本物 と 偽物

舎利石として売られているものには本物と偽物がある。 つまり偽物があるということは、それだけこの石が希少価値があるということ。そして偽物を買わされたり、オークションで落札してしまうということは、買う側の人間も舎利石がどのような石なのか理解していないということだ。

産地の違いについては袰月産かそれ以外がある。これは見た目でほぼ分からないと言える。そもそも舎利石という石は形成過程と材質と特徴で舎利石という石であると分かるのであって、産地によって見た目が異なる場合にのみ石の名前が変わるが、せいぜい前に○○産くらいしか名前の付けようがない。

例えば・・・

  1. 袰月産舎利石・・・最も有名ではあるが舎利浜が護岸工事と消波ブロックの敷設により消滅。周囲の土砂をコンクリートの材料に使っており、舎利石もろともコンクリートの中。現在拾えるものは殆ど無い。近隣住民が昔集めたもののデッドストックがメイン。稀に海岸に大粒のものが打ち上げられる。舎利浜は昭和中期に消滅した浜であるため、デッドストックである場合を除いて基本的に存在しない。(少ないが稀に拾える)

  2. 今別産舎利石・・・山崎湾など今別町内の海岸で採取されたもの。現在も拾うことができる。範囲は今別町の海岸全域。この範囲で拾ったものであれば今別産と書くだけで偽りはない。山崎湾沿岸で採れたものは今別町山崎産と書いても全く差支えない。

  3. 平舘産舎利石・・・巌谷観音より南。綱不知海岸あたりは舎利母石に近いものが落ちているので拾える可能性はゼロではない。「今別の外れ、巌谷観音付近で採取」や「今別または平館の綱不知海岸で採取」などと書けば偽りはない。

  4. 九艘泊産舎利石・・・今別で拾えるものと生成プロセスは同じと考えられるも、そもそも見た目も異なる上に母岩の材質も舎利石も様相が異なる。絶滅した恐山の宇曽利山湖で採れたという舎利石がどのようなものであるかは不明であるため、津軽半島と下北半島とでは噴出した溶岩の質が異なると考えられる。

  5. 舎利石は瑪瑙や玉髄であるところから津軽で言うところの錦石に含んでも良いが、錦石を舎利石とは言わない。錦石という呼び名はは江戸時代後期に出てきた言葉で、舎利石は飛鳥時代からある。天竺に輸出されていたのは錦石ではなく、舎利石なのではないかと思われる。(記述が誤ったサイト

舎利石の形成過程。材質。見た目が同じであれば、産地によって偽物か本物かという議論は意味がない。形成過程や様相から舎利石であると認識できれば舎利石であるし、似て非なるものは偽物である。

せいぜい、局所的な産地を重視する場合に真偽の議論は有効であり、鉱物として見た場合の真偽はそれが舎利石か否かでしか判断しない。


このサイトでは、今別で採れる舎利石を基準として取り扱っている。依って、恐山(絶滅)、九艘泊、仏ヶ浦で採れると言われている舎利石の現物を自分は見ていないので、何ともコメントしがたい。

全く似ても似つかないもの(偽物)

このような氷砂糖にも見える小石は岩盤の隙間に熱水が通り、熱水に溶けている石英質が結晶化した板状の瑪瑙が岩盤が侵食されることで割れた破片であり、最初から粒状に結晶化する舎利石とは全く異なるもの。

成分は二酸化ケイ素で全く同じではあるものの、形成過程が全く違う。これほど見た目が舎利石とは異なるものでも、舎利石がどのようなものか知らない人にとっては「袰月産の舎利石です」と言われれば信じてしまうのだろうと思う。

騙す方も酷いと思うが、下調べもせずにこれを舎利石と信じる方もネット検索など活用すべきと思う。既にネット上には本物の舎利石の拡大写真が多数存在しており、2019年4月以降で画像検索すれば舎利石も舎利母石も多数ヒットするようにしている。

屑+偽物

本物ではあるものの屑石として普通はハネるものと、舎利石とは組成は同じではあるものの、全く舎利石とは似ても似つかないものを混ぜている事例。

一部に割れや欠け、変形(歪)、摩耗しすぎなどの舎利石はあるものの、殆どが瑪瑙の破片の水摩礫(すいまれき)である事例。 自分で拾って、自分で持っておくには構わないが、売りに出すほどの価値はない。

「舎利石○個と瑪瑙の水摩礫のセット」というのであれば問題はないが、これ全部を舎利石として出品するのは詐欺か未必の故意。少なくとも出品者には正確な情報の提供が必要。

似て非なるもの(偽物)

一番上の写真の偽物の破片が水摩礫(すいまれき)となったものが左。

右は光沢が左よりも強いものの、削れ過ぎて判別できる要素がゼロなので見た目は綺麗だけど、こうなってしまうと「どこが舎利石?」と聞かれても答えられない。答えられないものは舎利石だと言えない微妙なもの。

舎利石を拾っていると結構「微妙なもの」を拾うことがある。見た目は近いが、実は性質が異なるとか、結晶構造がどうやら違うもの。本物は特徴がほぼ無くても共通することが一つだけある。それは全面の光沢が半端ない。結晶構造が球体なので非常に綺麗に摩耗していてそれでいて光沢が美しい。

基本的に微妙なものは「舎利石」としては流通させないで、ただの綺麗な石ころとして「これ舎利石じゃないかもよ?」と断った上でお譲りしている。

粒揃いや磨き過ぎ(偽物)

左が人工舎利石(10mm前後) / 右が本物の舎利石(大き過ぎ)

人工舎利石の中には裁断した玉髄を丸くなるまで研磨したが、削り残しで平らな部分が残っていたりする。

それっぽく表面の汚れのように残っている部分もあるが中心部に濁りや不透明なものが見られない。

最近採取した舎利石より仏舎利の代用品として利用可能な6mm以下のものを選別した上に、偽物の人工舎利石を乗せてみた。人工舎利石の大きさは12mm~10mm程度であったが、製作者によってはサイズに違いがあるかもしれない。とにかく大きすぎる上に舎利石の特徴がほぼ無い。または全く無いものばかりで、思わず笑ってしまった。

通販やオークションから落札する場合は、高精細な画像や大きさが分かるものを出品者に求めたら良いだろう。これまで集めた情報によると、本物の舎利石にさえ求められる基準というものがあるようだ。それは分かった時点で追記する。

舎利石は溶岩内の気泡に結晶化する石英質の石であるので、大きさも形もバラバラ。多少歪なもののほうが多い。舎利石の幾つかの特徴(凹凸やその痕跡、密度の斑、一部に濁りがある、不純物が元の粒に対して自然に入っているもの)を全く持たない石で、表面に一点の曇もなくテカテカしているものは「人工舎利石」と言って、瑪瑙を特定の大きさにカットしてから錦石を研磨する研磨機(バレル研磨機:樽磨きと言われる作業)にかけた舎利石の代用品。つまり人工的に舎利石のように整形されて磨かれた瑪瑙の粒である。形や大きさが揃い過ぎている場合は人工物であると疑うべし。

これはパワーストーンのビーズで蛍石(フローライト)

また、層や模様が球形になっておらず縞模様に断面があるもの。 パワーストーンのビーズで穴がないものと言えば解りやすいだろうか。あれと同じで裁断と研磨に拠って丸くなるまで磨かれたもの。

(写真は蛍石と水晶のブレスレット)

人工着色されたもの(偽物)

尾去沢鉱山の売店にある輝石堀り体験コーナーでゲット

パワーストーンを扱っているお店や三内丸山遺跡の常設お土産コーナー(小田桐錦石さんの方じゃないよ?)などでも売られているケバい色をした瑪瑙がある。カーネリアンなども添加物や加熱によって無理やり色付けされたものもある。要するに自然とその色になる筈がない色ということ。

原色や蛍光色。なんかマジックインキで塗ったような色や色滲みのあるものは、瑪瑙が多孔性の構造をしており強引に色を浸透させたものである可能性がある。また加熱処理により中に含まれるわずかな金属により色を発することがある。でも、自然と色がついたものは眼に突き刺さるようなキツい色をしていない。自然のままの色は眼にスッと入る気がするが、着色した石は違和感が半端なく酷い色をしている。

これは多くの石を見ていれば分かるが、傷や亀裂の部分に色が濃く入る。普通は傷や亀裂っていうのは白っぽくなる。つまり物理的にありえない色付きのものは人工着色ということ。

(これは尾去沢鉱山の輝石堀り体験コーナーで採った輝石のタンブル)

舎利石のサンプル(本物)

サンプル 白濁

サンプル 小粒 ほぼ均一

これよりも更に小さい2~3ミリくらいくらいが適正サイズ

舎利母石表面の舎利石

舎利母石を濡らして撮影したもの。特に結晶が固く綺麗に結晶化したものだけ撮影してみた。 かなりの数の舎利母石を拾ったが、これほど上質な結晶が剥き出しになっているものは実際には少ない。それに、拾った舎利母石はどれも小ぶりなので、いつかは大物を拾ってみたいものだ。

前提の解釈

舎利母石から採取したものだけが舎利石である前提

 「拾った舎利石と思われるものがただの綺麗な瑪瑙の粒か、それとも本物の舎利石であるかをどうやって見分けるのか。舎利母石から零れ落ちたものであれば舎利石と呼べるが、落ちている舎利石を本物の舎利母石から零れ落ちたものであると証明できるのか。」 という問いを投げかけられたことがある。同じ日に袰月の人から〇〇で採れる舎利石は偽物だとも言われた。

 言い換えるとこうだ。「青森のりんごは生産量日本一だからりんごと言えば青森のりんごだ。それ以外はりんごじゃない」 そんな無茶苦茶なことを言われても困るし、りんごをあげようとしたら「そのりんごは本当にりんごの木から採れたりんごか証明しろ」とか言われても困る。

 言ってることがそもそもおかしいということに気づかないというのは「ただの個人的な主張」であって根拠がない。「こうあってほしい」という願望は分からなくもないが、既に無い舎利浜の舎利石を新たに求めるのは無理なことだ。

 この問いを投げかけた人は材質が二酸化ケイ素の石として見ているだけで、舎利石がどのような石であるのか。どのようにして形成されたのかを知らないのだろう。

 かつて存在した舎利浜で拾ったものは間違いなく舎利石なのだろう。しかし、これが舎利浜で拾えた舎利石であるという現物の詳細な写真はネットに開示されているものは国宝として保管されているものに限られており非常に少ない。つまり理想であるところの舎利石の判断材料がほぼ皆無である。

舎利石の形成条件から形成過程を前提とした判断

 酸化ケイ素(石英)が主成分の石など地球の組成から言えばごく普通にどこにでも存在するわけで、その結晶構造の違いで強度も異なる。形成過程が特殊である舎利石は色や形状が多種多様であると同時に、形成時の密度の違いによって硬質なものから脆いものまで様々だ。

 「舎利石の大前提が溶岩の気泡の中で成長した石英質の結晶」という視点で見た場合、目の前にあるそれが舎利石か否かを判断するにはその石がどのようにしてできたのかを外観からある程度想像して判別できる。品質はともあれ1年半もの間に4万粒近い舎利石を拾えば、頭の中にあるデータベースは選別作業を非常に簡便かつ速やかなものにしてくれる。

 自分よりも遥かに長く舎利石拾いをしている仲間がもう一人居るが、彼も同じように彼なりの判別のデータベースを頭の中に持っている。

 誰でも知っているような軽石や大理石や御影石(花崗岩)が他の石と間違わないように、より多くの本物の舎利石に触れてきた人にとっては「本物」「偽物」「本物であろうが判断しがたい微妙なもの」を瞬時に選別することはとても容易い。

 これは津軽で採れる錦石のように「硬くて磨けば光る石」のような曖昧な括りではない。溶岩中の気泡内で成長した石という「縛り」を前提として考えれば、ああ成程な!と納得できる判断基準で全て片付けられる程度のものである。この判断基準を元にすれば、舎利石ではないものが分かる。

 と同時に前提条件に合致するものは舎利石であると判断できる。そう、この縛りに当て嵌めると「これは幾ら何でも違うだろう」というものが判る。判るというよりも解るの方が正しいのかもしれない。この縛りは絶対に崩れないものであるから、この縛りから外れたものは例外なく偽物ということになる。この条件を幾つ理解しているかで選別作業の精度も異なってくる。

矛盾点

 袰月の舎利浜産を神聖視したい気持ちは分かる。歴史の古い文献に度々登場する「舎利浜」。 そこで採れた舎利石こそ本物で、それ以外は偽物であるという気持ちも分からなくもない。

 ただ、昭和38年に消滅した舎利浜の石は著名な場所へ収蔵されたものや、デッドストックがどこぞより見つからない限り、ほぼ手に入らない。

 しかし・・・こう考えると舎利浜の舎利石は手に入れられる。浜が消滅しても、母石は打ち上げられるし、その母石の元の岩盤(岩脈)はいまだ存在している。 つまり、母石を拾ってそこから舎利石を得る方法である。この方法であれば舎利浜に打ち上げられる予定の舎利石を確実に得られるというもの。母石から採取された舎利石こそが本物であるとするならば、この方法は確実である。

 ところがここに矛盾が生じる。母石から零れ落ちた舎利石は表面がザラザラしており光らない。光るのは母石から零れ落ちたものが浜で他の礫と擦れあって水摩礫となったものである。 そう、文献に表記されている「小粒にして光沢多く・・・」という部分に反する。

 つまりは、本物を手に入れる方法があっても自然のまま母石から舎利石を得たらそれは光沢が無い。これでは文献にある舎利石の様相と、本物を求めるあまり拘った結果、舎利石の定義に矛盾が生じるのである。


 結果として光沢のある舎利石を得るためには、①限られた狭い範囲の産地(袰月の舎利浜)に拘らない。②付近の海岸で光沢があり、舎利石という鉱物が形成される過程で生じた特徴を残した石を見極めて拾い集める。 それすら認められないのであれば、人の手が加えられるというのも何か違う気がするのだが、③母石から直接採取した舎利石をバレル研磨する。(下手をすると何割かは研磨中に砕ける)

 現実的には①で妥協し、②で厳密に選別作業を行なうという事に尽きるのではないか。②については既に自分にとっては十分過ぎるデータが蓄積されているので判別は容易である。それでも判別しがたいものは弾けば問題は無い。③は人工舎利石では無いにしても、自然が作り出した偶然がいくつも重なって生まれた舎利石に失礼ではないかと個人的に思うところがある。

 自然のままでここまでの光沢を持って拾えるからこそ希少で価値がある。昔の人はこれを仏舎利の代替え品として利用しようとしたのは、自然のままで光り輝く舎利石を目にしてそう決めたのではないかと思う。それを敢えて光るまで磨くというのは違うような気がしてならない。あくまでも個人的な意見ではあるが、そう思いたい。

小粒ほど価値が高いらしい

 これは直径10ミリの小瓶に、2~3ミリの舎利石だけ選んで20粒以上詰めたもの。偽物が1粒1000円で売れる時代である。極小サイズの本物が1粒3000円で売れるなら、これは1瓶で6万円ということになる。 自分はそれほど欲にまみれていないので、「まあ、ガソリン代くらいになれば拾い続けてもいいかな?」とは思っている。(現状では大赤字なのだが(苦笑))

 尚、特殊な用途で直径1~2ミリが108粒必要な例もあるようで、上記の写真のサイズの舎利石については1万粒を超える量を所持している(内、3千粒は放出済)。

 お寺によって好みは様々であるが、①形状は真球に近いほど良い。②直径1~2ミリなど小さいほど良いとされるケースが多い。③色はお寺によって好みが分かれる。

 ここ最近、ちょっとした実験も兼ねて本物の舎利石を舎利母石付きで彼方此方に手段もバラバラにバラ撒いている。反応を確かめられる方法が無いが、活動の成果を惜しげもなく無償で寄進することで、とりあえず自分の活動のアピールも兼ねている。

 因みに真言宗の寺院へ勝手に舎利石を寄進しまくっている犯人は自分です。貰って困るものではないでしょうからノンクレームで。一応、厳選していますので本物ですよ?。とりあえず、送りつけ詐欺ではないので後から請求書は届きません。どうぞご安心ください(笑)。