日の記述は無い。明治天皇の即位は西暦1868年10月23日(明治元年9月8日)

 また、恐山の宇曽利山湖にある極楽浜では舎利石がガラス原料(成分から石英ガラスと思われる)として大量に採取され、宇曽利湖(うそりこ)の舎利石が絶滅した年でもある。

 個人的に2019年に恐山へ撮影のために宇曽利山湖の極楽浜まで行き実地調査したが、大粒の石英質の砂が浜を白く見せており、広範囲に渡ってサンプルを採取しながら OLYMPUS TG-5 の顕微鏡モードで砂粒を撮影したが、結晶はグラニュー糖のような形状だけで舎利石のような球体は一粒も見つかっていない。一部で「恐山舎利石」などと表記されたものが出品されているが、そのようなものは存在しない。なお、恐山菩提寺は曹洞宗である。

西暦1901年6月(明治34年)

 本物の仏舎利である真舎利は日本にも祀られている。同じ仏教国として日本がタイに真舎利を分けてほしいと打診した結果、タイ国王より友好の記念として譲り受け、1918年(大正7年)6月、覚王山日泰寺(かくおうざん にったいじ:名古屋市)に建立された奉安塔(ほうあんとう)に納められた。タイ国王の提示した条件によりこの寺院は日本で唯一どこの宗派にも属していない。

そして現代

西暦1961年2月(昭和36年)

 舎利浜のあった大泊地区はに当時の建設省により海岸保全区に指定された。

西暦1963年8月(昭和38年) 

 大泊地区の護岸工事着手。防波堤や消波ブロックが敷設された。これによりかつての舎利浜だった場所の真上には国道280号線が通っている。 舎利浜はかつての面影を残さず完全消滅した。

※舎利浜産舎利石が希少な理由[今別町の歴史を参照]

西暦2012年2月(平成24年)

 袰月の集落に住むご老人が青森市の青龍寺(昭和大仏で知られる高野山真言宗の寺院)へ舎利母石とともに風化により採取された舎利石を寄進する。その方の話からは舎利浜の消滅によって舎利石も絶滅したという。

コロナ禍を舎利石採取で過ごす

西暦2019年(平成31)~2021年(令和3年)・・・サイト管理人の現在進行形

 錦石(輝石拾い)の聖地として有名な七里長浜を真冬に探索していた当サイト管理者。波の満ち引きが強く、行っても空振りが多いこと。冬は特に日本海の荒波に攫われて死にかねないこともあり、今別町に活動の場を移動した。そこで碧玉、玉髄、瑪瑙を採取しているうちに、小粒なのに丸く光沢の在る玉髄が打ち上げられる浜へと辿り着く。それが舎利石との出会いであった。後で知ることとなるが、かっては瑪瑙浜と呼ばれていたらしい。

 普通の瑪瑙の水摩礫は七里長浜で散々拾っており、その透明度や光沢、形状は過去に拾った水摩礫とは明らかに異質であり、すぐに疑問を生じた。調査の結果、ここに記載した内容のとおり、特殊な経緯で生まれた鉱物であること。仏教的にはとても貴重な扱いをされる石であることを知る。

 3年目に突入し、既に飽きて他の趣味に移行すると思ったが、コロナ禍のせいで県外遠征も最小限に抑えられ、観光施設は軒並み自粛ムード。これでは感染防止の趣味として人の少ない浜辺にて五体投地(ごたいとうち)で舎利石を採取している方が健康的というものである。ある意味、無心の境地で朝から浜に突っ伏して気づくと夕暮れという時間の流れは精神修養にも近い。

偽舎利石撲滅運動推進委員会 発足

 (仮)偽舎利石撲滅運動推進委員会(笑)とは、市場に流通する数多の偽物に対し、本物を流通させることで偽物を駆逐しようという「なんちゃって組織」である。 ぶっちゃけて言えば偽物を売ってボロ儲けし、青森で採れる舎利石の品位を貶める出品や販売者を駆逐することが目的の有志である。

 インターネットに散在する情報源を読み歩き、時には地元民に話を聞いたり、僧侶に知り得る情報を提供してもらった。パソコン(Excel)で簡単なイラストも描けるので、可能な限り分かりやすく客観的事実・史実に基づいて情報を集約し公開したサイトがここである。当然、情報提供には舎利石や母石の提供を以てお礼とした。

 2020年、委員会を私と石フェスに参加している有識者の2人で発足。これにより悪質な出品者や業者は減りつつある。ただ、未だにパワーストーンの浄化用「さざれ」を舎利石として出品する者、偽物と知らずに落札する者が居なくならない。現在の委員会はメルカリやヤフオクのアカウントを持つ1名が加わって3名で活動。無価値な偽物よりも安価に本物の舎利石(ランクはハネ)を頒布中。

 コロナ禍に際して現金収入を狙ってか、異様に値段設定の高いものや偽物が増え始めている。本物を取り扱っている人は実際には多くはなく、適正価格を大幅に超えるものもある。当委員会に参加している者は基本的に「正しい舎利石の頒布」が目的で暴利を貪るつもりは毛頭ないため、適正なものを適正価格で得たい方は、まずは委員会メンバーを特定することをお薦めする。

 私達が手伝えることは情報の発信あるのみ。落札者が本物の舎利石情報を多く入手し、真贋を見極め、無価値なものに大枚を叩かないことが大事なので、面倒臭がらずインターネット検索し、よく見極めて欲しい。

仏舎利とは何か

 基本的に信仰の対象である釈迦の遺骨(真骨)・遺灰・歯などを指す。しかし、各仏教寺院や仏教を崇拝する個人にまで遺骨が遍く行き渡る訳がない。そこで遺骨の代替え品を用意することとなる。

 本物の仏舎利である真舎利(しんしゃり)の代替品には経典宝石類であるダイヤモンド(金剛石(こんごうせき):炭素)。オパール(蛋白石(たんぱくせき):二酸化ケイ素+水分)。パール(真珠(しんじゅ):カルシウム+タンパク質)のような宝石類が主に使用される。

 オパールについては津軽半島の先端部(特に龍飛周辺)で産出するというデータがあるも、角度によって虹色に輝くようなイメージのものではない。(今別町のだるま滝付近の岩塊、および龍飛岬周辺で採取できる)

 日本ではダイヤモンドは産出しないため、今別町で採れるこの舎利石を一般に利用されるようになった。

 また、鉱物以外には浄書した経典や曼荼羅(まんだら)を仏舎利とみなして納めることもあり、「法舎利」「法身舎利」などと呼ぶ。

 西暦774年に没した密教の重要人物「不空」の記述「若無舍利、以金銀琉璃水精馬腦玻梨衆寶等、造作舍利。珠如上所用。行者無力者。即至大海辺拾清浄砂石即為舍利。 」が、「海辺の小石(舎利石)を仏舎利として使用してもよい」とする最初の記述であるという説がある。

知らないで済まされないのが日本の法律

 30年前のインターネットが普及していない時代ならいざ知らず、今の世は知りたいことはネットで幾らでも調べられる。我々が生活する上での決まりごとは法律で一定の縛りを受けることで「それ以外の部分で」ある程度の自由を得ている。

 物を売ったりオークションに出すことも一緒。 調べて出てきた情報の一部を鵜呑みにしたり、自分の都合の良いように解釈を曲げる。「よく分からないけど多分○○だろう」という軽い気持ちで自分なりの解釈を付けたり、「こう書いたら高く売れる!」などと良からぬ考えを巡らせると詐欺となる。バチ当たりな連中である。

舎利石を売る側についても説明や謳い文句に偽りがあってはいけない。

1.全く無関係の石を舎利石・舎利母石という名前で販売(出品)した。(最も多かった事案→減少傾向→再び増加傾向)※所謂「人工舎利石」や、舎利石の形成過程を経ていない瑪瑙の水摩礫を舎利石として販売する事案。※ただの瑪瑙や玉髄の加工品。

2.浜から拾ってきただけで開眼していない石を仏舎利であると偽って販売(出品)した。(とても多い)※お寺で開眼されたものは仏舎利であるも、僧侶でもない一般人が開眼できる筈もないので仏舎利ではない。

3.より価値の高い産地名を謳って販売した。(事実と異なる産地表示:産地偽造)  ※山崎産の舎利石を袰月産や袰月海岸産、舎利浜産と偽って出品する行為。

4.瑪瑙や玉髄を裁断・研磨した加工品を人工舎利石ではなく舎利石と謳って販売した。※旧家蔵出しとか幕末とか古美術と謳う傾向が多い。これらも人工舎利石や根付などに加工する手前の瑪瑙のビーズで、中には赤系や緑系の着色されたものもある。

5.本来の開眼は大変な準備、資材の調達、労力と時間を要するので、1回とか数回ほどお経を唱えただけでは開眼されるものではないのはド素人の私でも分かる。従って、開眼されたものと謳われているものでさえ、真偽は分からないのである。

舎利石の外観など

ちょっと個性の強い舎利石
2ミリ以上の舎利石

 舎利石の大きさはケシ粒大から鶏卵(Sサイズ)ほどの大きさで、主に採れるサイズは2~15ミリ程度であり、最も多いのは5~10ミリほど。 1~2ミリの価値が最も高く。大きくても5~6ミリまで。それ以上のものは仏舎利として開眼するには利用価値が無いとされ、主にパワーストーンや鉱物サンプルとしての用途に限定される。

 舎利石は粒の中心部が低密度なものも少なくないため衝撃や圧力に弱いものもあり、中には袋や容器に入れて振ったり、洗ってかき混ぜただけで簡単に砕けるものもある。

 この写真を見ての通り、中心部分まで単結晶とならないものも多く存在する。これは海岸で他の礫と一緒に波に揉まれた際に砕けたものと思われる。

 なお、この割れた舎利石の表面がザラザラしているのは、母石より零れ落ちて間もない状態。これだけ表面がザラザラしていても、小瓶に入れて振っていると簡単に光沢を帯びてくる。これが柔らかいのに光るという理由。必ずしも硬い石だから磨けば光るとは限らない。

代表的な舎利石の特徴

 舎利石の表面は母石内に生じる気泡の内壁に凹凸があるため舎利石の表面も凹凸がある。その痕跡は波に揉まれて摩耗し消え去るものも多い。 また、気泡内に結晶化する過程でいくつかの共通点(規則性)があり、表面の状態以外に透かして見るなど内部構造により舎利石であるか否かをある程度判別することができる。

 形状は真円、楕円、雫型、米粒型など丸みを帯びているが、石の形は気泡の形そのものであるため潰れた気泡内に生じたものは歪な形状となり必ずしも球体になるとは限らない。中には2つ以上の気泡がくっついてできたダルマ型も存在する。

 摩耗により表面の特徴が消え去った場合には判断が難しいが、内部に舎利石特有の濁りなどの痕跡が見られるものもあり、真贋の判断材料となる。

 共通して言えるのは、石英質の石ころの破片が削れて球体に近い形状になった瑪瑙や玉髄と、最初からほぼ球体に形成された舎利石とでは結晶構造の違いがあり、全体的な光沢にも違いが現れるので削れ方を含み真偽はある程度見分けられる。

 中には透明で光沢を帯びた真球の舎利石も存在する。基本的に熱水から形成された瑪瑙の破片はその結晶構造から綺麗な真球になることは考えにくい。考えられるのは、元から真球に近い無色透明の舎利石が水摩礫となって均等に削れたものである。その場合、表面の光沢はどの方向から見てもほぼ均一で、消臭ビーズの水分が抜けたような見た目である。

舎利石

表面の微小な穴と黒い粒のような母石の痕跡。

舎利石

半透明な白。表面の凹凸と汚れのようなものは母石の痕跡。

舎利石

黄色味ががった透明に中心部に濁りが有る。かなり摩耗している。

舎利石

黄色味がかった半透明で中心に濁り。表面の痕跡。そして中に気泡がある。

※ 当サイトに掲載している「舎利石」として紹介している写真はいづれも自然のままの状態であり、一切研磨していない。その他の写真については画像のページに掲載しているので参考にしてほしい。

舎利石の形状

真球に近い

大きいほど真球に近いものは少なく、小さいほど真球の割合は多くなる。一般に最も価値が高いとされる形状。

丸いがやや潰れ

最も多く採れる形状。大きなものから小さなものまで、採れる舎利石の中で半数はこれ。

楕円形

そこそこ採れる形状。

雫型

やや少なめではあるが、珍しくもない形状。薄いと割れやすい。

米粒型

日本の米粒(ジャポニカ種)のような形状から、東南アジアの長粒米(ちょうりゅうまい)のような形状のものまで。数は比較的少ない。舎利(シャリ=米粒)に似ているとはいえ、あまり価値が無いようだ。

その他

2つの気泡がくっついたため、舎利石も2つくっついたダルマ型。 気泡が大きすぎると変形しやすいためハマグリのような形状になるものもある。たまに3つ以上の舎利石がくっついたものも採れる。

遺骨と身舎利と仏舎利の代替え品

 火葬場でお骨を拾った経験のある方は本物の火葬された後の骨の状態をご存じだろう。本来はそうであるように、舎利(遺骨)とは舎利石のような形状をしていない。インドなどの仏舎利の代替え品を見ると大きさも材質も様々で、中には貝殻の破片のようなものも見受けられるが、見た目だけは遺骨に近い。(Wikipedia

 ただ、非常に徳の高い僧侶の遺骨には丸い小さな石のような結晶が燃え残っているという。医学的にこれが何であるか諸説あるが、この燃え残った小さな球体が舎利石の由来なのではないかという。極小で真球なものほど舎利石としての価値が高い理由はここから来ているものと思われる。

 遺骸の燃え残りに含まれる真舎利と言われるこの小球は何人も傷つけることも破壊することもできないとも言われる。それに該当する石といえばモース硬度10の金剛石(ダイヤモンド)である。ダイヤモンドも海外では実際に仏舎利の代替え品として使用される。しかしダイヤモンドは純粋な炭素である故に燃える。引っ掻き強度は最強であるも、実は衝撃に弱くハンマーで叩けば砕ける。

 人体を焼却して肉が炭(炭素)になったとしても、ダイヤモンドの生成には1000度以上の高温下で5万気圧以上の高圧力が必要となる。近代の設備で人体の火葬は概ね800度なので、人体由来の成分による発生条件には遠く満たない。

 舎利石は逆に熱には強いものの、硬度は低く摩擦や衝撃や圧力に弱い。見た目では真珠が最も適当であるようにも思える。真珠は丸く、光り、組成も骨に近いカルシウムとタンパク質である。ただ、真珠のモース硬度は3.5~4と非常に柔らかく熱と乾燥に弱い。

舎利石の産地について

公共の交通機関で東京駅~各地最寄駅

・今別町 :3時間40分+車で15分

・九艘泊 :6時間+車で1時間~

・仏ヶ浦:6時間+車で1時間半~

(交通費は概ね2万円弱+レンタカー)

車で新青森駅から各地へ

・今別町袰月:1時間~

・九艘泊:3時間~

・仏ヶ浦:3時間半+階段

(レンタカー1日概ね6~8千円+給油)

袰月の舎利浜。写真の中央付近が舎利浜があった場所。この写真は複数枚の方向が異なる写真をソフトウェアを使用して合成(ステッチング)したもの。

 青森県東津軽郡今別町袰月周辺の浜で産出する珍しい石で、言い伝えの多い「舎利浜(しゃりはま)」という浜は 現在も今別町大字袰月字舎利浜という地名として残っており、かつては波打ち際に多数の舎利石が打ち上げられていたという。 その位置は袰月海雲洞釈迦堂(ほろづきかいうんどうしゃかどう)の前で、幅50間(90メートル)であったとされる。

 舎利石を産み出す舎利母石の岩塊は舎利浜の沖の海底にあり、その広さも50間と言われている。

 青森県の石である「錦石(にしきいし)」を採取、加工、販売している青森県指定伝統工芸士の方でさえ舎利母石の岩塊は「おそらくこの辺にあるのではないか?」という曖昧な情報しかない。(当サイト製作者である私は別の場所で舎利石の岩脈を探し当てている。長年、袰月に住んでいる方でもこれには気付かなかったと言っていた。)

 かつての舎利浜についての記述。「滝のある沢の河口に黒い砂浜があって、その黒い砂を掘ると舎利石が出てきた」 これは袰月海雲洞釈迦堂の脇にある滝のことだと思われる。

 そういえば黒い砂浜には見覚えがある。軽石のような軽く気泡だらけの礫で火山性の岩石だと思われる礫で覆われた海岸だ。もしかしてこの浜を掘ったら今でも舎利石が出てくるのかも知れないと思って掘ってみたが、岩盤が出てきただけで何も出てこなかった。ただ、海が荒れたあとに非常に稀ではあるが、波打ち際に僅かに落ちていることがある。ただし、いつでも見つけられるとは限らない。

 実地調査により袰月集落付近で舎利石を拾える確率は1回につき0個。または多くて3~5個程度という私の調査は概ね正解であろう。それほど袰月では舎利石は採れないと言える。・・・その後、2020年11月現在。あれから1個も拾えないので袰月で舎利石を探すのは労力の無駄と判断した。つまり、袰月地区では地元民以外、ほぼ舎利石は採れないと言える。

 先日、いつものように浜で舎利石を採っていると、袰月集落に済む年配の方(と言っても自分より20歳ほど年上)の方から興味深い情報を得た。何でも、50年前は袰月集落から与茂内の辺りまで浜続きで、バスを持ってる時間が勿体ないので浜を歩いて来れたんだとのこと。現在の侵食された海岸線を見る限り想像もできない。もしかして侵食が進んで消波ブロックの設置に至り、そしてどんどん浜も消えていったのかも知れない。

実地調査

 別町の海岸線は全域で採れる可能性が高い。岸に近い海底に露出した舎利母石の岩塊があり、海岸線では潮の流れが東から西へと流れているようだ。現在は「広報いまべつ」で紹介されているとおり「山崎湾」が主な産地である。

 袰月の集落および袰月海岸については労力に見合わない量しか採れないため、山崎周辺を探索するのが最も確実である。過去の資料によると平舘も産地に含まれているようだが、せいぜい地質を見る限り「綱不知海岸」(つなしらずかいがん)が南限であろうと思われる。実際に舎利母石になりかけの黒い母岩に白い粒(沸石)の入った石も鬼泊巖谷観音堂付近の海岸で採取したことがある。

 ネットオークションからの情報では仏ヶ浦付近で採れたとされる舎利石の出品がある。資料によれば脇野沢地区の九艘泊(くそうどまり)でも採れるらしい。袰月などで採れる母石は安山岩質であるが、九艘泊産母石は黒っぽく玄武岩質。舎利石は瑪瑙ほどの密度を持たない沸石(ゼオライト:NaAlSi2O6·H2O :モース硬度5)も混じっているらしい(今後調査すると思っていたが面倒なので放置)。

 また、恐山の宇曽利山湖(うそりやまこ)の極楽浜ではかつて湖底から打ち上げられた舎利石がみられたらしいが、明治初年にガラス原料として採取され荒廃したとあり、2019年9月16日の実地調査の結果、一粒も見つけられなかったことから恐山の舎利石は絶滅したと言っても差し支えない。つまり恐山舎利石は存在しない。余談であるが恐山の菩提寺(ぼだいじ)の宗派は曹洞宗(そうとうしゅう)である。

 2019年10月28日、三厩の役場がある市街地から今別の漁港まで海岸線を調査した。結果として採取0個で終わる。三厩地区では舎利石は採れないと判断した。

現在の産地:今別町山崎産(主産地)

真偽が不明な地域: むつ市 脇野沢 九艘泊産(未確認) / 佐井村 仏ヶ浦産(未確認)

完全消滅: 袰月 舎利浜(今別)

ほぼ絶滅した地域:袰月海岸(今別)/ 平舘(外ヶ浜) / 極楽浜(恐山 宇曽利山湖)

舎利石ができるまで

舎利石ができるまでの様子を図解化してみた
  1. 地表に向かって溶岩が押し上げられてくる。溶岩内部は非常に高圧高温である。

  2. やがて溶岩が噴出。一気に圧力が下がる。

  3. 圧力の下った溶岩内部は炭酸飲料の蓋を捻った時のように一気に気泡が発生する。(沸騰する)

  4. その気泡(空洞)に、溶岩に含まれる石英(二酸化ケイ素)が後から入り込む。

  5. そして溶岩が冷えるまでに気泡周囲の石英質が十分に充填された場合は中心付近まで詰まった舎利石となる。石英質の量が不十分であった場合には中心が空洞になったり空洞の一部や内壁に充填された不完全な舎利石となる。

  6. やがて母石である安山岩が水を吸って脆くなり、海水によって母石が侵食される。露出した硬い舎利石は母石より零れ落ち、海岸に打ち寄せられ、波の作用により他の礫と擦れあって磨かれていく。

 図解③~⑤までのプロセスをもっと解り易くしてみた。

 岩が熱く噴出した直後は気泡は膨らむ。そして冷えるときは空洞の内圧が下がる。このとき空洞の内壁から染み出した二酸化ケイ素が冷えるまでに十分な量があることで硬い結晶となり、途中で不足したり急激に冷えて充填が中断すると④のような状態(なり損ない)で終わるのではないか。完全に中心まで充填されたものは一定の強度を持つ舎利石となるが、中心付近の成長途中で二酸化ケイ素が欠乏すると中心が空洞になったりして脆い舎利石となる。

人工舎利石の原料

 般的な石英質の水摩礫は石英の成分を含む熱水が地層の亀裂などに沿って上昇し岩盤亀裂表面に沿って結晶化することで生まれ板状の瑪瑙の層となる。

 それが岩盤の風化や波の浸食によって割れ、波打ち際で削れたもの。(左の写真)これを裁断し、バレル研磨したものが人工舎利石である。

 成分は同じ二酸化ケイ素であるが形成過程および性質が異なり、結晶の構造が平面的で平行である。

 舎利石が溶岩の気泡内で丸く成長するものであるのに対して瑪瑙は岩の亀裂に熱水が通過しながら瑪瑙が成長してできるものである。舎利石の誕生は溶岩から。瑪瑙の誕生は熱水からと言える。瑪瑙の成長の図解は上記の通り。

 ①岩の亀裂に熱水が通過する ②亀裂表面で二酸化ケイ素が成長する ③やがて二酸化ケイ素の層ができ、侵食により瑪瑙の層が割れて溢れる ④溢れ落ちた瑪瑙の破片が波打ち際で他の礫と擦れあって丸く削れる水摩礫となる。

 層や結晶構造が同心円状ではなく、概ね一方向に入っているため、舎利石とただの瑪瑙との違いは外観から判断できるほどの違いがある。ぜひ、表面的な視点ではなく、結晶の内部構造も含めた三次元視点による判断をしてほしい。

舎利母石について

 舎利母石は しゃりもいし”、”もいし”、”しゃりぼいし”、”しゃりのははいし” 、”ははいし”などと呼ばれ、今別町で産出する母石には6種類確認されており、景勝地である袰月海岸では緑、白、灰色、茶色、青っぽい暗い灰色などの安山岩。山崎湾沿岸で採れる母石は硬質で黒っぽいため玄武岩質と思われるが、山崎湾沿岸に母石が流れ着くのはごく稀である。

 舎利石が母石から零れ落ちる原理としては、安山岩という岩石の特徴にある。 安山岩は多孔性で水分を吸うと結合が非常に脆くなり風化しやすくなる。 その反面、舎利石は水には強いため、母石が先に風化して舎利石が安山岩の母石から零れ落ちる。 調査当初は安山岩と舎利石の硬度の違いと思われたが、水に弱い母石。水に強い舎利石という性質の違いによるものだった。

 下北半島の九艘泊(くそうどまり)とその対岸にある綱不知海岸(つなしらずかいがん)は沸石の舎利石と母岩は玄武岩質のものも存在するということだが、九艘泊の現物は確認していないので断言を避ける。

 今別町の袰月では絶滅したと言われる舎利母石であるも、行けば必ず拾える訳ではないし運が良ければ程度に依らず複数個拾うこともある。こちらも海が大荒れになると運ばれてくる。

濡らした状態の母石
初期に拾った程度の良い舎利母石

 見ての通り、石の彼方此方に舎利石を孕んでいる岩石である。 この舎利母石も現在は非常に希少である。かつては絶滅したとも言われており発見は困難だと思われているが、文明の利器(ネット地図)を使用し、地形から潮流を読めば採取可能な場所の特定は困難ではない。

 知恵を絞れば短時間で場所を特定できるが、体力にモノを言わせ海岸線を自分の足で踏破する手もある。私はその両方ができるので、航空写真を眺め、津軽海峡付近の潮流データを読み、堆積するであろう場所の特定と付近の海岸を自分の足で歩いて見つけることができた。

 舎利石を孕んでいる多数の舎利母石をよく見ると、空洞の内壁に薄く石英が張り付いたものもある。それらは二酸化ケイ素が足りずに粒として成長できなかったもの。非常に固く粒のまま形を維持しているもの。強度が十分なものに成長できず、飛び出た部分が他の石とぶつかった際に砕けたものが見られる。本当に良質な舎利石を孕んでいる母石は舎利石が削れずに綺麗に丸く飛び出している。

 舎利石という鉱物の成長に至らなかった石のお陰で舎利石が成長する過程の謎が溶けたとも言える。そういう意味で、この不完全な母石は舎利石の成長過程を説明できるという別の価値がある。


 舎利石の色は様々である。含まれる微量な金属や不純物により色が出る。青や緑であれば銅などが考えられるが鉄であるという記事もある。で、調べてみると鉄は含まれる微量元素でかなりカラフルな変化をするようで、赤や橙、黄であれば鉄(酸化鉄)と考えるのが普通であるが、酸カリウムが混じるとヘキサシアニド鉄という名前になり緑色や青緑色にもなるようだ。実に興味深い。参考サイト

 舎利石は透明、半透明、不透明なもの。無色、白、黄、橙、赤、青、茶、黒、緑など多彩である。 含まれる不純物の違いや入るタイミングによって色づきや模様が出ものも多く、2色以上のパーティカラーになるものもある。(写真は2~3ミリの舎利石)

色の好みは様々で、白が良いという人も居れば、黒が良いという人も居たり、透明の中心に黒っぽい濁りがあるものが良いという人も居る。飴色の舎利石は肉舎利と呼ばれているところもあるようだ。

舎利母石から露出した舎利石

 硬く綺麗な舎利石を孕んだ母石の写真。中に濁りが生じている様子がよく分かるもの。これは母石より零れ落ちると、舎利石表面に目玉の模様が浮き出ているものになるだろう。なお、目玉模様の舎利石は「天眼石」の舎利石としてパワーストーン的には非常にパワーが強いとされ価値も数倍~十数倍に跳ね上がる。

開眼(魂入れ)

 開眼(かいげん)とは、新しく作った仏像などに魂入れを行なう儀式のこと 開眼が済んでいない舎利石はただの希少な小石でしかなく、仏舎利ではない。一般人が出品してるものは全て仏舎利ではないので注意。

 仏舎利の代替え品である舎利石を仏舎利とするには、一説に真舎利の納められた仏舎利塔で一緒に儀式を行なうという記述が一部サイトにあるが、現状は各お寺にて舎利石をお祀りして開眼されている模様。

 そして開眼した舎利石は「生きている」とも言われている。毎日きちんとお祀りすることで増え、何もしなくなれば減るとも言われている。

 舎利石を開眼させる儀式については真言密教により秘法とされており、これはおそらく聞いても教えてくれないであろう。 ただ、舎利石に繰り返し唱える必要があるようで、「お経を読み聞かせる」「お経を覚えてもらう」という表現をされるようだ。

 現在これら開眼に関しての情報は表に出ていない。私が寄進した舎利石もご本尊の前(須弥壇:すみだん)にお納めしてお祀りされており、一般人(出品者)がむやみやたらと「仏舎利」と表示するのは不自然と考え、出品者には開眼を行なったお寺の名前を質問した方が良い。当然、答えられないだろうから「それ、仏舎利じゃないですよね?」と聞けば良い。あくまでも「仏舎利として利用されることもある舎利石」であって、「舎利石は無条件で仏舎利という表現は間違い」だからだ。※ここ非常に重要

ギャラリー

袰月海雲洞釈迦堂

袰月海雲洞釈迦堂

この前にある海がかつての舎利浜である。沢は国道280号線の下を通り、かつての浜だった場所に流れる。橋の下に潜って探索してみたが、舎利石はひとつとして落ちてはいなかった。

 拾った舎利石はここの滝で洗ってお浄めすることが定番とされている。

袰月産 舎利石

舎利浜周辺で拾った舎利石

 如意宝珠にも似た形状をしており、一番最初に見つけた袰月産の舎利石である。これは西の外れの磯に落ちていた。陽にかざすと透過する。

 瑪瑙や玉髄で言うところの皮かむりと呼ばれるタイプで、中は透明だが、表面が白く濁っており、そして、この皮もかなりの耐摩耗性がある。

 舎利石に成れなかった黒耀石に似た石で小指の先ほどから鶏卵のSサイズまで。

 黒耀石は石器の矢尻やナイフにも使われる天然のガラスであるが、それにかなり近いものである。専門家によると七里長浜の出来島付近でも同様のものが産出し、矢尻に利用されていたものと同等であると判明した。

比較は500円硬貨。

袰月産 舎利石

舎利浜産 舎利石

黒い濁りが入っている

西の外れで拾う

袰月産 舎利石

舎利浜産 舎利石

スモークのような濁り

西の外れで拾う

袰月産 舎利石

舎利浜産 舎利石

全体が桃色

西の外れで拾う

舎利石

 舎利石のマクロ写真。

 まるでアステロイドベルトにある小惑星のよう。これは山崎湾沿岸で採集した舎利石。 全体にこういった痕跡が残っていることで、溶岩の気泡内に生じた石であることが伺い知れる様相をしている。

 中心に濁り、表面の凹凸、中に気泡が見られるという3つの特徴を併せ持っている。

舎利浜の西の外れ

舎利浜の西の外れ

奥まで歩けば鳥居と祠がある

かつての舎利浜だった場所

かつての舎利浜だった場所

袰月海雲洞釈迦堂の前に広がる護岸

鬼泊巌屋観音

鬼泊巌屋観音

津軽三十三所 二十一番札所

綱不知海岸

今別町~外ヶ浜町平館地区に広がる綱不知海岸

真冬の袰月海岸

高野先キャンプ場の西側 ”袰月海岸”

 真冬の袰月海岸は荒波で石を撹拌してくれる。こうして浜の石はかき混ぜられて新しい舎利母石が地表に現れる。

春先の高野崎の東側

春先の高野崎の東側

 ちょっと降りるのが面倒な未調査エリア。どうやら噂ではここでもかつては採れたという話を聞いた。

貴方が求めるもの

  1.  真舎利:本物の釈迦の遺物であり入手は限りなく不可能に近い。一般人なら尚更である。

  2.  仏舎利:代替品としての仏舎利は開眼したものは入手出来なくもないかも知れないが、とても難しいであろう。浄書や経典や曼荼羅も同様に入手は困難と思われる。探せば古美術屋には出回っているかもしれない。

  3.  舎利石:今別町まで行けば拾える。ただし、拾ったばかりの舎利石はただの舎利石という鉱物である。パワーストーンとしての用途としては浜で拾った舎利石はそのままパワーストーンとして使える。開眼していないものは仏舎利とは呼べないので注意。

  4.  龍宮舎利石:よく分からないもの。ただし、通販で幾らでも売っていて、これが何なのか科学的に説明しているサイトが無い。少なくともタイでは高僧の遺骸が長い年月を経て石になったというファンタジーな石で形成過程が非科学的なもの。想像ではあるが洞窟で採れるというので鍾乳石の一種であるかも。扱いも風水やらラッキーアイテムのようだ。ここのサイトで説明しているものとは異質である。

  5.  人工舎利石:パワーストーンとして瑪瑙のビーズは非常に安価に売っている。人工的なものなので舎利石ではない。だから瑪瑙や玉髄の効用しか無い。何でもかんでも丸くてツルテカな石は舎利石だ仏舎利という人がいるが、何もわかっていないか確信犯なので無視して構わない。

  6.  さざれ:パワーストーンを裁断した時に出る端材を研磨した浄化用のアイテム。仏舎利でもなければ舎利石でも人工舎利石でもないのでパワーストーンとしての効果はその石の種類に依る効果となる。また、水晶や蛍石など瑪瑙ですらない石も舎利石として売られているので要注意。浄化用のさざれを検索すると状態が分かるので騙されないこと。

 上に行くほど価値があり、入手は困難になる。下に行くほど入手は容易で安価となる。ここのサイトで価値があると判断しているものは1~3であり、ここで説明しているものは2~3である。4は日本での舎利石ではないので解釈はご自由に。5~6は舎利石ではないので事実上無価値である。

舎利石がもたらす効果とは

 パワーストーン的に見た舎利石は、魔除け、厄除け、金運アップ、財運アップ、招福、健康、長寿など。及びあらゆる災厄から守ってくれると効用が謳われている・・・ちょっと万能過ぎない?。個人的には幾ら何でも盛り過ぎだろうと思う。これじゃ他のパワーストーンの立場が無い。

 一方で仏教的に見た舎利石は、開眼されたものに限り如意宝珠(にょいほうじゅ )として功徳を得るという。如意宝珠とは「意のままに願いをかなえる宝」とされているが、 「但し、願い事は欲張ってはいけない」とも言われており、そこが仏教らしい控えめな印象を受ける。 きっとパワーストーンの効用を考えた人は、この何でもアリ!な感じを参考にしたものと思われる。

正しい知識で本物を手に入れよう

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 Sarira(シャリーラ)は仏舎利の意味で、日本の仏舎利である舎利石についての解説を行なっているので、ページ名はSarira_Jpとした。本当は舎利石としたかったが、古参のウェブサイト製作者としてはURLにマルチバイト文字が入るのが嫌いなのでアルファベット表記としている。

 あくまでも舎利石にまつわる情報。歴史。仏舎利などを幾つもの資料を比較しながら客観的に記述している。基本的にサイト管理者である私は一般人であり、立場も中立だが、偽物の出品や通販には全く以て微塵も同意できない。むしろ、この罰当たりめ!とさえ思う。

 リンクはご自由にどうぞ。舎利石に関する説明が面倒な場合は当サイトを紹介してくれて構わない。むしろ、ご自分が出品しているものが間違いなく正しいのであれば、積極的にリンクを貼って広めよう。善行を積めばいつか自分にも良いことがあるかもしれない。